京の冬の旅 非公開文化財特別公開・仁和寺金堂(裏堂)&周辺散策



- GPS
- 02:29
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 22m
- 下り
- 41m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年02月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
https://aitrec.jp/TagengoPJ/Kyoto/VR/ninnaji/kondo/kondo.html
感想
仁和寺・・・。
最近でこそ早朝散歩しないけれど良く散歩していたところ。
金堂の中にこんな立派な仏像、壁画があったなんてびっくりです♫
拝観料は決して安くはなかったけれど・・・。
こんなに身近なところご近所で鑑賞できるなんて幸せです。
京都に住んでいて良かったと思うこの頃です。
交通費、宿泊代・・・。
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お坊さんのガイド、とても良かったです。
仁和寺
◆本尊阿弥陀三尊
真言宗御室派の総本山。山号は大内山。世界遺産(文化遺産)。仁和四年(八八八)に宇多天皇が、前年に崩御した父の光孝天皇の遺志を継いで創建。
宇多上皇は昌泰二年(八九九)に東寺の益信を戒師として出家し、御室(僧房)を建てた。これが御室の地名の由来で、寺名は創建時の年号にちなむ。代々の法親王が門跡となって諸宗の本山を統轄する最高位についた。覚行は白河天皇の皇子で、最初の法親王とされる。平安から鎌倉時代には、東密(真言宗に伝わる密教)の事相(修法や修験などの実践面のこと)である広沢流の正系として隆盛したが、応仁・文明の乱で衰退、寛永年間(一六ニ四〜四四)に徳川幕府の援助を受け再輿した。
明治三十三年(一九〇〇)真言宗御室派として独立したが、大正十四年(一九二五)大覚寺、高野山と合同して古義真言宗となり、さらに昭和二十一年(一九四六)分派して御室派の総本山となった。明治維新の際、純仁法親王が還俗して以来、皇族出身の門跡は断絶した。
金堂(国宝)は慶長十八年(一六一三)造営の内裏紫寝殿を寛永年間の再興時に移築したもの。この他、慶長年間(一五九六〜一六一五)に造営された内裏の遺構としては、御影堂(重要文化財)が清涼殿の古材を用いており、本坊表門(重要文化財)が台所門を移築したものである。五重塔(重要文化財)は寛永二十一年の建立で、二王門(重要文化財)も同時期の建築。この他に観音堂・中門・鐘楼.経蔵・御影堂中門・九所明神本殿(いずれも重要文化財)などがあり、また遼廓亭・飛濤亭(ともに重要文化財)という著名な茶室もある。仏像彫刻は、金堂の旧本尊と伝えられる阿弥陀三尊像(国宝)の他、北院の本尊であった薬師如来坐像(国宝)は、長く秘仏とされ、昭和六十一年(一九八六)に初めて開扉された仏像である。この他空海(弘法大師)が唐から請来した「三十帖冊子」(国宝)を納めた宝相華迦陵頻伽蒔絵 冊子箱(国宝)は、如意宝珠を納める宝相華蒔絵宝珠箱(国宝)とともに、平安時代前期蒔絵の典型的様式を示すものとして知られている。また、一帯は「仁和寺御所跡」として国の史跡に指定されており、遅咲きで有名な御室桜は国の名勝に指定されている。 北西の成就山には、四国の八十八ヵ所霊場を縮小した「成就山八十八ヵ所霊場」と呼ばれる巡拝コースがあり、市民に親しまれている。
(京都検定テキスト)
資料
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/9e86fa03bf3d0e305311b2c549e190e7
コメント
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桜の開花も早そう・・・
仁和寺は行けそうで行ってないです、やっぱり遠いです。
いつも境内にミツバツツジが咲きます♫
忘れていました(-_-;)
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