記録ID: 56567
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ハイキング
九州・沖縄
トホレコ☆リターンズ 1・桜島周遊
2008年04月01日(火) 〜
2008年04月03日(木)


- GPS
- 56:00
- 距離
- 51.2km
- 登り
- 355m
- 下り
- 358m
コースタイム
4/1 鹿児島市滞在
4/2 桜島へ渡る
4/3 錦江湾を見やりつつ
4/2 桜島へ渡る
4/3 錦江湾を見やりつつ
過去天気図(気象庁) | 2008年04月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
4/1 フェリー埠頭になんと「リトルアジア」のフライヤーを発見。リトルアジアとは那覇のゲストハウスの老舗である。「リトアジ」などと呼ばれ親しまれている。どうやらここ鹿児島にも支店が出来たようだ。往路で鹿児島に滞在したときには無かったと思うから、最近出来たんだろう。一泊1500円。ネットカフェで難民生活をするよりずっと快適で安上がりだ。行ってみると鹿児島中央駅から徒歩3分。オフィスビルの1Fが丸ごと宿に改造されている。素晴らしい立地条件である。宿の人に訊いてみると、オープンから一年経ってないとのこと。まだ設備はぴかぴか。布団もフカフカ。那覇のゲストハウスの湿気った毛布とは大違いだ。近所に西田温泉という温泉があるとのことで、宿で回数券をバラ売りしてくれる。なんと、温泉まであるかよ。沖縄では温泉はおろか湯船というものに浸かった記憶がない。彼の地にはそういう風習がないのだ。 昼頃から町に繰り出してお米や何かを買出したあと、さっそく件の西田温泉に突撃を敢行。見た目は丸っきり普通の銭湯であるが、中身はれっきとした源泉掛け流しである。素晴らしい。昼下がりの湯殿には人影も疎らで、ひとしきり和む。染みる、染みるよぉ。 湯上がり、踏切端に「王将」を発見。迷わず特攻をかける。ほんと至れり尽くせりだな。瓶ビールに餃子二枚。店の外にはカンカンカン・・と懐かしい踏切の音。沖縄には鉄道がないので踏切もない。いかに沖縄が楽園じみた場所であったとしても、「湯上がり踏切の音を聞きながら王将の餃子で一杯」みたいなささやかな贅沢を楽しむというわけにはいかないのだ。ビールの酔いがはらわたに沁み渡るにつれ、ヤマトに戻って来たという実感が湧いてくる。王将は同じ系列店でも店舗によって店の雰囲気が極端に違うが、この店はいい感じに草臥れている。醤油さしのベタついた光沢など骨董的なおかしみを醸し出している。チャーハンを煽る鍋場の様子など眺めながらしばし黄昏る。 宿に戻ってくると、裏口に設えられたテラスで見覚えのある外人がビールを飲んでいやがる。なんでえ、マークじゃねえか。マークはつい二日前まで同じ宿に泊まっていた英国人のバックパッカーである。ヘイ、マーク!What are you doing here !? マークは僕より一日早い船で鹿児島へ渡ってここに滞在していたそうだ。丁度大きな低気圧が通過中で船は大いに揺れたそうである。 マークが那覇にやって来た日のことである。イタリア風にアレンジした沖縄ソバを僕が今まさに啜ろうかという時、電話がなった。僕はバイトの連絡先を宿の電話にしてもらっていたこともあって、宿のオーナーがいない時には電話をとる習わしになっていた。その時の相手はやけにテンパった感じの中年男性だった。 「ちょっと宿の人?助けてよ。」 聞けば外人に道を尋ねられたが、住所を見てもさっぱり分からない。見捨てるわけもいかないからこうして電話しているのだ、とのこと。会話の様子からおっちゃんは英語が話せないらしく相当狼狽しているようだ。僕は別に宿の人ってわけでもないのだが、仕方ないので迎えに行った。イタリア風沖縄ソバがノビノビになったのは言うまでもない。その外人がマークだったわけで、そんな縁から僕はマークと結構親しくしていた。こんな所で再び出会うとはよほど縁があるらしい。 マークはもう一人の外人の若者と喋っていた。やけにひょろ長い若者である。脛のあたりなどポキンと折ったら、金太郎飴になっていそうだ。ジョニーという名でやはり英国人。マンチェスターの出身だというので調子を合わせて 「ルーニー良いよね。」 みたいなことを言ったら 「俺はリバプール・ファンだ。」 と素っ気なく返された。あ、そう。東京都民で阪神ファンみたいなものだろうか。 その夜は再会を祝して三人で天文館に繰り出す。天文館は鹿児島随一の盛り場である。焼酎が飲みたいというので、適当な焼き鳥屋で芋焼酎のレクチャー。つっても僕が英語で説明出来るのは、 「白金の露ってのはプラチナ・ドロップほどの意味だよ。」 とかその程度のことである。我ながら意味の無いことを教えたものよ。マークはベジタリアンなので焼き椎茸とか枝豆なんかをつまみにしていたのだが、後で聞いたらタコワサが気に入ったとか言ってた。魚介類ありのベジタリアンなのである。世の中には色んな種類のベジタリアンがいるのだ。 したたか酔ってフラフラと夜の町を宿まで歩く。 「なぜ日本人は車のいない夜の交差点で信号を待つのか?」 みたいなことを聞かれた。まったくその通りだ。 「おーけー。イッツ・ロンドンすたいる。」 などと称して信号無視しまくって帰る。 4/2 那覇の宿で一緒だった女の子二人組が今日鹿児島に来るとの由のメールが入っていた。もう一泊予定を延ばしてカラオケでもして遊んだら楽しいかもしれないが、そうも言ってられないだろう。女の子のために予定を変えるなんて、旅人としてカッコ悪いよね。そんな軟弱な了見で札幌まで歩き通せると思ってんの? そんなわけでちょっと後ろ髪引かれつつ、朝9時頃宿を出る。出掛けに、例の裏口のテラスのところでイチローみたいな雰囲気の若者とちょっと話をする。聞いたところによると、彼は世界中を渡り歩いた仲々の旅人であるらしい。何人か外国人が同席していたので「英語で話そう」とか言われた。日本人と英語で話すのがあんなに恥ずかしいとは思わなかった。イチロー風の若者は 「いろんな国の人が集まってるんだから英語使うの当然でしょ?」 みたいに涼しい顔で会話を楽しんでいる様子。僕はもの凄くいやぁな汗が出てしょうがなかったので早々にお暇する。なんで平気なんだろ。強者だな、あいつ。 さてそんなこんなでようやく徒歩旅行開始である。復路のルートはまだ全然決めてない。「是非とも国東半島には行ってみたいな」とか「紀伊半島は外せないだらう」という程度の漠然としたイメージがあるだけである。宿を出てどっちへ向かおうか、それすら実は思案中であったりする。とりあえず桜島に渡ってから考えることにする。桜島こそ復路の出発点としてふさわしいような気がした。 桜島行きのフェリーに乗り込むと、なんとジョニーがいた。正直ジョニーとはあまり話がかみ合わないのだが、無視するわけにも行くまい。ジョニーは桜島で自転車をレンタルして古里温泉を強襲する予定だとのこと。古里温泉は桜島南岸に位置する温泉場である。楽しそうな企画だな、と思った。外人ってのはそういう情報をどこから仕入れてくるんだろうね。 ターミナルでジョニーと別れて歩き出す。まだどこもかしこもピンピンの体である。足取りは軽い。でもなんだかフワついてる感じがして落ち着かない。まあ、歩いてるうちに馴染んでくるだろう。 ジョニーと同じく桜島の南岸に針路をとる。なるべく錦江湾を眺めながら歩きたかったので溶岩の合間をぬうやうにして続く遊歩道を行ってみる。穏やかに凪いだ錦江湾はその水面に幾つもの小舟を浮かべて楽しげである。このまま南海岸をたどっていくと大隅半島の付け根近くに垂水の道の駅がある。距離は15キロ程度だが初日だしそのくらいで丁度良いだらう。 桜島砂防センターに着く頃から急に疲れが出始める。まだ半分も来てないんだけど、やはり体が鈍ってるのかな。砂防センターでは3Dシアターなどで砂防について見識を深めることが出来る。別に砂防に興味があったわけではないが休憩に丁度いい。子供向けのクイズなどやって一頻り遊ぶ。 しかし大して体力は回復もせず、異常な量の汗とともに水分が失われていく。急速に足取りも重くなっていく。どうやら早くも靴擦れが出来たやうだ。ザックの肩紐が容赦なく肩に食い込む。そうだ、思い出してきた。歩くのって辛いんだよなぁ。なんだか懐かしいやうな感覚である。別に嬉しくもなんともないけど。 古里温泉近くまで来ると、道端にアトリエ風のアートっぽい施設がある。中で休憩とか出来るみたいだ。室内にはマイルスの奏でる「マイ・ファニー・バレンタイン」が流れている。壁の大きな本棚には手塚治虫やつげ義春の漫画が並んでいる。やはりアートな感じ。しかし一体誰がどのような目的で運営している施設なのか?そのへんのところはまるで分からなかった。何かアートなプロジェクトとか立ち上げてる風なことがそこかしこに書かれているが全体としてそれが何なのかどうしてもピンと来ない。ま、休ませてもらえればそれでいいや。早くも体が汗臭い。我ながら臭うな。体に不純物が溜まってるせいかもしれない。 古里温泉には寄らずに先を急ぐ。ちゃんと垂水の道の駅までたどり着けるのか心配になって来た。日が傾いて気温が下がってくるとわびしさが募ってくる。道端には枇杷の木が多い。ちゃんと紙袋を被せられて丁寧に育てられている。この辺の名産なのだろうか。 6時過ぎ、無事に垂水の道の駅に到着。予想外に疲れた。初日はこんなものか。道の駅には小奇麗な芝生の広場があって野営適地である。イエス!しかも温泉まである。イエス、イエース!!などと頻りと連呼しながら、テント設営を済ませてしまうとさっそく温泉へ。急に風が出てきて何だか一雨来そうな気配。まあ降ったっておかしくない。何しろ初日だからな。思えば二年前札幌を出た晩も雨だった。函館から下北へ渡った時も雨。鹿児島から奄美へ渡った時も雨。僕は根っからの雨男って奴で、節目節目で雨に降られている。 湯船からは鹿児島の夜景が見える。なんだか体中がゴワゴワでうまく歩けやしない。9時頃までまったりしてからテントに帰る。 4/3 実の所、未だに迷っている。今後のルート取りの事である。概ね二つのプランが僕の中にあって、そのいずれかを決めかねているのだ。 プランA:都城を経由して宮崎の海岸線に出る。 プランB:霧島山塊を中央突破、球磨川沿いを下って熊本へ。 こういうことは、移動の船の中ででも地図と睨めっこで検討しておくべきなのであろうが(というか最優先事項という気もする)、如何せん船の中ではひたすら眠かったし、鹿児島市内では王将やら天文館やらで飲んだくれてしまった。こんな優柔不断な傾向は僕の人生に暗い影を落としているやうな気がしてならない。とりあえず、大隅半島を一周してみようというガッツはどこからも湧いてこないやうなので、海沿いを北上しながら考えることにする。 今日ものどかな陽気である。ゆんでには静かに凪いだ錦江湾。やや後方に目をやれば桜島の勇姿が海上にそそり立っている。昨日のダメージが体中に残っていて、足も肩もボロボロだ。昼前には身も世もなく疲れ果ててしまう体たらく。それでも何故か、霧島を越えてみやうという気分がふつふつと盛り上がってくる。こういうガッツは一体何処から湧いてくるんだろう。不思議みたいなものよね。 亀割峠という小さな峠を越えて国分へ。坂を下りきったあたりに地鶏屋さんを発見。量り売りしてくれるようなので、炭火のもも焼きを一パック購入。少し歩いて海岸に出ると、こぢんまりとして実にのどかな砂浜がある。路傍の標識に「門司から423km」とある。どういう経路で計ったんだろう。いずれにせよ、たいした距離じゃねえな・・・などと強がってみる。砂浜に寝転がって、先ほどの地鶏を頬張る。噛むほどに味が出る。顎が痛くなるほどの歯ごたえだ。薩摩地鶏ってなんでこんなに美味いんだろう。 この砂浜で寝てしまいたい誘惑も感じたが、国分の海水浴場がもう目と鼻の先なので、そこまでは行ってみることにする。 国分の海水浴場は運動公園が併設されていて綺麗に整備されている。ものすごくだだっ広い敷地である。徒歩で迷い込むと、どっちへ行けば海岸なのか漠然たる気分になってくる。大抵の人は自動車で来るのかもしれない。砂浜も途方もない広さを誇っている。海の向こうに桜島。実に爽快な風景である。大都市近郊でこのロケーションとなると、夏場には相当な混雑が予想される。しかし春先の波打ちぎはには酔漢共の痴態も見えず、まこと長閑な風情。孫を連れたじいさんが波打ち際を歩いていく。ひねもすのたりのたりってやつだな。一番端っこの方に陣取って野営。頑張ればマキも集まる。近所を徘徊してみたが、食料を買える店が見当たらない。まこと茫茫たる土地柄であることよ。仕方ないので高野豆腐と大蒜の味噌煮込みなど作ることにした。この大蒜は那覇の市場でまとめ買いしたもので、同宿のおっちゃんに手伝ってもらって皮を剥いたのを持参して来たのである。 日が暮れてから焚き火の傍でラッパなど吹いてみる。ふと人の気配を感じて振り向くと、自転車のおっちゃんが立ち止まってこっちを見ていた。なんちゃって「ストレート・ノー・チェイサー」などやっていたのだが、恥ずかしくなって止めてしまった。草にじゃれる猫が人の気配でしらばっくれて止めてしまう時の気分ってのは、きっとこんな感じじゃないだらうか。 |
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