記録ID: 7626452
全員に公開
ハイキング
甲信越
身延山
2019年11月13日(水) [日帰り]



体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:26
- 距離
- 13.0km
- 登り
- 1,055m
- 下り
- 1,066m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:42
- 休憩
- 0:44
- 合計
- 6:26
距離 13.0km
登り 1,055m
下り 1,066m
天候 | 晴時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
門前町仲町駐車場 収容台数 31台(大型車・普通車) 営業時間9:00〜17:00 料金 無料 https://www.minobu.info/transportration_infomation/parking.html |
コース状況/ 危険箇所等 |
特にありません。歩きやすい。 |
その他周辺情報 | ■日帰り温泉■ 門野の湯 門野の湯は湯沢川沿いに1992年に開設された町立の高齢者保養施設です。 大浴場や休憩室などの施設があります。 所在地 〒409-2538 山梨県南巨摩郡身延町門野1122 電話 0556-62-2221 開館時間 午前9時〜午後7時(受付は午後6時30分まで) ※令和6年11月12日(火)から当面の間 午前10時〜午後6時(受付は午後5時30分まで) 休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日〜1月2日) 【 使用料 】 町外者 ・大人(中学生以上) 入浴のみ 500円 ■おすすめグルメ■ うまいもん家 TEL 0556-42-4655 ジャンル 定食 牛丼 居酒屋 営業時間 [日・月〜水・金・土・祝・祝前] ランチ 11:00 〜 14:00 ディナー 17:30 〜 22:00 L.O. 21:00 定休日 毎週木曜日 身延薬膳餃子の定食を頂きました。癖がない味でおいしかったです。 煮込みもおいしい! |
写真
日蓮宗の総本山。門前町が三門まで続き、東谷・西谷には数々の宿坊があります。境内には本堂、祖師堂、仏殿、五重塔など大伽藍が広がり、本堂の地下には、国宝、重文などの寺宝を収めた宝物館があります。
https://www.kuonji.jp/
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●言い伝え:いわれ
日蓮大聖人は、三度幕府を諫めながら受け入れられなかったため「三度聞き入られずば山林に身をかくせ」との故事に従い、領主の南部実長公の招きにより身延に入山され、晩年の9ヶ年を過ごされました。ご遺言により、墓は身延山に建てられ「この山を本として参るべし」とのお言葉から総本山として今日に至っています。
日蓮大聖人は、三度幕府を諫めながら受け入れられなかったため「三度聞き入られずば山林に身をかくせ」との故事に従い、領主の南部実長公の招きにより身延に入山され、晩年の9ヶ年を過ごされました。ご遺言により、墓は身延山に建てられ「この山を本として参るべし」とのお言葉から総本山として今日に至っています。
長い階段ですね。
750年の長きに亘り連綿と歴史を紡ぐ身延山久遠寺。
宗祖棲神の霊地身延山では
各種研修会や修行体験を開催しています。
また身延山に寄宿しての僧侶育成制度も設けています。
https://www.kuonji.jp/
750年の長きに亘り連綿と歴史を紡ぐ身延山久遠寺。
宗祖棲神の霊地身延山では
各種研修会や修行体験を開催しています。
また身延山に寄宿しての僧侶育成制度も設けています。
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鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)公の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開創(かいそう)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。
翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、常陸の国(現在の茨城県)に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じられました。そして、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮聖人のご遺言のとおり、そのご遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られました。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられました。のちに、武田氏や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄え、1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。
日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は連綿と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮聖人が法華経を読誦し、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。総本山として門下の厚い信仰を集め、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。
https://www.kuonji.jp/
翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、常陸の国(現在の茨城県)に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じられました。そして、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮聖人のご遺言のとおり、そのご遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られました。
その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられました。のちに、武田氏や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄え、1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。
日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は連綿と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮聖人が法華経を読誦し、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。総本山として門下の厚い信仰を集め、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。
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お釈迦様が最勝の教えである「妙法蓮華経」をお説きになった古代インドの霊鷲山。
久遠寺を創建された日蓮大聖人は身延山に霊鷲山を感じ取られていました。
身延山久遠寺の本堂は明治8年の大火で焼失以来、長きに亘り再建が切望されてきましたが、
ついに昭和60年、間口17間半、奥行28間、総面積970坪の威容を境内に現しました。
戦後を代表する日本画家である加山又造画伯による天井画『墨龍』は、この本堂外陣に描かれています。
龍は仏法を守護し、法雨を澍いで衆生を導く善神として古来より崇められてきました。
法華経の根本道場たる身延山久遠寺を守護する『墨龍』は、
11メートル四方、23,500枚の金箔に墨で描かれており、
画伯自らの言葉にあるように、それまでに得た全ての技と、
日本画の常識を覆す手法、そして迸る情熱が注ぎ込まれています。
「八方睨み」の両眼は本堂内の全ての人を見据えており、常に法雨が澍がれていることを感じられます。
また一般的には描かれることの多い宝珠が、『墨龍』の高貴な龍の証である五本の爪には握られていません。
すなわち、誰もが仏様の心を生まれながらにして持っていることが説かれた法華経こそが宝珠であり、
霊鷲山に等しい聖地、身延山で合掌する人々の心の中には、
すでに宝珠が備わっていることを気づかせてくれているのです。
https://www.kuonji.jp/history/bokuryu/
久遠寺を創建された日蓮大聖人は身延山に霊鷲山を感じ取られていました。
身延山久遠寺の本堂は明治8年の大火で焼失以来、長きに亘り再建が切望されてきましたが、
ついに昭和60年、間口17間半、奥行28間、総面積970坪の威容を境内に現しました。
戦後を代表する日本画家である加山又造画伯による天井画『墨龍』は、この本堂外陣に描かれています。
龍は仏法を守護し、法雨を澍いで衆生を導く善神として古来より崇められてきました。
法華経の根本道場たる身延山久遠寺を守護する『墨龍』は、
11メートル四方、23,500枚の金箔に墨で描かれており、
画伯自らの言葉にあるように、それまでに得た全ての技と、
日本画の常識を覆す手法、そして迸る情熱が注ぎ込まれています。
「八方睨み」の両眼は本堂内の全ての人を見据えており、常に法雨が澍がれていることを感じられます。
また一般的には描かれることの多い宝珠が、『墨龍』の高貴な龍の証である五本の爪には握られていません。
すなわち、誰もが仏様の心を生まれながらにして持っていることが説かれた法華経こそが宝珠であり、
霊鷲山に等しい聖地、身延山で合掌する人々の心の中には、
すでに宝珠が備わっていることを気づかせてくれているのです。
https://www.kuonji.jp/history/bokuryu/
撮影機器:
感想
信仰の山身延山です。富士山の眺望が良いことでも有名ですがこの日はあいにくの視界でした。
鳳凰三山はよく見えたんですけどね。
https://www.town.minobu.lg.jp/kanko/pamphlet/trecking-minobusan.html
日本3大門に数えられる三門から続く287段の菩提梯を上がると日蓮宗総本山・久遠寺本堂が広がります。その左裏手から、トレッキングコースをスタートします。歩きやすい参道は、多くの信者が訪れる思親閣へ続く道。ナンテンが多く、大正から戦後にかけて植えられた杉やヒノキが立ち並び、木立のこずえから野鳥たちの鳴き声も響いてきます。県指定文化財の八幡神社本殿のほかいくつもの堂宇が顔を出し、楽しみながら進めます。
釈尊像や相輪塔のある三光堂も見どころのひとつです。傾斜の厳しい参道を登っていくと、やがて標識は「四九丁」、 奥之院・思親閣の境内に到着。振り返れば左手に毛無山や富士山、眼下に身延の町並みが見下ろせます。
思親閣詣で日蓮自らが植えたという巨大杉を見学して聖地の雰囲気を堪能したら、北西の展望台へ回ってみましょう。甲府盆地方面や富士見山、大きく佇む七面山などが展望できます。
山の景観を楽しみながら下山するなら、ロープウェイで久遠寺駅まで下るのもおすすめです。
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