青空に白い崖が映えます。イチョウの黄色のいい感じ。あの崖の上を歩きます。
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11/24 11:51
青空に白い崖が映えます。イチョウの黄色のいい感じ。あの崖の上を歩きます。
パレオ君に見送られてスタートです。
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11/24 11:52
パレオ君に見送られてスタートです。
これから歩く松井田琴平山の稜線
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11/24 11:56
これから歩く松井田琴平山の稜線
泉田の二十三夜堂。「勢至塔 文政十二年己丑年十一月良旦(1827)」が祀られています。昨年は偶然ここで遍路中の checheriさんとumiminさんと遭遇いたしました。
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11/24 12:02
泉田の二十三夜堂。「勢至塔 文政十二年己丑年十一月良旦(1827)」が祀られています。昨年は偶然ここで遍路中の checheriさんとumiminさんと遭遇いたしました。
赤平橋から赤平川の流れ。川名の由来は武田vs北条の戦のおり、兵士の血で川が赤く染まったという話から。遠景は熊倉山。
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11/24 12:09
赤平橋から赤平川の流れ。川名の由来は武田vs北条の戦のおり、兵士の血で川が赤く染まったという話から。遠景は熊倉山。
赤平橋からの琴平山
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11/24 12:10
赤平橋からの琴平山
如意輪観音(文政二年、1819)と龍泉寺
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11/24 12:13
如意輪観音(文政二年、1819)と龍泉寺
山麓の琴平神社、天保十年十月十日(1839)上・下松井田の総鎮守として山頂に琴平神社を勧請、昭和十一年に現在地へ遷座された。
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11/24 12:15
山麓の琴平神社、天保十年十月十日(1839)上・下松井田の総鎮守として山頂に琴平神社を勧請、昭和十一年に現在地へ遷座された。
摂社の山野神社、元々は琴平神社が勧請される以前に山頂に祀られていた山の神だそうです。
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11/24 12:16
摂社の山野神社、元々は琴平神社が勧請される以前に山頂に祀られていた山の神だそうです。
県道沿いの赤鳥居に入り、藪っぽい急登のから支尾根に乗るとこちらの小社跡あります。
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11/24 12:24
県道沿いの赤鳥居に入り、藪っぽい急登のから支尾根に乗るとこちらの小社跡あります。
琴平山の山頂、明治の神仏分離で一時聖天宮も遷座されたそう。明治十四年には群馬赤堀村の大雷神社も勧請され、松井田の雷電様とも呼ばれていたそうです。現在のお宮は琴平大神と
大雷神の二柱が祀られているようです。
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11/24 12:28
琴平山の山頂、明治の神仏分離で一時聖天宮も遷座されたそう。明治十四年には群馬赤堀村の大雷神社も勧請され、松井田の雷電様とも呼ばれていたそうです。現在のお宮は琴平大神と
大雷神の二柱が祀られているようです。
奥宮から尾根伝いに少し歩くと、急下降になります。
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11/24 12:34
奥宮から尾根伝いに少し歩くと、急下降になります。
重機が入っています。何かできるのでしょうか。
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11/24 12:38
重機が入っています。何かできるのでしょうか。
本来はこの尾根伝いを歩くはずでした。
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11/24 12:39
本来はこの尾根伝いを歩くはずでした。
なかなかの紅葉がありました。
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11/24 12:40
なかなかの紅葉がありました。
尾根に戻ると石祠のある峰、
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11/24 12:47
尾根に戻ると石祠のある峰、
ここで方向転換、祠に向かって左の尾根へ行きます。
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11/24 12:48
ここで方向転換、祠に向かって左の尾根へ行きます。
左に県道へ下る道があります。城跡見学ならこれが最短、安全なルートになります。
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11/24 12:49
左に県道へ下る道があります。城跡見学ならこれが最短、安全なルートになります。
ちょっと堀切っぽく見えます。
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11/24 12:49
ちょっと堀切っぽく見えます。
ここは明瞭な堀切
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11/24 12:52
ここは明瞭な堀切
堀切鞍部から
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11/24 12:53
堀切鞍部から
こちらにも堀切、ここを登ると、
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11/24 12:54
こちらにも堀切、ここを登ると、
小鹿野両谷城の主郭のようです。何れにしても小規模なので、物見か砦といった感じです。
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11/24 12:54
小鹿野両谷城の主郭のようです。何れにしても小規模なので、物見か砦といった感じです。
小鹿野町の図根三角点があります。
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11/24 12:55
小鹿野町の図根三角点があります。
その先は藪っぽい急斜面になります。僅かにテープがありますが、不明瞭です。
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11/24 12:55
その先は藪っぽい急斜面になります。僅かにテープがありますが、不明瞭です。
この辺りのモミジは色づき初めって所ですね。
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11/24 12:59
この辺りのモミジは色づき初めって所ですね。
これでもちょっと道がハッキリしてきました。
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11/24 13:03
これでもちょっと道がハッキリしてきました。
堰堤の先に降ります。
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11/24 13:03
堰堤の先に降ります。
篠葉沢川を渡る橋がありました。前回もこの先が気になりましたが宿題のまま。橋は渡らず、左手の
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11/24 13:05
篠葉沢川を渡る橋がありました。前回もこの先が気になりましたが宿題のまま。橋は渡らず、左手の
県道に上がります。
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11/24 13:05
県道に上がります。
県道からようばけ展望台への入口、向かいに駐車スペースあります。
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11/24 13:08
県道からようばけ展望台への入口、向かいに駐車スペースあります。
旧県道の道標
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11/24 13:10
旧県道の道標
旧県道の一部がほんの僅か残っています。上に展望台が見えます。
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11/24 13:11
旧県道の一部がほんの僅か残っています。上に展望台が見えます。
展望台と言っても簡単なフェンスがあるだけ(笑)
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11/24 13:11
展望台と言っても簡単なフェンスがあるだけ(笑)
展望台からのようばけ(陽崖)、その上の峰が天狗山
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11/24 13:12
展望台からのようばけ(陽崖)、その上の峰が天狗山
城峯山が実に秀麗です。前衛の粟野山、金嶽、皆野アルプス、さらに手前には龍勢櫓のある芦田山、寺山砦のある馬蹄形の尾根もよく見えます。
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11/24 13:16
城峯山が実に秀麗です。前衛の粟野山、金嶽、皆野アルプス、さらに手前には龍勢櫓のある芦田山、寺山砦のある馬蹄形の尾根もよく見えます。
城峯山をアップで!龍勢櫓が確認できます。
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11/24 13:17
城峯山をアップで!龍勢櫓が確認できます。
吉田丘陵南東部、その上方の遠景には、
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11/24 13:18
吉田丘陵南東部、その上方の遠景には、
“オッパ〇”に見える毘沙門山、一寸だけ小鹿野二子山の頭が見えています。
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11/24 13:18
“オッパ〇”に見える毘沙門山、一寸だけ小鹿野二子山の頭が見えています。
ユニオンGホテルの真上が父不見山、右が大久保山、左が長久保ノ頭・寺平山
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11/24 13:18
ユニオンGホテルの真上が父不見山、右が大久保山、左が長久保ノ頭・寺平山
吉田丘陵(信濃石御嶽山〜首部沢山)の上に両神山!
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11/24 13:27
吉田丘陵(信濃石御嶽山〜首部沢山)の上に両神山!
アップで両神山!
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11/24 13:30
アップで両神山!
ようばけ上の根っぴ!
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11/24 13:31
ようばけ上の根っぴ!
ようばけの白い崖と城峯山
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11/24 13:33
ようばけの白い崖と城峯山
遠景に甲武信ヶ岳、埼玉最高峰の三宝山
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11/24 13:35
遠景に甲武信ヶ岳、埼玉最高峰の三宝山
信濃石御嶽山と里山御嶽の雄、両神山。
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11/24 13:36
信濃石御嶽山と里山御嶽の雄、両神山。
モミジは場所、樹木によって緑葉から紅葉までまちまちでした。
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11/24 13:37
モミジは場所、樹木によって緑葉から紅葉までまちまちでした。
そしてようばけの上の不動明王像。それまで絶景にうかれ気分でしたが、ここは気を引き締めてお参りします。
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11/24 13:39
そしてようばけの上の不動明王像。それまで絶景にうかれ気分でしたが、ここは気を引き締めてお参りします。
女性の菩提は如意輪観音が多いですが、不動明王は珍しいと思います。お背中に長い銘文がありますが、一見では読めません。また時間をかけて読みに来ます。
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11/24 13:43
女性の菩提は如意輪観音が多いですが、不動明王は珍しいと思います。お背中に長い銘文がありますが、一見では読めません。また時間をかけて読みに来ます。
眼下の河原には家族連れ等10名程度の方がおります。カンカン、化石を探す音が響いています。まさか頭上から見られているとは夢にも思っていないでしょうね(笑)
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11/24 13:48
眼下の河原には家族連れ等10名程度の方がおります。カンカン、化石を探す音が響いています。まさか頭上から見られているとは夢にも思っていないでしょうね(笑)
和名倉山が見えてきました。
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11/24 13:48
和名倉山が見えてきました。
崖上の紅葉はいい感じに色づいていました。
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11/24 13:50
崖上の紅葉はいい感じに色づいていました。
紅葉の向こうに両神山
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11/24 13:51
紅葉の向こうに両神山
昨日のもみじまつりでeさんに買っていただいた「秩父かえでぽてと」おやつに!
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11/24 13:52
昨日のもみじまつりでeさんに買っていただいた「秩父かえでぽてと」おやつに!
昨年程色づいてはいませんが、十分です。
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11/24 13:52
昨年程色づいてはいませんが、十分です。
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11/24 13:53
白い地層に赤い紅葉
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11/24 13:53
白い地層に赤い紅葉
遠景は大平山〜酉谷山
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11/24 13:54
遠景は大平山〜酉谷山
ようばけ最高点あたりの紅葉
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11/24 13:57
ようばけ最高点あたりの紅葉
ようばけ最高点からの両神山
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11/24 13:59
ようばけ最高点からの両神山
ようばけエリアが終了し天狗山を目指します。地味にきつい登り。
0
11/24 14:04
ようばけエリアが終了し天狗山を目指します。地味にきつい登り。
この辺りの色づきはまだまだ、場所によって差があります。
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11/24 14:04
この辺りの色づきはまだまだ、場所によって差があります。
毘沙門山と三つ子に見える二子山
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11/24 14:07
毘沙門山と三つ子に見える二子山
もうすぐ山頂ですが、
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11/24 14:08
もうすぐ山頂ですが、
あまりピーク感はありません。最高点から少しずれて、
0
11/24 14:10
あまりピーク感はありません。最高点から少しずれて、
「弁天」380.25 m四等三角点、何故“弁天”なんでしょう、そこが知りたい。
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11/24 14:11
「弁天」380.25 m四等三角点、何故“弁天”なんでしょう、そこが知りたい。
「天狗山」の文字は消えていますね。山名は麓の天狗社に由来するのでしょうか?
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11/24 14:11
「天狗山」の文字は消えていますね。山名は麓の天狗社に由来するのでしょうか?
八人峠分岐。普通は安心安全なこちらに行きますが、
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11/24 14:13
八人峠分岐。普通は安心安全なこちらに行きますが、
今回ははさみばけ(鋏崖)の上を歩きたいのでこちらの尾根筋を行きます。
0
11/24 14:16
今回ははさみばけ(鋏崖)の上を歩きたいのでこちらの尾根筋を行きます。
この下方が上流側の鋏になります。ここから、
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11/24 14:19
この下方が上流側の鋏になります。ここから、
細い急斜面になります。左の赤平川側はもちろん、右の谷も結構深くて急峻です。
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11/24 14:20
細い急斜面になります。左の赤平川側はもちろん、右の谷も結構深くて急峻です。
紅葉ポイントで一息入れます。和名倉が見えます。
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11/24 14:23
紅葉ポイントで一息入れます。和名倉が見えます。
紅葉に見とれていると、
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11/24 14:23
紅葉に見とれていると、
根っぴに落とし穴!まさに命がけです!この辺りがまさに下流側の鋏の真上みたい。
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11/24 14:25
根っぴに落とし穴!まさに命がけです!この辺りがまさに下流側の鋏の真上みたい。
歩いてきた方向を振り返り
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11/24 14:26
歩いてきた方向を振り返り
再び平和な尾根になりましたが、
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11/24 14:30
再び平和な尾根になりましたが、
この先は私のスキルでは無理なので、
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11/24 14:36
この先は私のスキルでは無理なので、
踏み跡に従って谷筋に逃げます。
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11/24 14:36
踏み跡に従って谷筋に逃げます。
比高は左程ではありませんが、ここが一番難儀しました。
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11/24 14:37
比高は左程ではありませんが、ここが一番難儀しました。
沢に降りました。右岸をよじ登ると、
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11/24 14:42
沢に降りました。右岸をよじ登ると、
すぐに八人峠からの道になりました。
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11/24 14:43
すぐに八人峠からの道になりました。
ロープ場。もう何十年も昔、初代MTBのビアンキ号で八人峠越えをしましたが、ここは当然担いだと思いますが、記憶が全然ありません。
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11/24 14:45
ロープ場。もう何十年も昔、初代MTBのビアンキ号で八人峠越えをしましたが、ここは当然担いだと思いますが、記憶が全然ありません。
「奉勤請首霧八龍神」碑。裏面は小坂下水路の説明があります。「昭和八年清明四月五日謹建立」国内経済の沈滞に際し政府が全国に勤奨した事業の一つとして行われたようです。その水路は何処にあるのでしょう?
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11/24 14:47
「奉勤請首霧八龍神」碑。裏面は小坂下水路の説明があります。「昭和八年清明四月五日謹建立」国内経済の沈滞に際し政府が全国に勤奨した事業の一つとして行われたようです。その水路は何処にあるのでしょう?
もうすぐ出口です。
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11/24 14:52
もうすぐ出口です。
天狗社
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11/24 14:55
天狗社
石燈籠は「慶應二年寅孟冬吉辰(1866)」
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11/24 14:55
石燈籠は「慶應二年寅孟冬吉辰(1866)」
首部沢山、左奥に和名倉山
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11/24 14:58
首部沢山、左奥に和名倉山
奈倉橋より本日の振り返り、中央の崖ははさみばけ。
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11/24 15:07
奈倉橋より本日の振り返り、中央の崖ははさみばけ。
奈倉館跡。桓武平氏の武士団、秩父氏から分出した畠山行家が当地に館を構え、その後6代が居住、大徳院の開基や大宮郷妙見社を勧請。
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11/24 15:13
奈倉館跡。桓武平氏の武士団、秩父氏から分出した畠山行家が当地に館を構え、その後6代が居住、大徳院の開基や大宮郷妙見社を勧請。
戦国時代は北条の支配下に入ったが、信玄攻めで落城。一族は岩槻に逃れ、後に千住に移り姓を名倉に改め、あの接骨の名倉院の祖になったそうです。新しい石碑が建っていました。
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11/24 15:14
戦国時代は北条の支配下に入ったが、信玄攻めで落城。一族は岩槻に逃れ、後に千住に移り姓を名倉に改め、あの接骨の名倉院の祖になったそうです。新しい石碑が建っていました。
奈倉館跡からはさみばけ。
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11/24 15:20
奈倉館跡からはさみばけ。
奈倉氏が勧請した妙見宮。大宮郷妙見社(秩父神社)とは姉妹の関係になるそうな。
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11/24 15:21
奈倉氏が勧請した妙見宮。大宮郷妙見社(秩父神社)とは姉妹の関係になるそうな。
手水鉢「天保九戊戌年三月吉日(1838) 願主森□左衛門」
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11/24 15:22
手水鉢「天保九戊戌年三月吉日(1838) 願主森□左衛門」
はさみばけ、イチョウ、境内社、そして赤い幟で鬼面か獅子頭のように見えます(笑)
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11/24 15:23
はさみばけ、イチョウ、境内社、そして赤い幟で鬼面か獅子頭のように見えます(笑)
「妙見宮」の扁額。ちなみに、昨日はこれまた秩父神社と姉妹関係にあるという吾野の妙見宮(我野神社)に参拝しました。
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11/24 15:23
「妙見宮」の扁額。ちなみに、昨日はこれまた秩父神社と姉妹関係にあるという吾野の妙見宮(我野神社)に参拝しました。
仁王像阿形像、天明三年(1783)、江戸室町の仏師の作
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11/24 15:23
仁王像阿形像、天明三年(1783)、江戸室町の仏師の作
吽形像、明治の初め神仏分離で一時、大徳院に移されましたが、大正三年(1914)に戻されたそうです。
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11/24 15:24
吽形像、明治の初め神仏分離で一時、大徳院に移されましたが、大正三年(1914)に戻されたそうです。
飯田八幡様の鉄砲祭りのポスター
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11/24 15:26
飯田八幡様の鉄砲祭りのポスター
はさみばけ
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11/24 15:29
はさみばけ
ようばけ
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11/24 15:35
ようばけ
崖下からだと紅葉が見えませんね。
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11/24 15:35
崖下からだと紅葉が見えませんね。
展望台のフェンスが確認できます。
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11/24 15:36
展望台のフェンスが確認できます。
いつかこの光景が見たいものです。
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11/24 15:37
いつかこの光景が見たいものです。
銀杏畑
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11/24 15:41
銀杏畑
山の神古墳
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11/24 15:41
山の神古墳
VANさんの待つ駐車場に戻ってゴールです。信濃石御嶽山と首部沢山のシルエット
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11/24 15:43
VANさんの待つ駐車場に戻ってゴールです。信濃石御嶽山と首部沢山のシルエット
小鹿野BP(下小鹿野2326-1)にある『どさん娘』で夕食。わらじと思っていましたが、すでにご飯が終了ということでカレーチャーシューメン(700円)、ノーマルだと500円です。
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11/24 17:39
小鹿野BP(下小鹿野2326-1)にある『どさん娘』で夕食。わらじと思っていましたが、すでにご飯が終了ということでカレーチャーシューメン(700円)、ノーマルだと500円です。
味噌だれの餃子(330円)、何故か定期的に食べたくなります。ちなみに、同じ下小鹿野に『どさん子』もあります。共存共栄、どちらも創業50年近いと思います。
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11/24 17:44
味噌だれの餃子(330円)、何故か定期的に食べたくなります。ちなみに、同じ下小鹿野に『どさん子』もあります。共存共栄、どちらも創業50年近いと思います。
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