記録ID: 5658543
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ハイキング
葛城高原・二上山
歩いて辿る奈良盆地(かつらぎの道、馬見丘陵公園)
2023年06月27日(火) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:51
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 27m
- 下り
- 47m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:近鉄(田原本線)池部駅→新王子駅 |
写真
狐井城山古墳(狐井・良福寺)
時代:古墳時代後期前半
狐井城山古墳は、墳丘の全長が約140m、後円部径約90m、前方部幅約110mで、その周囲に濠と外堤がめぐっています。 北に前方部、南に後円部が位置する。
香芝市内で最大規模を誇る前方後円墳です。 濠と外堤の発掘調査で埴輪片が多数出土し、その特徴から五世紀末〜六世紀前半ごろに築造されたと推定される。 墳丘は発掘調査されていないため、埋葬施設などは不明ですが古墳の北東隅の外堤外側で、北流する初田川の中から兵庫県産の竜山石でつくられた長持形石棺の蓋石と家形石棺の蓋石片が見つかっています。
これらの石棺は現在、香芝市二上山博物館の前庭に保存・展示されており、長持形石棺は香芝市の有形文化財に指定されています。
なお、戦国時代に土豪岡氏が城郭として利用していた形跡があり、現在の墳丘の形状は改変されているようです。
令和4年度 香芝市教育委員会
時代:古墳時代後期前半
狐井城山古墳は、墳丘の全長が約140m、後円部径約90m、前方部幅約110mで、その周囲に濠と外堤がめぐっています。 北に前方部、南に後円部が位置する。
香芝市内で最大規模を誇る前方後円墳です。 濠と外堤の発掘調査で埴輪片が多数出土し、その特徴から五世紀末〜六世紀前半ごろに築造されたと推定される。 墳丘は発掘調査されていないため、埋葬施設などは不明ですが古墳の北東隅の外堤外側で、北流する初田川の中から兵庫県産の竜山石でつくられた長持形石棺の蓋石と家形石棺の蓋石片が見つかっています。
これらの石棺は現在、香芝市二上山博物館の前庭に保存・展示されており、長持形石棺は香芝市の有形文化財に指定されています。
なお、戦国時代に土豪岡氏が城郭として利用していた形跡があり、現在の墳丘の形状は改変されているようです。
令和4年度 香芝市教育委員会
きつねの井戸
昔、この村の鎮守の森に狐が住んでいた。 ある日、水の音がするので村人が駆けつけるとそこには泥まみれになった狐の親子がなんと井戸を掘り当てたのです。 どんな日照り続きでもかれることのない清水を飲料水として利用し人々は是を「きつねの井戸」と呼んでいた。
そこでこの村を孤井(きつい)と名付けられたと言われた。
昔、この村の鎮守の森に狐が住んでいた。 ある日、水の音がするので村人が駆けつけるとそこには泥まみれになった狐の親子がなんと井戸を掘り当てたのです。 どんな日照り続きでもかれることのない清水を飲料水として利用し人々は是を「きつねの井戸」と呼んでいた。
そこでこの村を孤井(きつい)と名付けられたと言われた。
佐味田石塚古墳群
(河合町大字佐味田)
佐味田石塚古墳群は、道路工事に伴って新しくその存在が確認された3基からなる古墳群。
墳丘は、外見からは全く認められませんでした。 3基のうち2基は竪穴式の小石室でした。 特に1号墳の石室底部には瓦片が敷き詰められていました。 その瓦は全て飛鳥時代の平瓦片でした。
石室の形態としては6世紀代に通有のものでしたが、瓦片から7世紀になって築かれたことは確実です。
馬見丘陵での古墳築造の終焉を知る上で注目されます。
正面が1号墳、左手が2号墳の石室を移築復元したものです。
(河合町大字佐味田)
佐味田石塚古墳群は、道路工事に伴って新しくその存在が確認された3基からなる古墳群。
墳丘は、外見からは全く認められませんでした。 3基のうち2基は竪穴式の小石室でした。 特に1号墳の石室底部には瓦片が敷き詰められていました。 その瓦は全て飛鳥時代の平瓦片でした。
石室の形態としては6世紀代に通有のものでしたが、瓦片から7世紀になって築かれたことは確実です。
馬見丘陵での古墳築造の終焉を知る上で注目されます。
正面が1号墳、左手が2号墳の石室を移築復元したものです。
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