茅野駅~小袋石~神長官守矢史料館~諏訪大社本社本宮~諏訪市博物館~葛井神社~放浪美術館~茅野駅


- GPS
- 06:51
- 距離
- 11.7km
- 登り
- 170m
- 下り
- 153m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
磯並社は、舗装路から見える。磯並社の脇の道を登っていくと、小袋石がある。 |
写真
感想
茅野市周辺散策
▶︎小袋石(おふくろいし)
諏訪大社前宮の背後にある守屋山の中腹には、「磯並社」という祠があり、そのすぐ近くに「小袋石」という巨石がある。
高さ2 m、幅8 mのこの巨石は、地面と縁が切れており、別名「舟つなぎ石」と呼ばれている。
諏訪市博物館に立ち寄り、調べてみると、太古の諏訪湖は、今よりもずっと大きかったようで、どうやら小袋石の辺りまで湖があった模様。
磯並社の名前からしてもそれを暗示している。
この石の上部の尖った部分に縄をかけて舟を繋いでいたのではないか。
また、諏訪湖周辺では遺跡が多く発掘されているが、湖底からも「曽根遺跡」が発掘されている。
なぜ湖底から遺跡が出たかについては、水上住居説と断層地変説の二つがあり、未だに判明されていない。
諏訪盆地はとにかく謎めいた場所である。
▶︎神長官守矢史料館
ここでは、諏訪における古き歴史と独特な文化を知ることができる。
諏訪盆地は、大和朝廷による日本統一以前、出雲系の建御名方命によって侵入された。
先住民であり、洩矢神を長とする人々との間で争いが起こるが、結果、洩矢神は建御名方命に負けてしまう。
しかし、先住民の洩矢の人々が虐げられたかというと、そうではなく、諏訪大社の体制を見てもわかる通り、洩矢神の子孫である守矢氏は、神長と言われる筆頭神官となり、諏訪大社において実際の神事を行うようになる。
一方、勝者の建御名方命は、諏訪大社の御祭神となり、その子孫である諏訪氏は、大祝(おおほうり)と呼ばれる現人神の位に付き、この体制は、古代から明治初期まで続いた。
「御頭祭」について
当史料館では、江戸中期に菅谷真澄が描いた御頭祭のスケッチを基に復元された祭壇を見ることができる。
御頭祭は、諏訪大社の奇祭であるが、旧約聖書の創世記に書かれているアブラハムの子、イサクの燔祭と類似していると指摘されている(雄羊 vs. 雄鹿、モリヤ山 vs. 守屋山等)。
もしユダヤ人が諏訪に渡来して、諏訪の人々にイサクの燔祭を伝えたとすれば、それは、建御名方命が諏訪に鎮座する以前ということになるであろう。
「鹿食免」について
仏教の浸透により、殺生や肉食を忌むようになると、幕府は、全国において鷹狩を禁じるようになる。しかし、諏訪大社には異例の待遇で、狩猟神事を容認し、贄鷹(鷹で捉えた獲物を神に捧げる神事)が保護された。
そこで発生したのが「鹿食免」の御符である。
お宮からこのお札をいただくと、鹿や猪などの四つ足の肉を食べても罪にはならない。
肉食は、人間にとって重大な栄養源になり、時に必要なものであることから、この札は人気があった。また、神社としてもよい収入源となったため、明治中期まで発行されたという。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する