【越美国境】西高倉谷 探索 (明治期石積堰堤と新緑の谷)
- GPS
- --:--
- 距離
- 12.2km
- 登り
- 853m
- 下り
- 846m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス | 高倉谷沿いの林道の西高倉谷・東高倉谷二俣の手前付近にある路肩に駐車。高倉谷沿いの林道は舗装されているが,狭路が続き駐車スペースはあまりない。なお,西高倉谷沿いの林道は車での進入困難。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・ 西高倉谷の上流域(小草・大草堰堤や樹林の美しい源流域)へのアプローチとしては,谷通しに行くよりも,東高倉谷の林道を車で廃村高倉まで入り,そこに車を置いて廃林道伝いに小さな鞍部を越えて西高倉谷の流域に入ったほうが効率的。西高倉谷の下流域で見るべきものは出合付近の西高倉堰堤(明治期造成,登録有形文化財)くらいで,あとは巨大な堰堤がいくつかできていて通過に苦労するばかり。 ・ 今回入渓した西高倉谷は,谷自体に大きな困難はないので,沢足袋or沢靴さえあれば何とかなる。 |
写真
感想
今回もマイナー谷。越美国境の古峠,高倉峠の福井県側にある高倉谷である。
ネット上には東高倉谷の枝谷の遡行記録が一本あるくらいで,福井岳人倶楽部の「越の谷」にも記録がない。しかし,山域的に小粒でも険谷ぞろいの大河内川に隣接しており,地形図を見ても水線がイイ感じのうねり方をしているので,何だか期待できそうな気がしていた。
実際に入渓してみると,最大5mほどの小滝が出てくるくらいで大きな滝場はなく,ちょっと期待外れ。しかし,源流域は素晴らしい樹林に包まれ,どこまでも清澄な流れが美しく,水もおいしかった。このへんはさすが越美国境の谷である。
ところで,高倉谷といえば明治期の石積み堰堤。といっても,今回の山行で現地の案内板を見て,初めてその価値を知った(この谷には冬季に高倉峠へのアプローチのために2回も入ったことがあるにもかかわらず…)。特に国登録有形文化財の西高倉堰堤は,古城の石垣を見るような美しさがある。最奥地の大草堰堤は,人気のない一面の新緑の谷の中で,今も立派に仕事を果たしていた。現代のコンクリート製の堰堤は谷の中で出会うとぎょっとしてしまうが,昔の野面積みの堰堤は見事に風景に溶け込んでしまっていて,面白い。
帰りの林道で,カーブを曲がると目の前にクマがいた。道端の草むらに鼻面を突っ込んで,さかんに山菜を食べている様子である。こちらがフェルトソールの沢足袋を履いていて足音がしないせいか,こちらの存在になかなか気づかない。偶然,クマの歩く方向とこちらが帰りたい方向が同じだったため,クマの後ろをついて歩く形になってしまった(もちろん,クマを必要以上に驚かさないよう,十分な間隔は維持した)。
これまで何度か山の中でクマに出会ったことはあるが,大体クマのほうが先にこちらの存在に気付いていて,一瞬で逃げて行ってしまう。今回のように,クマに全く気づかれていない状態で,これほど近くから,そしてこれほど長時間にわたって,クマを観察できるのは初めての経験だった。
といっても,クマも一応違和感は感じるようで,山菜を食べながらもこちらを何度もチラチラ見るのだが,クマはあまり目が良くない動物なのか,こちらが動きを止めていると人間だと認識できないようだ。そのまま3分間ほど歩いただろうか。
と,ザックにぶら下げていたチェーンスパイク(滝の高巻きに使用する)がチャランとわずかに音を立ててしまった。さすが聴覚は鋭いようで,クマは「ん?」という感じで後ろ足で器用に立ち上がり(胸の白い月の輪がはっきり見えた),耳をピンと立ててこちらをまじまじと見た。そして赤ヘルをかぶった変な人間が後ろにいることにようやく気が付くと,山の斜面を一気に駆け上がって逃げて行ってしまった。独り立ちして間もないと思われる,体格のほっそりした若いクマだった。
※ 廃村高倉…木地師が定住した集落と言われている。明治30年頃は16戸ほど。昭和43年までに全戸離村して廃村。昭和38年の豪雪(いわゆる三八豪雪)が離村のきっかけだったという。主な生業は製炭。
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