記録ID: 6574689
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ハイキング
箱根・湯河原
湯坂山・石垣山
2024年03月21日(木) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:16
- 距離
- 26.7km
- 登り
- 712m
- 下り
- 1,219m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:45
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 7:14
距離 26.7km
登り 713m
下り 1,219m
15:06
ゴール地点
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
| 南武線(川崎行) 10.6km 1・4・5号車 | 04:59-05:15[16分] | 230円 ◇登戸登戸 1・2番線発 | 小田急線各停(伊勢原行) 37.0km | 05:30-06:20[50分] | 743円 ◇伊勢原 1・2番線発 [乗換1分+待ち4分] | 小田急線急行(小田原行) ↓ 前 | 06:25-06:57[32分] ◇小田原 [乗換1分+待ち0分] | 箱根登山線(箱根湯本行) 13.4km | 06:58-07:14[16分] | 710円 ◇箱根湯本 [乗換1分+待ち3分] | 箱根登山線(強羅行) ↓ | 07:18-07:49[31分] ■小涌谷 =========== 山歩き =========== ■国府津 | 湘南新宿ライン特別快速(高崎行) 63.8km 前方 | 15:10-15:59[49分] | 1,342円( 普通車 ) ◇武蔵小杉 4番線着・2番線発 [乗換7分+待ち3分] | 南武線快速(立川行) 20.4km | 16:09-16:36[27分] ■府中本町 4番線着 交通費合計:3025円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
小涌谷駅から箱根湯本駅まで:よく整備されたハイキング道。朝は霜柱ザクザク。 10時過ぎから溶けて泥濘が滑るけど問題なし。 箱根湯本駅から入生田駅(地球博物館):車道歩き。観光客と自動車で混雑。 入生田駅から国府津駅:車道歩き。問題なし。 |
その他周辺情報 | 1)神奈川県立生命の星・地球博物館:国民の祝日等の翌日(土曜日、日曜日または国民の祝日等にあたるときを除く)は休館のため、入館できなかった。残念。 2)弥坂湯:木曜定休のため入湯できなかった。残念。 |
写真
+3℃ 車道とハイキング道を通って「千条の滝」(ちすじのたき)に到着。水面から気嵐っぽい川霧(蒸気霧)が出ているけど、写真にはうまく写らない。
以下、説明看板の写し。
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この滝は、水が千の糸となって流れ落ちる様子から千条の滝(ちすじのたき)と呼ばれています。幅20m、高さ3m程の滝で、苔むした岩肌をよく観察すると、角の取れた大小様々な石ころが集まった岩塊を円礫岩(えんれきがん)といい、滝の水は、古い中央火口丘の鷹ノ巣山や新しい中央火口丘の丸山などの山の伏流水で、この円礫岩の上から流れ落ちています。この円礫岩は、土石流を起源とする堆積物です。大雨や山の斜面の崩壊により発生した土石流が渓流を流れ、その勢いある水の流れの中に取り込まれていた土砂が堆積したものです。
以下、説明看板の写し。
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この滝は、水が千の糸となって流れ落ちる様子から千条の滝(ちすじのたき)と呼ばれています。幅20m、高さ3m程の滝で、苔むした岩肌をよく観察すると、角の取れた大小様々な石ころが集まった岩塊を円礫岩(えんれきがん)といい、滝の水は、古い中央火口丘の鷹ノ巣山や新しい中央火口丘の丸山などの山の伏流水で、この円礫岩の上から流れ落ちています。この円礫岩は、土石流を起源とする堆積物です。大雨や山の斜面の崩壊により発生した土石流が渓流を流れ、その勢いある水の流れの中に取り込まれていた土砂が堆積したものです。
±0℃ 鷹ノ巣山(834m)に到着。ベンチ奥に見えるのは鷹巣城跡の看板。以下に写す。
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鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。
天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。
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鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。
天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。
浅間山の山頂標。804mと記述がある。三等三角点の801.52mは2014年4月11日の測定登録なので、昔はもっと高かったのかと思い調べてみた。1981年版「東京付近の山」では浅間山は802mと記されている。(東京付近の山は、標高を小数点第1位を四捨五入して整数表現している。)浅間山が低くなったのではなく、この看板が間違えているのだろう。
湯坂山、三等三角点【第二城山】546.75mにタッチ。
東京周辺の山350 130/350座目
東京周辺の山350(2010年) 284/716座目
山登り365日 111/286座目
東京周辺の山350 130/350座目
東京周辺の山350(2010年) 284/716座目
山登り365日 111/286座目
三等三角点【第二城山】は、湯坂路の進行方向左(北)へ箱根竹の笹藪を入ったところにある。三角点まで笹薮を歩くちょっとの間にスカシダワラを3個見つけた。楠蚕(クスサン)やシラガタロウ(クスサンの芋虫)をまだ見たことがない。こんなにゴロゴロとスカシダワラがあるのなら、時期を合わせて幼虫や成虫を見るためにまたここに来たい。
【参考】
白髪太郎(シラガタロウ)が見られる時期 5-7月(年1化)
楠蚕(クスサン)が見られる時期 9-10月
【参考】
白髪太郎(シラガタロウ)が見られる時期 5-7月(年1化)
楠蚕(クスサン)が見られる時期 9-10月
+8℃ 湯坂城址通過。以下、説明看板写し。
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今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を抑えるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防御の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。
当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や、郭を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。
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今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を抑えるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防御の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。
当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や、郭を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。
箱根戊辰戦争(1868.05.26)の山崎古戦場記念碑。ここの戦闘で遊撃隊の伊庭八郎は左手首を失う。その後、遊撃隊は箱根から鞍掛山を抜けて熱海へ出て榎本艦隊で館山港へ脱出する。
源頼朝が土井城と箱根神社を大観山経由で歩いているのもキツイルートだけど、遊撃隊の箱根関所から鞍掛山経由で熱海に逃げるルートもハードだ。いつかルートを辿ってみたい。
源頼朝が土井城と箱根神社を大観山経由で歩いているのもキツイルートだけど、遊撃隊の箱根関所から鞍掛山経由で熱海に逃げるルートもハードだ。いつかルートを辿ってみたい。
入生田の「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に寄る。「国民の祝日等の翌日」は休館日とのことで入れなかった。残念。次は開館日を確認してから来ようと思う。ここから早川を渡り石垣山へ向かう。
石垣山城 本丸から小田原城を望む。(赤丸が小田原城天守閣)
関東の連れ小便はここが発祥の地。秀吉と家康が小田原城を見ながら並んで用を足し、そのついでに関東移封を伝えたといわれている。
関東の連れ小便はここが発祥の地。秀吉と家康が小田原城を見ながら並んで用を足し、そのついでに関東移封を伝えたといわれている。
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