記録ID: 7217648
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ハイキング
金剛山・岩湧山
金剛山、↗千早本道、↘郵便道
2024年09月08日(日) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 9.1km
- 登り
- 657m
- 下り
- 962m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:19
- 休憩
- 2:21
- 合計
- 6:40
10:42
16分
金剛登山口バス停
17:22
ゴール地点
天候 | 晴時々曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登りに使った千早本道は、金剛山の登山道中最もポピュラーな存在で、初心者やファミリーでも安心して歩ける安全なコースです。 今回は千早城側の入り口から千早本道へ入りましたが、モンベル側にも入口があり、どちらから入っても千早城址の先で合流します。 下りに使った郵便道は、全体的には整備が行き届いていていますが、一ケ所崩落個所があって、ハシゴのある巻き道を通る必要があり、所々雨でえぐれていたりザレている箇所もあります。 |
その他周辺情報 | 今回立ち寄った「かもきみの湯」は、日帰り入浴ができる天然温泉施設で、郵便道やマツバカケ尾根を下ったあとにうってつけです。 敷地に路線バスが乗り入れていますが、本数は1〜2時間に1本ですので、公共交通機関利用の場合はご注意ください。 また、今回は立ち寄っていませんが、「かもきみの湯」の近くには、ツツジの寺として知られる古刹・船宿寺(せんしゅくじ)がありますので、時間があればツツジの季節に立ち寄ってみるのもよいでしょう。 |
写真
千早城址に到着。千早城は「日本100名城」にも選定されている。1331(元弘元)年、倒幕計画を起こした後醍醐天皇に呼応した楠木正成は河内において決起。1333(元弘3)年、千早城に押し寄せた鎌倉幕府の大軍を「わら人形作戦」や火計などの奇策を用いて翻弄。3ヶ月にわたる攻防戦を持ちこたえた。
転法輪寺に参詣。転法輪寺は、かつて修験道の道場として、歴代天皇の勅願所として隆盛を誇ったものの、明治政府の神仏分離による「廃仏毀釈」によって一旦廃絶。第二次世界大戦後に復興した。
一の鳥居のそばにある「右 よしのかうや(吉野 高野) 左 いせならはせ(伊勢 奈良 長谷)」と記された古い道標。今は、もっぱら登山者ばかりが通る道だけど、交通が未発達だった昔、この道標を頼りに、高野山詣でや伊勢参りに向った旅人たちがいたのだろうか?
高天彦(たかまひこ)神社に参詣。祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真の三神。高天原(たかまがはら)の伝承地の一つ「高天」に建つ神々しい雰囲気の神社。
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
コンパス
笛
ヘッドランプ
筆記用具
ガイド地図(ブック)
保険証
時計
タオル
カメラ
|
---|
感想
たかが金剛山。されど金剛山…(笑)。
一番カンタンで楽チンなはずの王道中の王道ともいうべき千早本道から登ったのですが、酷暑とブランクの二重苦(?)で、意外とキツイ思いをしてしまいました。
これから、また鍛えなおさねば…と、反省しております(笑)。
今回下りに使った郵便道は、「大楠公」楠木正成を敬仰する個人や団体から葛木神社へ発送される郵便物の多かった戦前期に、郵便局員が山頂への郵便配達に使っていたことが文字通りの名前の由来となっているわけですが、当時の郵便配達夫の労苦が偲ばれる道であります。
その郵便道の下山口・高天(たかま)は、高天彦神社は無論のこと、あたり一帯が神さびた雰囲気を漂わせた場所で、古代の人々が「天孫降臨」の舞台(テレビのテロップではありませんが「諸説あります」…笑)と考えたのも宜なるかなと思えてくる不思議な所です。
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