【冬の遠征6】241227の(2) 桑名駅からお城を巡る


- GPS
- 01:15
- 距離
- 4.3km
- 登り
- 3m
- 下り
- 0m
コースタイム
天候 | 晴れ 風が強い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
帰りに車回収 |
その他周辺情報 | イオン鈴鹿 スガキヤ |
写真
感想
名古屋に行くため行くために桑名駅近くの駐車場に車を入れた。そうして、桑名駅に14時ごろに戻ってきたわけだが、このままなんかしてしまうのも勿体無い、桑名と言えばお城ということでちょっと街を散策することとした。
ここ、桑名は一向一揆が盛んであった地で、織田信長がここを治めるようになってから、実際の支配者として滝川一益が着任した。一益は伊勢長島城に入りここは家臣が治めたという。滝川一益も柴田側につき賤ヶ岳の合戦で失脚します。ここに入ったのが織田信雄ですが、秀吉による駿河転封の命に逆らい失脚、しばらくは秀吉の家臣が治めることとなったようだ。
これら家臣も、関ヶ原の戦いでは西軍に加勢したことで改易、本多忠勝がこの地に赴任することとなった。忠勝は、宿場町の整備、マス目状の割り振りをするなど桑名のまちづくりに注目した、これらの成果はいまだに桑名の街の中で見ることができるらしい。
本多家も2代目の忠政の時代に大坂の陣が起きる、戦功著しい本多忠政は、加増の上播磨に転封となった。後任には久松松平家が入った。一時奥平松平が入るが、三方領地替えの際に久松松平家の血を継ぐ家系からまた桑名藩主となっている。ということで、基本松平家で明治維新を迎えることとなった。商業が盛んになり、人が集まり、宿場町も栄えたそうだ。桑名の名物としては「蛤」があり、煮蛤として、燻製などにして、そのまま食べたり保存食として持ち歩いたりしたそうだ。
お城の天守閣はないが、この辺りが本丸だったのだろうなあという場所はわかりやすい。そこに歴史を感じることができた。また、海沿いを歩いてみると「伊勢湾台風被害」「堤を嵩上げした」などという記念碑や看板などが出てきた。伊勢湾台風の時の高潮は凄まじかったろうと思われる(私は生まれていないが、)
また、渡し船の後も見ることができた。当時は、熱田宿から桑名宿までは船で移動するのが普通だったそうだ。波も穏やかで、のんびりした船旅を当時の人も味わったろうなあと思う。
東海道を歩いてみると料理屋さんに今でも「蛤」という文字が目立つ。地域の伝統なんだと思う。たった1時間の散歩なのだが、結構色々なものを見たような気がする。それも、街歩きの醍醐味なのだ。
車を出し、さらに南下する。奥の方の山には白いものが見えている。寒波はもう近くまで来ているのだ。
結局、スガキヤで夕食を食べ、津市内の道の駅で車中泊となった。スガキヤは21年ぶり、麺はしっかりとしているがスープはインスタントっぽいのが懐かしい。そう言えば、千葉に「麺はインスタント麺、スープはチャーシューを煮たスープ」というラーメンがあったなあ。なぜかそんなことを思い出した。
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