記録ID: 6348671
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ハイキング
東海
熱田神宮の歴史と日本武尊の兄弟
2024年01月06日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 02:46
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 90m
- 下り
- 94m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:06
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 6:44
距離 5.9km
登り 98m
下り 107m
古代史オタクの友人の案内でヤマトタケル、草薙剣、熱田神宮関連を1日で回った 古代のあの頃のことが何となく頭に入ってきた 私の興味は大和政権に抹殺された太古の磐座やアラハバキだったが古墳時代にも興味がわいてきた。
公開したらタイムゾーンがでたらめとの指摘があり、訂正しました。ヤマレコなしで歩いたので山行記録を一から作成。初めての作業なので時間がかかり手を抜いたところを鋭く突かれました。説明看板からの字起こしはjpg画像をGoogle drive に取り込みアプリ、Google documents でテキストに変換し十分チェックする。案内人の説明は殆ど頭から抜けているので思い出すキーワードで検索。丸1日没頭しました。
猿投山付近の人がタイトルに絡んでいないことに不満があるようなのでタイトルを訂正しました。
公開したらタイムゾーンがでたらめとの指摘があり、訂正しました。ヤマレコなしで歩いたので山行記録を一から作成。初めての作業なので時間がかかり手を抜いたところを鋭く突かれました。説明看板からの字起こしはjpg画像をGoogle drive に取り込みアプリ、Google documents でテキストに変換し十分チェックする。案内人の説明は殆ど頭から抜けているので思い出すキーワードで検索。丸1日没頭しました。
猿投山付近の人がタイトルに絡んでいないことに不満があるようなのでタイトルを訂正しました。
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
斎山稲荷神社(いつきやまいなりしゃ) 祭神として宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀る。皇女のうちから任ぜられた伊勢神宮の宮司を「斎宮(いつきのみや)」といい、宮簀媛命もまた「斎宮」と称されたことから、宮簀媛命を祀る当社も「斎宮」と呼ばれた。
ヤマトタケルから 草薙剣を託された 「宮簀媛命」 が自らの屋敷内で草薙剣を奉安してきたが、 幾年か経過 し、このまま自分一人で奉安し続けることはできないと、 草薙剣を安置する場所を探 し、社を建立し御祭神として祀ったのが 「熱田神宮」
氷上姉子神社
熱田神宮摂社で祭神宮簀媛命を祀る。「寛平熱田縁起」によれば、日本武尊を、建稲種命(たけいなだね)が火上(現大高町)にお迎えした時、妹の宮簀媛を妃とされ、東征の帰途にも立寄られ、草薙剣を留められたという。仲哀天皇四年、館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で、持統天皇四年(690)に現在地に移ったといわれる。 名古屋市教育委員会
熱田神宮摂社で祭神宮簀媛命を祀る。「寛平熱田縁起」によれば、日本武尊を、建稲種命(たけいなだね)が火上(現大高町)にお迎えした時、妹の宮簀媛を妃とされ、東征の帰途にも立寄られ、草薙剣を留められたという。仲哀天皇四年、館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で、持統天皇四年(690)に現在地に移ったといわれる。 名古屋市教育委員会
【七里の渡しと熱田神宮編】
氷上姉子神社から七里の渡し船着場跡へ移動し駐車 この辺り一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれていました。東海道随一の宿場町「宮宿」と、現在の桑名市「桑名宿」を海上航路で結ぶ「七里の渡し」の船着場があった場所。この海上航路が正式な東海道です。
氷上姉子神社から七里の渡し船着場跡へ移動し駐車 この辺り一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれていました。東海道随一の宿場町「宮宿」と、現在の桑名市「桑名宿」を海上航路で結ぶ「七里の渡し」の船着場があった場所。この海上航路が正式な東海道です。
松尾芭蕉と七里の渡し
松尾芭蕉(1644-1694)は、日本を代表する俳人で、「野ざらし紀行」「おくの細道」や「古池や蛙飛び込む水の音」などの句が有名です。
旅の初期に熱田に度々訪れ、林桐葉(現熱田神宮南門付近)の計らいで、名古屋、鳴海の門人達と交流。七里の渡しから舟遊びで、あゆち潟(愛知の語源)を楽しみ、熱田三歌仙を残しました。
「この海に草鞋捨てん 笠しぐれ」 妙安寺石碑
「海暮れて鴨の声 ほのかに白し」 妙安寺石碑 五・五・七
「なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草」宮中学校石碑
この舟遊びで五五七の歌などを開拓し、生涯作風が十二たび変化する 「芭蕉の時代」となるきっかけが生まれました。後に 名古屋が「蕉風発祥の地」と言われる由縁です。
また、熱田神宮が「蓬莱宮」と読んだのに因み、芭蕉は名古屋を (京都から見て) 蓬左として、書状などに度々使っています。
松尾芭蕉(1644-1694)は、日本を代表する俳人で、「野ざらし紀行」「おくの細道」や「古池や蛙飛び込む水の音」などの句が有名です。
旅の初期に熱田に度々訪れ、林桐葉(現熱田神宮南門付近)の計らいで、名古屋、鳴海の門人達と交流。七里の渡しから舟遊びで、あゆち潟(愛知の語源)を楽しみ、熱田三歌仙を残しました。
「この海に草鞋捨てん 笠しぐれ」 妙安寺石碑
「海暮れて鴨の声 ほのかに白し」 妙安寺石碑 五・五・七
「なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草」宮中学校石碑
この舟遊びで五五七の歌などを開拓し、生涯作風が十二たび変化する 「芭蕉の時代」となるきっかけが生まれました。後に 名古屋が「蕉風発祥の地」と言われる由縁です。
また、熱田神宮が「蓬莱宮」と読んだのに因み、芭蕉は名古屋を (京都から見て) 蓬左として、書状などに度々使っています。
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 熱田神宮境内には本宮を始めとして別宮1社・摂社8社・末社19社が、境外には摂社4社・末社12社があり、合わせて45社(本宮含む)を祀っている。
清雪門 一本宮の北門と伝えられ俗に不開門(あかずのもん)といって堅く閉 ざされている 天智天皇七年(668)故あって皇居に留まられた神剣が朱島元年(681)再び当神宮に納められた折 二度と御動座なきよう門を閉ざしたという故事による
一之御前神社 天照大神の荒魂をお祀りします
神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和魂」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、活動的勇猛的なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを「荒魂」と申します。
神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和魂」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、活動的勇猛的なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを「荒魂」と申します。
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