記録ID: 6286746
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ハイキング
伊豆・愛鷹
鷲頭山・徳倉山・志下山・香貫山〜多比から沼津駅まで〜
2023年12月17日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:31
- 距離
- 12.2km
- 登り
- 932m
- 下り
- 921m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:25
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 6:31
距離 12.2km
登り 766m
下り 751m
15:50
ゴール地点
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
全体に縦走した山の山頂近くは直登の急坂で、ロープが張ってありました。下りは慎重に下りた。 |
写真
撮影機器:
感想
箱根峠を車で越えてくると、三島市街の先に低山ながら個性的な山稜のつらなりが目に留まる。ヤマレコの山行記録で、「沼津アルプス」の別名がつけられていることを知って、一度行きたいと思ていた。
調べると、富士の雪景色や駿河湾の海を楽しむなら、初冬がいいとある。
そこで、久しぶりに青春18きっぷで名古屋に帰る機会に、歩いてみようと沼津で途中下車。天気予報では、晴れるが寒くて風が強いとあったが、実際沼津駅でバスの発車を待っていると時々ふらつくほどの強い風である。
登山口の多比にバス行き、確認のため海辺に行くと風が吹き荒れ、海は白波が立っている。これは、一日なかなか厳しい稜線歩きになりそうだと覚悟を決めて歩き始める。
独特の山の姿から頂上部は、いづれも急登だ。しかも登山道がまっすぐつけられているので、指導標にある「ロープ場アリ」の連続である。
樹林帯のところは風の影響も緩和するが、展望が開けたところは、風が半端でない。写真を撮ろうとカメラを構えると、遂にモンベルの帽子が風に飛ばされ、森村誠一の「人間の証明」の麦わら帽子同様になってしまった。これにはさすがに参った。年ととともに髪の毛も薄くなったので、風邪を引いては大変とネックワォーマーをバンダナ風にかぶり、しのぐことに。
色々なことがあったにせよ、海の青、空の青に染められて、白雪の富士とともに山歩きを楽しむことができて、大満足の1日となった。
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https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/bungaku/inoue.htm
井上靖の自伝的な小説に「夏草冬濤」というのがあり、彼が沼津中学校に2年生から卒業まで4年間在籍したときの出来事が描かれているそうです。
どうやら、その時代、友達と千本浜と香貫山を毎日のように歩き回っていたらしい。
今回初めて知ったのですが、若山牧水が一家で沼津に引っ越してきて、初めに好きになったのが香貫山と千本浜だったそうです。
今回訪れた香陵台の歌碑の解説板に次の歌も記載されていました。
「海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ」
「低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ね」
沼津港と御用邸記念公園にしか行ったことのなかった私にとって、新しい発見でした。
井上靖の「あすなろ物語」だと思います。あすなろの名前の由来、明日は檜になるということが印象的でした。その後何故かあすなろとは青森ヒバのことだと勝手に考えて、まな板や自宅の構造材の一部として利用しました。妙な思い入れでした。
ところで若山牧水といえば、かつて職場が九州だった時に、宮崎の大崩山周辺が好きで何回か訪れたことがありました。延岡を通過する時の往復の車内から見た「若山牧水の生家」の道路標識を覚えています。当時若山牧水には格段の興味もなかったものの、彼の故郷を知ることができました。
その後40年、実家で元気だった母親が肺炎で倒れ入院、回復したものの自宅での車椅子生活となってしまいました。数年後肺炎で再び倒れ入院、徐々に進行していた骨粗鬆症に起因する圧迫性骨折の痛みも強く、自宅での生活は断念、老人介護施設その後特別養護老人ホームにお世話になることになりました。
特別養護老人ホームなどは必ずしも交通が便利でない地域も多いのですが、反面田園風景を楽しむことができます。そのため天候がいい時には、車椅子で散歩に連れ出しすことが楽しみになりました。
所沢郊外の特別介護老人ホームにお世話になっていた時の車椅子散歩の路すがら、若山牧水の歌碑に気づいきました。延岡で生まれ当時何もないような所沢の郊外にも歌碑を残した繋がりを不思議に感じたものの、歌人はいろいろな地域を訪れ歌を残すのだろうと考えていた。
以下に歌碑の由来が記載されていました。牧水の祖父の故郷だということですが、記載されている歌については以下のように述べられています。
秩父に比べて当時の所沢近郊はいわゆる武蔵野の奥まった地域だったと想像します。
【この歌は牧水が秩父を訪れたときに詠んだ歌で、文字は牧水の筆からとったものです】
若山牧水歌碑除幕式
https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/rekishi/shashinuturikawari/tomioka/tm09.html
一方延岡の若山牧水生家は、牧水の祖父である若山健海が江戸末期に建築したものだそうです。
https://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/1967
改めて所沢に生まれ宮崎に暮らした若山健海の行動を確認すると、非常に興味を惹かれました。
以下などが参考になりました。
幕末維新期に種痘の普及に献身した医師たち~一地方医若山健海の活動を辿って~
http://home.b05.itscom.net/kisoh/hyoron.health1.html
若山健海と『種痘人名録』について
http://jshm.or.jp/journal/64-2/64-2_ip88.pdf
参考まで
「あすなろ物語」についは、私は教科書で触れただけで終わりました。しかし、主人公の名前が鮎太であることと小説の舞台が伊豆であったイメージが強烈に残っています。
また、若山牧水の最初の思い出は、私が子供の頃に母親がよく「白鳥は哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」という短歌を歌っていたことです。調べてみると、1947年に小関裕而が曲をつけて発表したことが分かりました。この歌については、藤山一郎と松田トシの歌声をYouTubeで聞くことができます。
山との関連では、牧水が大正12年(1923)11月に信州の梓山から十文字峠を秩父の栃本に越えた時の旅が印象的です。なぜなら、私も20代に同じ7里の旅程を秩父の栃本に越えたことがあり、最も思い出深い峠越えの山行だったからです。
牧水は、この時の様子を『木枯紀行』の中で描いているのですが、この旅全体が実に牧水の面目躍如たるものだったことに興味惹かれました。
この旅の目的は、信州在の歌友との年に一度の交遊に北八ヶ岳山麓の松原湖に行くことだった様ですが、沼津から17日かけて気ままな旅を続けています。具体的には、御殿場から富士山麓の河口湖、西湖、精進湖を経て女坂峠、左右口峠を越えて甲府に。それから小渕沢で歌友の一人と落ち合い、松原湖はじめあちこちで交遊を深め、最後に地元の案内人と一緒にひとり十文字峠を越え、更には三峰山まで登って東京経由で沼津に戻っていることです。
精神的に若いのか、こんな旅を38歳の大人がしていること自体、私にとっては驚きです。それにしても、毎日酒の飲みすぎです。この5年後に亡くなったのは、実に残念な気がしました。
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