記録ID: 590731
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ハイキング
東海
下有知の山王山153m まるまる山135m 小瀬の松尾山140m
2014年10月19日(日) [日帰り]
- GPS
- 16:00
- 距離
- 3.7km
- 登り
- 268m
- 下り
- 247m
コースタイム
下有知の登山口09:50−山王山10:18−鞍部10:30−長良川見晴10:42−堀切−岩場−鞍部−松尾山10:50−松尾山見晴台10:55〜11:20−瀬尻登山口11:30−車道歩き−愛宕神社11:32−八幡神社登山口11:35−下有知登山口12:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
トーエー食品の横にしもうち登山口の駐車場を作りました |
コース状況/ 危険箇所等 |
山歩きを片道だけにしたい場合は瀬尻登山口から瀬尻地区の市道をのんびりと歩いて15分ほどで下有知の登山口に戻る事もできます。 1. 下有知(しもうち)の登山口から登り、山王山−まるまる山−長良川展望地−岩場休憩地−松尾山−松尾山見晴台−八幡神社登山口に降りて車道を歩き下有知登山口の戻ると2時間ほどです 市道を歩かなくて山歩きをしたい場合は、にいったん降りて八幡神社登山口から登りかえしてください。 2. 下有知(しもうち)の登山口から登り、山王山−長良川展望地−岩場休憩地−松尾山−松尾山見晴台−民家脇登山口にいったん降りて−八幡神社登山口から登り−岩場休憩地−堀切−長良川展望地−鞍部−山王山−下有知登山口に帰っても2時間ちょっとです 危険な箇所は有りません、2歳児でも元気に歩けられます。 山王山からは金華山・伊吹山揖斐の山々・能郷白山などが展望出来ます。 山王山から長良川見晴に向かう下りは滑りやすいのでロープを設置しました、注意して下ってください。 要所の看板を設置しましたので迷う事はありません。 2017年6月までに、すべての登山道を整備しました。 松尾山は辺りはきれいに整備されて展望台からは長良川・弥勒寺・瀬尻小学校が展望できます。 |
その他周辺情報 | 山王山にはゆるやかな登山道に四国八十八箇所めぐりが出来るように明治24年に設置された88体の石仏が鎮座されています。 下有知(しもうち)には元重の子孫の兼常が良い刀が出来るようにと1381年に富士浅間大権現に参詣し富士山の土砂を持ち帰り作った冨士塚が近くにあります。 下有知(しもうち)には曽代用水が流れています。 1663年(寛文3年)現在の関市一帯は長良川の水位との差が大きく水不足に悩まされ干ばつがたびたび起り荒れ地となっていました。 この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑はこれを見かねて、地元の豪農の柴山伊兵衛と相談し、長良川上流の曽代地区から水を引く用水を計画しました。 固い岩盤を掘削するため、炭や焚き木の火で岩を焼き水をかけて岩を砕きやすくしてから、たがねと金鎚で掘るという厳しい作業が続き多額の費用がかかり工事費は約5,500両にもなり、三氏は私財を全て使い果たし喜田吉右衛門は離脱し林幽閑も行方知れずとなってしまいましたが、柴山伊兵衛は貧しい小屋に住みながら頑張りとおしました。 そして、着工から10年の歳月を経て、1675年に約17キロメートルわたる用水が完成し、荒れ地だった関市は美しい水田に生まれ変りました。 農民のために曽代用水完成させた喜田吉右衛門 林幽閑 柴山伊兵衛 の三氏の遺徳を偲んで井神社を建立し感謝しています。 |
写真
感想
下有知の里山で長良川を見ながらちょっと歩く簡単なコースです。
ゆるやかな登山道にある88体の石仏を見て山を楽しみ、下山後には富士山の土砂を持ち帰り作った冨士塚、1675年に約5,500両の工事費を費やして完成した約17キロメートルわたる曽代用水を見学してください。
下有知(しもうち)の有知は“知恵のあること 知恵のある者”という意味です。
これは中国の逸話集に有知無知三十里という逸話があり、知恵のある者とない者との差がはなはだしいことのたとえです。
魏の国の楊修(ようしゅう)と曹操(そうそう)が曹娥(そうが)の碑のそばを通ったとき、碑に書いてある文の意味を 楊修はすぐに理解したが曹操は30里行った後にやっとわかったという故事が有ります。
この逸話集の有知無知三十里から有知を引用して下有知が生まれたものと考えられます。
広辞苑 goo辞書より
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