夏の講習会 神武寺〜金毘羅山 植生について
- GPS
- --:--
- 距離
- 2.4km
- 登り
- 104m
- 下り
- 45m
コースタイム
- 山行
- 3:25
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:25
天候 | 晴れ、非常に蒸し暑い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
アクセス |
神武寺駅集合 帰りは、逗子市立池子小学校にて解散 |
写真
感想
夏季に行われた講習会である。さすがに半年以上たったので山行記録として載せてもよいかなと思った。今回のテーマは植生、神奈川県教育委員会より講師が派遣され参加者30名ほどでここを歩き、写真を撮り、話を聞いた。それにしても狭い登山道の中、よく30人近くも歩いたものである。今更ながら「よくやったな」と思う。
まずは、逗子中学校近くで花の撮影、私はミズヒキを気に入り撮影する。その後、老人ホーム「せせらぎ」近くで不整合の説明を受け写真を撮る。ちょうど、池子層と逗子層の不整合が起こっていた。普段ならなんてことなく通り過ぎてしまうものも専門家はそれを見逃さない、自分もそういう目を持ちたいものだ。
三浦半島は2000万年から1500万年前に太平洋の深海底で太平洋プレート上に降り積もった堆積物に由来する。太平洋プレートが海溝において大陸プレートの下に沈み込む際に堆積物は剥離して積み上がり(このような地質構造を付加体という)、約50万年前には海面上まで隆起し、三浦半島や房総半島のもととなった。したがって、その時代時代の地層が非常に細かく分類されている。地質的にはほぼ全域が第三紀層に属する。またおよそ西北西 - 東南東方向に走る衣笠断層帯、北武断層群、武山断層帯、南下浦断層、引橋断層の5箇所の活断層が存在し、三浦半島断層群と呼ばれる。
大きな木が倒れた後、そこには空間ができる。そこを埋めようとする植物たちは太陽の光を浴びる競争をしながら伸びていくのである。明らかにほかの所とは植生が違う。まず低層に緑が生い茂る。少し離れたところは低層はもう緑はない、高層にある木々が日光を奪っていくから低層の植物は生きられないのだ。
そして、中層にはこれから高くなるであろう木々が少しずつ背を高くし始めている。自然の回復力によりこれらの木々はまた高層を覆い、光を独占しようとするのである。数十年後には低層の植物は生きられなくなり、この地を去っていく。しかし、近くでまた大きな木が倒れてこのような空間ができたのであれば、そこに種子が飛び命をつなぐことができる。
弱肉強食という言葉があるが、この太陽光を巡る植物たちの争いもすさまじいものがある。両方とも命のやり取りなのですから・・・。
また、神武寺山門あたりでは、岩にへばりついた木々の観察を行う。残念がら岩に保水能力はほとんどない。雨が降ったときのみ根は水を吸うことができるがそれ以外は水を吸うことができない。その一時吸うことで植物の成長や個体維持に必要な水分を補給することができるのか、それともまだ木が小さいうちはいいが気が高く大きくなっているとやはり限界があるのだろうか・・・。
講師の先生の話では、やはり限界があるそうである。それでも、ここに植物の種がやってきて、発芽し成長する。空間が開けばそこには何かしら植物が侵入する。いやはやいやはや・・・植物も生存競争にさらされているのだなとしみじみ思う。
その後、さまざまなところでいろいろお話を聞きながら神武寺山門まで一気に登る。前回来たときはちょっと呼吸に影響が出て(まあ、いわゆる息が切れて)いたが、今回は全く息が上がらない。しかし、汗はたくさんかいている。近くの人と話をしながらゆっくり上っている。だから、今回のコースタイムは全く持って参考にできない。
「気楽な縦走路 神武寺〜鷹取山 岩登りの風景」
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-376453.html
神武寺駅山門ではイワタバコが見られるとのこと、当日も見えていたらしいが私はイワタバコを知らない・・・。したがって「ここら辺」と言われ写真を撮ったがどれがイワタバコかはわからないのである。
その後、バリエーションルートを通り金毘羅山に行く。講習だと思って普通のスニーカーで来た私、ああ登山靴にすればよかった、ダブルストックがほしかったというようなルートである。滑るし藪だし・・・最後にはしりもちつくし・・・。
それでも、金毘羅山に行ってみると逗子の大展望が見える。逗子の街並みと逗子湾、葉桜団地、イトーピア、二子山(下二子、上二子)池子ヒルズ住宅、アザリエ住宅・・・。知っている人と出なければ来ることができない金毘羅山、なかなかいい風景であった。しかし、「時間がない、行くよー」と言われ池子小学校まで急降下、ここでも非常にスリップしやすい斜面があって、私はしりもちをついてしまう。今となってはしりもちぐらいでよかったなあと思うのであるが、「あっ、お尻土だらけになっちゃた、午後は仕事だしなあ、このまま仕事場に行くのは嫌だなあ。あっ、このお尻で電車に乗るの?シート汚しちゃわないかなあ?」とどんどん考えていたわけである。
その後、池子小学校にて解散。私は電話で急きょ半日休暇を取り、東逗子駅に下り、帰宅した。
夏の暑い日、汗と藪のにおいにまみれた1日であった。
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