金昌寺の駐車場からスタートしてすぐの七社権現。石燈籠「文政十三年庚寅五月(1830)」
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3/24 14:07
金昌寺の駐車場からスタートしてすぐの七社権現。石燈籠「文政十三年庚寅五月(1830)」
巡礼道標「天下泰平 右 四番 左 二番」
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3/24 14:10
巡礼道標「天下泰平 右 四番 左 二番」
秩父路に春を告げる山田の春祭り(恒持神社例大祭)、3月第2日曜日、今年は3月10日でした。
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3/24 14:10
秩父路に春を告げる山田の春祭り(恒持神社例大祭)、3月第2日曜日、今年は3月10日でした。
もう50年以上前ですが、何度か入浴に来た事があります。その当時は本当に昔ながらの鉱泉宿って感じでした。
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3/24 14:14
もう50年以上前ですが、何度か入浴に来た事があります。その当時は本当に昔ながらの鉱泉宿って感じでした。
新木鉱泉の送迎バス越しの高篠山
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3/24 14:15
新木鉱泉の送迎バス越しの高篠山
「村社恒持神社」社号標、鳥居前の石燈籠は「文化十四丁丑歳八月吉祥日(1817)」
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3/24 14:21
「村社恒持神社」社号標、鳥居前の石燈籠は「文化十四丁丑歳八月吉祥日(1817)」
祭神は水の神で高篠山山頂近く清水の湧く所に竜神社を祀り雨乞を行った。
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3/24 14:23
祭神は水の神で高篠山山頂近く清水の湧く所に竜神社を祀り雨乞を行った。
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3/24 14:24
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石燈籠「天保十二辛丑歳七月(1841)」火袋、屋根は傍らに放置プレイ。
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石燈籠「天保十二辛丑歳七月(1841)」火袋、屋根は傍らに放置プレイ。
恒持神社社殿。恒望王が讒言で武蔵国に左遷され、後に誤解が解け改めて武蔵権守に任ぜられ際にその官舎が置かれたのがこの地だという。
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3/24 14:26
恒持神社社殿。恒望王が讒言で武蔵国に左遷され、後に誤解が解け改めて武蔵権守に任ぜられ際にその官舎が置かれたのがこの地だという。
御由緒
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3/24 14:26
御由緒
扁額は「恒持大明神」
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3/24 14:29
扁額は「恒持大明神」
境内社の諏訪神社本殿の彫刻
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3/24 14:30
境内社の諏訪神社本殿の彫刻
裏手に「辨才天」
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3/24 14:31
裏手に「辨才天」
かつての別當松本院(本山修験今宮坊配下)の増崇品塔がありました。また、神社西側の台地は丹党一族の関口氏の館跡だそうです。
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かつての別當松本院(本山修験今宮坊配下)の増崇品塔がありました。また、神社西側の台地は丹党一族の関口氏の館跡だそうです。
山田橋、かつて『思い橋』というドラマの舞台になりました。キャストは旅館の女将に淡島千景、その娘姉妹に上村香子、松坂慶子、東京から来た青年藤岡弘という布陣でした。
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3/24 14:37
山田橋、かつて『思い橋』というドラマの舞台になりました。キャストは旅館の女将に淡島千景、その娘姉妹に上村香子、松坂慶子、東京から来た青年藤岡弘という布陣でした。
老舗旅館の買収に来た藤岡がその身分を隠して逗留し繰り広げられる人間模様。横瀬川と当時は木造だった『ホテル美やま』。主題歌の♪夢は流れて、は今でも歌えますぅ。
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3/24 14:37
老舗旅館の買収に来た藤岡がその身分を隠して逗留し繰り広げられる人間模様。横瀬川と当時は木造だった『ホテル美やま』。主題歌の♪夢は流れて、は今でも歌えますぅ。
車道歩きを終え、ここから山道に入ります。
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3/24 14:44
車道歩きを終え、ここから山道に入ります。
地形図の破線道を辿ると、造成地に出てしまいそうなので、
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3/24 14:48
地形図の破線道を辿ると、造成地に出てしまいそうなので、
斜面を這い上がり尾根筋に乗りました。
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3/24 14:55
斜面を這い上がり尾根筋に乗りました。
造成地との境界は厳重な金網。それに沿ってわずかな隙間を進みます。
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3/24 15:00
造成地との境界は厳重な金網。それに沿ってわずかな隙間を進みます。
ゴミの最終処分場のようでした。その向こうには横瀬二子山・武川岳、そして武甲山。
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3/24 15:01
ゴミの最終処分場のようでした。その向こうには横瀬二子山・武川岳、そして武甲山。
グリチャミのベッド。猛烈な笹藪を目前にして一服します。
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3/24 15:04
グリチャミのベッド。猛烈な笹藪を目前にして一服します。
そして「山田」標高=285.81 m三等三角点
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3/24 15:09
そして「山田」標高=285.81 m三等三角点
西進すると下降の道形があったので、それを行くと
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3/24 15:17
西進すると下降の道形があったので、それを行くと
聖地公園の一画に出ました。こちらの桜もきれいですが全然ですね。武甲山
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3/24 15:22
聖地公園の一画に出ました。こちらの桜もきれいですが全然ですね。武甲山
こちらは両神山
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3/24 15:22
こちらは両神山
マイフェイバリット三山。毘沙門と小鹿野二子山が御荷鉾風に見えます?
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3/24 15:24
マイフェイバリット三山。毘沙門と小鹿野二子山が御荷鉾風に見えます?
三番峠の道
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3/24 15:26
三番峠の道
秩父札所三番 岩本山常泉寺 こちらの観音堂は明治三年秩父神社の薬師堂を移築したもの。
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3/24 15:35
秩父札所三番 岩本山常泉寺 こちらの観音堂は明治三年秩父神社の薬師堂を移築したもの。
龍の彫り物
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3/24 15:35
龍の彫り物
霊験記 本尊聖観音は拝見できませんが、長命水、子持石、不睡石は近くに御座いました。
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3/24 15:36
霊験記 本尊聖観音は拝見できませんが、長命水、子持石、不睡石は近くに御座いました。
常泉寺今昔。何と当初は高篠山の中腹の岩窟に観音様が安置され、天台系の修験者により開創されたそう。またしても高篠山。これは気になりますね。
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3/24 15:36
常泉寺今昔。何と当初は高篠山の中腹の岩窟に観音様が安置され、天台系の修験者により開創されたそう。またしても高篠山。これは気になりますね。
こちらにもモヤモヤした記載があります。
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3/24 15:37
こちらにもモヤモヤした記載があります。
海老虹梁
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3/24 15:39
海老虹梁
高篠山、何かと奥深いお山のようです。
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3/24 15:40
高篠山、何かと奥深いお山のようです。
不睡石と青面金剛庚申塔
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3/24 15:41
不睡石と青面金剛庚申塔
への字口がいい味だしております。「元文五歳庚申三月吉日(1740)」
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3/24 15:42
への字口がいい味だしております。「元文五歳庚申三月吉日(1740)」
旧増上寺石燈籠。「文昭院殿(六代家宣)尊前…従五位下堀田豊前守紀正休」
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3/24 15:45
旧増上寺石燈籠。「文昭院殿(六代家宣)尊前…従五位下堀田豊前守紀正休」
長命水、碑の前に手押しポンプがあります。飲料不適。
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3/24 15:46
長命水、碑の前に手押しポンプがあります。飲料不適。
子持石
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3/24 15:47
子持石
巡礼道標「四番道」こちらは心求(高橋㐂兵衛)、はまを願主に元禄、宝永年間に建てられたもの。施主は江戸の方みたい。
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3/24 15:50
巡礼道標「四番道」こちらは心求(高橋㐂兵衛)、はまを願主に元禄、宝永年間に建てられたもの。施主は江戸の方みたい。
心求はま巡礼道標「右四番道」施主は「上野國邑楽郡舘林領」の方々。
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3/24 15:52
心求はま巡礼道標「右四番道」施主は「上野國邑楽郡舘林領」の方々。
横瀬川を渡りかえします。♪何処に流れて 何処に帰るの
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3/24 15:57
横瀬川を渡りかえします。♪何処に流れて 何処に帰るの
新木鉱泉の道案内役の地蔵さん。
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3/24 15:59
新木鉱泉の道案内役の地蔵さん。
その先には心求はま巡礼道標と覆屋
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3/24 16:00
その先には心求はま巡礼道標と覆屋
中には、素朴な如意輪観音2体と
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3/24 16:02
中には、素朴な如意輪観音2体と
釈迦如来らしい石造、何れも素朴な味わい。「道中気をつけて!」のメッセージカードもありました。
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3/24 16:02
釈迦如来らしい石造、何れも素朴な味わい。「道中気をつけて!」のメッセージカードもありました。
ここにも心求はま巡礼道標「右 五番道 左 四番道」施主は江戸新橋?の方々。
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3/24 16:04
ここにも心求はま巡礼道標「右 五番道 左 四番道」施主は江戸新橋?の方々。
またまた心求はま巡礼道標「左 四番道」施主は「江戸馬喰丁三丁目」の方
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3/24 16:07
またまた心求はま巡礼道標「左 四番道」施主は「江戸馬喰丁三丁目」の方
「念佛講中 願主 心求 はま」
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3/24 16:08
「念佛講中 願主 心求 はま」
心求はま巡礼道標「右 二番 左 五番 道」施主は「生国秩父□住神奈川」秩父生まれで神奈川に住んでらっしゃる方かな?この後全く逆パターンの方と出会うことになります。
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3/24 16:10
心求はま巡礼道標「右 二番 左 五番 道」施主は「生国秩父□住神奈川」秩父生まれで神奈川に住んでらっしゃる方かな?この後全く逆パターンの方と出会うことになります。
秩父札所四番高谷山金昌寺、山門には本物の大草鞋、鉄製ではありません。
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3/24 16:11
秩父札所四番高谷山金昌寺、山門には本物の大草鞋、鉄製ではありません。
旧増上寺石燈籠「文昭院殿(六代家宣)尊前…従五位下細川伊豆守源有清」小っちゃい方は銘が消されていて正体不明
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3/24 16:11
旧増上寺石燈籠「文昭院殿(六代家宣)尊前…従五位下細川伊豆守源有清」小っちゃい方は銘が消されていて正体不明
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3/24 16:13
霊験記 巡礼娘に身を変えた観音様が悪人新木丹下を改心させる
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3/24 16:14
霊験記 巡礼娘に身を変えた観音様が悪人新木丹下を改心させる
さすが石仏の寺
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3/24 16:16
さすが石仏の寺
観音堂前には石造の奪衣婆
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3/24 16:16
観音堂前には石造の奪衣婆
その隣に対照的な子育(慈母)観音。寛政四年(1792)、江戸の商人が亡き妻と娘の供養で奉納されたそう。
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3/24 16:17
その隣に対照的な子育(慈母)観音。寛政四年(1792)、江戸の商人が亡き妻と娘の供養で奉納されたそう。
台座の蓮華も上向きと下向きが組み合わされていて大変凝っています。「寛政四癸丑年」とありますが干支に誤りがあるようです。
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3/24 16:18
台座の蓮華も上向きと下向きが組み合わされていて大変凝っています。「寛政四癸丑年」とありますが干支に誤りがあるようです。
こちらが正しい干支「寛政四壬子年五月吉辰」
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3/24 16:19
こちらが正しい干支「寛政四壬子年五月吉辰」
蓮葉の先に蛙
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3/24 16:20
蓮葉の先に蛙
城峯山の下方に常泉寺が見えます。山田山あたりも見えてるかも?こちらに母方の祖父母が眠っております。
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3/24 16:25
城峯山の下方に常泉寺が見えます。山田山あたりも見えてるかも?こちらに母方の祖父母が眠っております。
奥ノ院には弘法大師座像と
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3/24 16:28
奥ノ院には弘法大師座像と
薬師如来立像、その脇に目に効くと言われる霊泉が湧いています。
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3/24 16:28
薬師如来立像、その脇に目に効くと言われる霊泉が湧いています。
谷筋の大日様。この後駐車地に戻ってゴールです。
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3/24 16:29
谷筋の大日様。この後駐車地に戻ってゴールです。
それでは私も改心すべく一浴します。文政十年(1827)、おきくばあさんが恒持神社のお導きで見つけたという御代の湯。
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3/24 16:50
それでは私も改心すべく一浴します。文政十年(1827)、おきくばあさんが恒持神社のお導きで見つけたという御代の湯。
新木鉱泉の提灯に明りが灯りましたね。御入浴12〜21時(受付20時まで)平日900円、土日祝1000円。ロッカーは100円必要です。
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3/24 16:51
新木鉱泉の提灯に明りが灯りましたね。御入浴12〜21時(受付20時まで)平日900円、土日祝1000円。ロッカーは100円必要です。
静かに長湯ができ満足しました。
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3/24 19:07
静かに長湯ができ満足しました。
以前通りがかりに偶然見つけ気になっていた『カレーのスーさん』(埼玉県秩父市大野原530-1)地元の方でないとなかなか通らない道沿いにあります。営業時間を過ぎていましたが、お声をかけたらOKとのこと。
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以前通りがかりに偶然見つけ気になっていた『カレーのスーさん』(埼玉県秩父市大野原530-1)地元の方でないとなかなか通らない道沿いにあります。営業時間を過ぎていましたが、お声をかけたらOKとのこと。
カツカレー(1000円)シンプルですか後を引くお味でした。相模原出身のまだお若いオーナーが何の縁もゆかりもない当地で開業したそうです。
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3/24 19:31
カツカレー(1000円)シンプルですか後を引くお味でした。相模原出身のまだお若いオーナーが何の縁もゆかりもない当地で開業したそうです。
手持ちのお土産品。やはり本物の優美さはありませんが、観光ブームだった際のレトロ感はあるかな。
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手持ちのお土産品。やはり本物の優美さはありませんが、観光ブームだった際のレトロ感はあるかな。
秩父を歩いたとき、願主 心求・はまの道標は目にしたのですが、施主まで気にしてみてませんでした。みんなスポンサーが違うとは!それを見つけて面白いと思えるところが、さすがです。心求、はま、おふたりの人徳はすごかったんですね。どんな方であったか気になります。心求、はまのお名前は、札所9番明智寺にある文塚にある石碑にもありました。道標だけでなく、いろんなところにあるかもです。
山田の春祭りの笠鉾、いいですよね。実物は白い花のようですが、見たことない私にはアカヤシオに見えます。そして、アカヤシオは笠鉾に見えます。
確かに笠鉾ってアカヤシオが咲いたような感じですね!さすがの目の付け所です。
アカヤシオと言えば今年は何だか裏年みたいですね。それでも咲かない年はないでしょうから、西上州の開花が楽しみですね。それでは。 dodohan
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