サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués - Day 7


- GPS
- 10:38
- 距離
- 31.4km
- 登り
- 293m
- 下り
- 265m
コースタイム
- 山行
- 8:35
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:35
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
Day 7、Golegã から Tomar まで。
朝、パッキングを終えてホースクラブ内の宿の部屋のドアを開けると、ちょうど同じタイミングで隣の部屋からもハイキング姿で大きなザックを背負ったカップルが出てきた。
どうやら私たちの他にも宿泊客はいたらしい。
その中年の白人夫婦は、なんと昨夜のレストランで見かけた顔だった。
私たちが入店した時、店内の片隅のテーブルでアジア系の若い男性が一人で食事をとっていた。しばらくしてこの夫婦が入ってくると、男の子はどうやらすでに知り合いだったらしい彼らに声をかけ、その後は3人で一緒に楽しそうにテーブルを囲んでいたのだ。道中のどこかで一緒になり、仲良くなったのだろう。
ホースクラブ前の広い馬場の周辺で毎週水曜日にたつマーケットの準備が始まっている横を通り過ぎ、「ポルトガルの道」ルートである一つ裏の通りを足早に進んだ。今日も30kmなのだ、ゆっくりしている暇はない。
通りに面した家々いの門やドアのノブには、パンがいくつか入った袋がぶら下がっている。昔の日本の朝の牛乳配達のように、ポルトガルの朝はパン屋さんが家々にパンを配達して回っているのだろう。
ごくごく稀にアホな巡礼道ハイカーはこれは地元の人たちから巡礼者への寄付かと都合の良い発想をするみたいだが、そんなご都合主義は存在しない。21世紀の今、巡礼道を歩いているからといって特別な存在でもなんでもない。私たちはただの巡礼道を歩いているハイカー一日あたり数十、ルートによっては数百分の一なだけの存在だ。
ほどなく街を出ると、すぐにいつものように広大な農地が始まった。今日は特にまだ作物を植える前の耕しただけの畑ばかりで、見渡す一面茶色の土。整備された広い農道を歩いていると、地面に奇妙な曲線模様がついている。よく見てみると、カタツムリだった。この乾き切った砂の農道で、カタツムリの歩いた跡だけが湿って濃い茶色になっているのだった。
つい先日にあれだけの規模の乾き切ったカタツムリの死の森を見た後だったので、生きて動き回っているカタツムリに感動してしまった。そこに後ろから追いついてきたのが、昨夜のレストランで見かけた3人組の最後の一人、東アジア系の男性だった。
見た目から韓国人か日本人だろうと予想していた通り、韓国人の大学生だった。
電気を専攻している理系。もともと山登りやハイキングが好きで大学を一時休んで「ポルトガルの道」を歩きにきていると言う。確かに服装や装備もハイキングに慣れていると感じさせるもので、背中のザックは皆やたらと荷物の大きな西洋人カミーノ・ハイカーと比べると、日帰りハイクかと思われそうな程小ぶりだ。たぶん本当に必要なものがわかっていて、かつ軽量でコンパクトになるものを揃えているのだろう。
初めてのカミーノでポルトガル・ルートというのは珍しいと思ったが、リスボン出発から数人見てきたアジア系は全て韓国人だった。聞いてみると、韓国ではこの「ポルトガルの道」はよく知られていて、ここに歩きに来るのは人気があるらしい。
日本では「カミーノ」「スペイン巡礼道」イコール最メジャーの「フランスからの道」で、ポルトガル・ルートなど存在すらほぼ知られていないのではないだろうか。
ほんのしばらく一緒に歩いたものの、やはり年齢が親子レベルに違うのと、彼もおしゃべりな方ではないようだったので話もそれほど弾まず、私たちが道端で今日最初の小休止をしている間に先に行ってもらった。
まだ耕される前または今は使わない農地は雑草に覆われているが、その全てが今まさに花盛りだ。ポルトガルの雑草の花はとにかくオレンジみが強い濃い黄色、がほとんどで、そこにアザミやエンドウ系の濃い紫がアクセントに入る。
花の形は野菊やデイジー系が圧倒的で、小さな白いカモマイルの様な花もよく見る。日本でも見るような雑草もあるが、たぶんこれは種や穀物に混じってお互いの国を行き来したのだろう。鼻が大ぶりなものが多いので、一面の雑草でも何やらナチュラル系でまとめられた花畑ですと言って遜色ない程きれいだ。
数件しか家がない小さな集落の真ん中にこじんまりとしたピクニック広場があり、新しくきれいなトイレがあったのでありがたく使わせてもらう。
「ポルトガルの道」沿いでは公衆トイレはほぼ無いと思っていて良い。だから私のように女性の場合はとにかく休憩はカフェ。コーヒー一杯やジュース1缶は100円程度とお安く、トイレ使用料と考えてもとてもお得だ。
ポルトガルでは、カフェやレストラン、ガソリンスタンドでもトイレはとにかくきれいだ。もちろんウォシュレットやスタイリッシュな内装という意味ではなく、シンプルな洋式水洗トイレだが、常に掃除が行き届いているのだった。床にペーパーの屑が落ちていたり濡れていたり、便器が汚れているということが一切ない。トイレットペーパーもほぼ常にある。(無い時は前の人が使い終わってしまった等、タイミングが悪かった場合だ)どんなに田舎で古びたカフェであろうとも、公園の片隅にあるトイレであろとも、開けて「うわ!汚い」と思ったことは皆無なのだった。
これはお店の人たちがこまめに掃除しているのはもちろんだろうし、使う側のポルトガルの人々にも文化として「汚く使わない」という意識が根付いているのだろう。
その小さな集落から少し行くと、通り沿いの家々も、大きな古い工場だった跡も、なにやら修道院かお城だったような巨大な建物も、全てが無人で廃墟の集落を抜けた。その後、やや大きな街Vila Nova da Barquinhaに到着。どこにでもある平凡な郊外の住宅街という感じで、日中の静かな時間帯であったせいもあるが、人通りもなく家々の塀の中でいつもの様に犬たちだけがワンワン吠え立てている。どこかよそよそしい雰囲気のある街だなぁと勝手に思いながら、特に感慨も特記事項もないルート上の一通過点として足早に通り抜けただけだった。
Atalaia は位置的にはVila Nova da Barquinhaの片隅と言って差し支えない程、すぐ隣にある地区だったが、ここでは立ち並ぶ家々がいずれも新しく大きく、暮らしぶりがずっと良い人達が移り住んでくる閑静なエリアという雰囲気だった。
先述したあらゆるトイレの掃除の行き届きぶりとともに、ポルトガルで感心していることがもう一つある。
通りにゴミが落ちていないのだ。
通りだけでなく、幹線道路沿いの路側や川沿いなど、日本では悲しいかなゴミのポイ捨て、不法投棄が横行している場所にゴミが無いのだった。
住宅街の通りでは歩道はもちろん、車道の隅でも目につくゴミはおろか、ちいさなゴミもまったく落ちていない。確かにまずゴミ箱がそこらじゅう、なんなら数メートルおきに存在するというのが最大要因だろう。ただ、それにしてもこれだけ喫煙率の高いポルトガルで道端に吸い殻一つ落ちていない、だからと言って地域住民が自宅の門の前や歩道を掃除している様子もまったくない。不思議に思っていたところに、前方の道路上をなにやら大きなパイプの様なものを片手に、もう片手に、もう片手には大型ゴルフバック大のマシンを引きながら車道の隅を歩いている人がいた。
ブオンブオンと音をたて、彼が操っていたのは大型バキューム掃除機。道路の隅の特にゴミやチリのたまりやすい場所に掃除機をかけながら住宅街の通りをずっと進んでいるのだった。吸い込んだゴミは後ろの掃除機に取り付けられているゴミ箱にそのまま入っていく。道路の清掃は各家庭ではなくて、公共の業務なのだった。
ルートから2ブロック程離れた児童公園の端にあるカフェに立ち寄り、お決まりのコーヒーとサンドイッチ、オレンジジュースを頼んだ。時刻は11時近くなので、遅い朝食兼早い昼食、なによりこの後、私たちは遂に「山越え」をすることになっていた。川沿いの散歩道でも農道でもない、数km単位で続く「山道」。。。とガイドブックは言っている。一応。そう、「ポルトガルの道」始まって1週間にしてようやく、ようやく!だ。
この先数キロ分のエネルギー充填後、ルートに戻ってAtalaia地区をもう少しで出ようかという時、前方から「こちらに向かって」歩いてくるカップル。私たちは二人揃って「ええぇ?」とフリーズした。
なんと昨日私たちが追い越した中年の韓国人夫妻だった。夫の方は相変わらず陽気に「やぁやぁ」と手を振り近づいてくる。
昨日「15km程度でやめて早めに宿に入る」と言っていたので、Golegaより手前の街で泊まったはずの二人が、なぜ私たちよりも前方にいて、しかもなぜ逆行で歩いているのだ?
例によって今日も15km程度で歩き終了予定の二人は、私たちがいた場所からほんの数メートルさきにあるアルベルゲに宿泊するつもりらしい。ただ、12時以降でないとチェックインできないので、どこかカフェで時間を潰そうと折り返してきたところに私たちが出くわしたのだった。
私たちの今日の目的地Tomorの手前の街にもアルベルゲがあり、そこが彼らにとっては距離的にベストだったが、電話に出ないので閉まっている可能性があるという。その次となると、私たちの目的地のTomarなので遠すぎる。なのでまだ昼前だったがここで終了して午後はまったりするらしい。
ダンナさんの方が元気に身振り手振りで話す後ろで、奥さんが「あなた、車道にはみ出したら危ないわよ」的なことを言い、ダンナが「おっと、そうだった」と歩道に戻る。陽気なダンナさんに静かでもしっかりものの奥さん、よくある風景だ。
私たちの休憩したカフェを目指す彼らを見送り、私たちは先を急いだ。道端のカミーノ標識には「車道路をまっすぐ下り、右側の森へ入る」とある。丘の上の古くて立派な教会を過ぎると、その通り静かな車道が一直線に伸びている。下りきったところで、右側の林道へ入った。
道は思い描いていたような細い山道ではなく、車が通れるような整備された林道だ。アップダウンも非常に緩やかで、山というよりは丘だった。周囲の木はなぜか皆同じ木で、細くまっすぐなツルっとした幹に細長い葉っぱ。そしてどの木もきちんと等間隔で並んで生えているように見える。
昨日のルートで林の中を通り抜けた時も思ったが、なぜこの木ばかりなのだろう。
幹は確かにまっすぐなのだが、細い樹ばかりで日本の杉や檜の植林地のように建材目的とも思い難い。
実は、この細長い葉っぱの形からすぐに、とある木の名前が頭に浮かんだが、いやまさかとずっとその考えを打ち消し続けていた。
まったく勝手な思い込みだったのだが、私はあの木はオーストラリアにしか生えていないと思っていたのだ。コアラのせいだ(←濡れ衣)。
巨神兵がパパッとGoogle大先生で検索した結果、なんと私の推測は大正解だった。
ユーカリ。この広大な丘一面、コアラの木ユーカリの森なのだ。
もちろんユーカリはポルトガル原産ではない。その昔ヨーロッパの国々が世界中に植民地を持っていた時代にオーストラリアからこの木がもたらされた。
ユーカリといえばアロマや薬用の精油しか思いつかない私には更にびっくりだったのは、このユーカリ植林の目的は「製紙用」なのだった。
それまで高価だった紙は、こうして誰もが手軽に入手できるようになったが、同時に大きな問題ももたらしたらしい。
ユーカリは異様に繁殖力と生命力が強い。燃えてもまた生えてくるぐらいに強い。そして根が地下数十mまで潜るので木を完全に除去しようとすると、それを全て掘り返さないといけないらしい。その根で乾いた地面のなけなしの養分を吸い取り切って生き延びるので、他の木々や植物を駆逐する。
なにより精油が取れるだけあって油分をたっぷり含んでおり、とても燃えやすい。風で木々が擦れ合っただけで発火し、大森林火災をまきおこす。実際、ポルトガルではユーカリの森林火災が多発し、家や人的被害も出す大問題なのだそうだ。
そしてこの後もポルトガル国内を歩き抜けながら、私たちはユーカリの森や林ばかり見続けることとなる。
私たちの「ポルトガルの道」初めてのまとまった距離の「山歩き」は、結局ユーカリの植林地の丘歩きだった。
最初の丘はなだらかで、反対側の斜面はすべて木が切り倒された異様な光景が広がっていた。真ん中を横切る高速道路の上を越えると、遥かに広大な植林の丘を抜けていく。林業用の重機が行き来できる林道なので、ただの土舗装道で当然斜面などもまっ直登だ。日本の古道のように森の腐葉土の上を人や荷運びの牛が無理なく峠を越えられるようにジグザグに登っていく…などと甘い期待は瞬殺木っ端微塵だった。
カフェを出た時に遠くの空に見えていた不穏な灰色雲はここにきて私たちの頭上に到達し、弱い雨が降り始めた。ただ、木々の葉の下にいたのと、二人ともウインドジャケットを着てつば広ハットを被っているので、レインジャケットを着る必要まではなさそうだった。
ユーカリの丘歩きの4分の3が終わり、雨が一時止まったので少し道端で長めの小休止をしてそろそろまた歩くかと立ち上がりかけた時、私たちが今きた林道を足早に近づいてくる二つの人影。。。
「やぁやぁやぁ」もちろん、またしても例の韓国人夫妻だった。
Atalaiaのアルベルゲは、なんと今日は閉まっていたという。慌ててこの先の街に宿泊場所を見つけ、急遽歩いてきたと。
例によってダンナさんがまた陽気に話し続けようとするのを、奥さんが「あなた、雨がまた降る前に先に行かないと」的なことを言って手綱を引き締め、二人はじゃぁね〜と歩き去っていった。この二人、長距離は歩けないと言っていたが、歩く時は平地でも山道でもしっかりした足取りでそこそこ速いのだった。
ユーカリ植林地の最後の丘を越えると、小さな田舎の村に出た。一番手前の空き家の玄関前のポーチで韓国人夫妻が雨宿り兼休憩をしているのに手を振り、先へ進む。村の反対の端近くにあったカフェで私たちもコーヒーブレイクとした。
地図上では、この村を出て少し行くと広い幹線道路上をしばらく歩くことになっている。昨日の超危険道路沿い歩きがすっかりトラウマになっていたので、またあれの繰り返しなのか、まだゴールまで結構な距離があるのにこんなところで余計な体力と精神力を削られたくないなぁとげんなりしながら歩いていき、いよいよ目の前に大きな道路と行き交う車が見えた。
そして、そこそこの広さの路側帯を示す白線!
おお!路肩に白線がある!
たかがそんな事で感動できるようになってしまったのはひとえに昨日の道がいかに酷かったかという証明だ。
この道は両車線とも十分に広く、また交通量も昨日の道より遥かに少なかった。道の両側にはたまに店や工場、住宅街があるのでそういう箇所には歩道もあった。ごく快適に幹線道路沿い歩きをこなし、丘の上の工業団地の脇を抜けると、ルートは列車の線路と並行して走る長い農道になった。
静かで緑が心地よい農道歩きが終わると、しばらく住宅街の中を歩く。ガイドブックでもここは立派なお屋敷が多いと書かれているように、確かに大きく綺麗な家が続いている代わりに、お決まりの犬という犬がギャンギャンワンワンとフェンスや塀の中から吠え立てるのも延々と続いた。確かに番犬としての機能は果たしているのは思うが、見境いがなさすぎる。
お屋敷通りの端のT字路でカミーノ標識が自転車は右、歩きは左と指している。右へ行くと先ほどの幹線道路が今日の目的地Tomarまでずっと続いている。左へ行くと、地図上では小さな村の方向へぐるりと迂回し、Tomarのすぐ手前で幹線道路と合流することになっている。
この時点で十分疲れ切っていたし、足は痛かった。右の幹線道路を行けばストレートなので距離が短いことは短い。ただし歩行者にとって安全快適かは不明。結局、道標やガイドブックが指示する通り左へ行った。
すぐにフェンスに囲まれた広大な牧草地の脇の道路を緩やかに登っていく。牧草地の向こう側の丘の上には村があるようだった。なるほど、昔の旅人はこの村を通り抜けていくことになっていたのか・・・そう納得しながら牧草地をぐるりと半周して丘の上まで行くと、なんとルートは村へ入らず手前で再び下り始めた。「意味ないじゃん!」
そう、村にも教会にも、ましてカフェや店にもまったく接近せずほぼこの広大な牧草地を迂回するためだけに丘一つ上り下りしただけで、再び列車の線路まで戻り、地下のトンネルで線路の向こう側に行って、幹線道路へ出た。本当に、心底、意味なかった。
川沿いの幹線道路上をしばらく進み、遂に今日の目的地Tomarに入った。
車のディーラーや整備やさんがあつまる地区を過ぎる、古い工場の跡地がリノベして再利用されているエリアを抜けると、いきなり観光客風の人々がどっと増えた。ポルトガルの観光地や都市についてまったく下調べせずに「ポルトガルの道」を歩きに来たが、ここに観光客が来るということは大きな古い街なのだろう。
「ポルトガルの道」を歩くハイカーの圧倒的大多数は、もっと北の大都市Porutoからスタートする。それよりも手前でスタートしたい場合は、ここTomarからというのも人気らしい。つまりリスボンからここまでの道程は「まぁとばしてもいいんじゃない?」的扱いなのだが、強硬に異論を唱えるつもりはない。
Tomarでは2夜前のSantarémのような家具付きアパートに滞在した。通りを挟んだ向かい側に小さなスーパーがあり、買い物にも便利だった。チェックイン時にスタッフが他の電話対応をしていてカフェでお茶一杯分待たなければならなかったが、それ以外は設備も何もかもとても良かった。
同じアパートの1階に入っているレストランが口コミで評判もよく、なんと皆「Sushi」や「Tataki」が素晴らしいと褒めている。それは是非ご賞味させていただかねば。
どうやらこの街では高級レストランのカテゴリーに入るようだったが、お値段はオランダなどと比べると遥かに安い。寿司は握りや手巻きと個別に注文もできたが、盛り合わせをオーダーすることにした。ウエイターさんがカトラリーを配膳しに来た時にお箸と共に「ホルダーいりますか?」と聞かれ、何のことかわからず一瞬戸惑う。箸置きのことか?巨神兵が笑って「彼女は日本人だよ、お箸のプロだ」と答え、ようやく日本では乳幼児のお箸練習で使う補助用のホルダーだと判明。確かに西洋の国々でもアジア食材や食器店で売っているのを見た。
お寿司の盛り合わせが運ばれ、ウェイターさんが「お願いがあります。ぜひ日本人として食べた後にどう思ったか忌憚ない意見を下さい」と言うので、心して食べた。
美味しかった。まじで。
まず寿司飯がちゃんとしていた。日本人なら寿司はシャリも重要とわかっているが、他国ではシャリは本当に二の次で、平気で押し寿司のようなシャリが握りのネタの下に入っていたりする。小ぶりの16種類、細巻き以外は全てがいわゆる西洋のアレンジ寿司で普通の握りとは違うが、それでも組み合わせのコンビネーションが日本人の口にも合う良い組み合わせだと思った。
食べ終わり、ウエイターさんに伝えるととても嬉しそうな顔で、「うちは食材も調味料も全て日本人が日本で使うものを日本から取り寄せて作っているんです」と言った。
この店はオーナーもシェフもスタッフもすべてポルトガル人のようだったが、日本食への大きなリスペクトとしっかり研究して、「エセもの」ではなく本物を出そうという気概を感じた。
オランダでの日本食はひどいの一言に尽きる。どこの国でもそうだが「日本食」「寿司」とつけると人気なので、他の国出身の人たちがろくに勉強もせずに上部だけそれっぽくなぞったようなひどい料理を平気で、しかも超高額で出す(物価全体が高いのでしかたがないが)。
そんなわけで他の国でわざわざ日本料理やに入ることはあまり無いのだが、ポルトガルの真ん中で美味しい寿司に出会えたおかげで、今日の疲れ切った30kmの締めくくりがとても良いものとなった。
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