記録ID: 7677136
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ハイキング
葛城高原・二上山
葛城二十八宿経塚巡行【復刻再編版】大坂越えー 第27番経塚 逢坂の元地探索その2
2016年06月01日(水) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 191m
- 下り
- 190m
コースタイム
古来より大和から大坂への行き来に「大坂山」や「大坂越え」が重要な役割を果たしていた。今では、大坂越え=穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、地図に描かれた穴虫峠に囚われず、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったと捉えたい。
穴虫から、穴虫越えや関屋越え、田尻越えの地形をみると、穴虫の大坂山口神社を始点に、ゆるやかな登りが始まり、新旧の長尾街道や太子道を通って河内各所へ越えてゆくスタイルになっている。この穴虫の大坂山口神社を大坂越えの起点としなくてどうするという思いだ。記紀の記事にある、
・天皇が大和の西の守護神として「大坂神」を祭った(日本書紀崇神9年3月条)
・崇神天皇のとき大坂の神に黒色の楯と矛を祀った(古事記)
というのは穴虫の大坂山口神社が最もふさわしいと思う。
今回は穴虫の大坂山口神社を起点としてまんじゅう橋の道標地蔵(穴虫越え/田尻越え分岐)に至り、さらに穴虫峠に至る道を歩いてみたい。
葛城二十八宿経塚巡行の観点からいえば、鎌倉初期の巡行記録、諸山縁起では、『大坂の隣下(とうげ)』(付近に)経塚があるとされている。さらに、幕末の葛嶺雑記では村中(逢坂のことか?)に経塚があるとされる。すなわち、経塚巡行コースを今ある旧ダイトレに沿って屯鶴峰付近即ち田尻峠(または穴虫峠)を通ったものとの解釈をして、第二十七番経塚のあった峠付近は現経塚のある逢坂の個人宅と離れ過ぎるから移設されたとの意見が多いようだ。その経塚元地は穴虫の大坂山口神社(逢坂でもいいけど)からのゆるやかな山地に登った峠付近にあったのではないかと仮説して、峠道を探ってみたい。
■コースタイム
-----------前回報告---------------
10:50 二上神社口発
10:56 二上神社 11:07
11:35 二上山駅昼食■11:49
11:53 志満堂間違いの地蔵
12:10 穴虫西墓地阿弥陀さん 12:18
12:24 穴虫地蔵石仏・太子道
12:35 大坂山口神社南参道鳥居
12:43 大坂山口神社
------------今回報告--------------
13:09 郡ヶ池
13:35 田尻峠/穴虫峠分岐■13:53
13:58 太子道磨崖仏 14:09
14:19 穴虫峠馬頭観音 14:30
14:50 田尻峠/穴虫峠分岐■15:07
15:26 大坂山口神社南参道鳥居
15:38 穴虫踏切
15:49 長尾街道・伊勢街道分岐地蔵台座道標
16:00 関屋
16:09 関屋八幡神社
16:21 関屋駅
15km
-----------------------------------------------------------------------------------
■対応元記事
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-f163.html
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-9ea2.html
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-7ec6.html
※以上3記事が元になるが、少し改変して、AM,PMに分け、PMを本記事にまとめた。
穴虫から、穴虫越えや関屋越え、田尻越えの地形をみると、穴虫の大坂山口神社を始点に、ゆるやかな登りが始まり、新旧の長尾街道や太子道を通って河内各所へ越えてゆくスタイルになっている。この穴虫の大坂山口神社を大坂越えの起点としなくてどうするという思いだ。記紀の記事にある、
・天皇が大和の西の守護神として「大坂神」を祭った(日本書紀崇神9年3月条)
・崇神天皇のとき大坂の神に黒色の楯と矛を祀った(古事記)
というのは穴虫の大坂山口神社が最もふさわしいと思う。
今回は穴虫の大坂山口神社を起点としてまんじゅう橋の道標地蔵(穴虫越え/田尻越え分岐)に至り、さらに穴虫峠に至る道を歩いてみたい。
葛城二十八宿経塚巡行の観点からいえば、鎌倉初期の巡行記録、諸山縁起では、『大坂の隣下(とうげ)』(付近に)経塚があるとされている。さらに、幕末の葛嶺雑記では村中(逢坂のことか?)に経塚があるとされる。すなわち、経塚巡行コースを今ある旧ダイトレに沿って屯鶴峰付近即ち田尻峠(または穴虫峠)を通ったものとの解釈をして、第二十七番経塚のあった峠付近は現経塚のある逢坂の個人宅と離れ過ぎるから移設されたとの意見が多いようだ。その経塚元地は穴虫の大坂山口神社(逢坂でもいいけど)からのゆるやかな山地に登った峠付近にあったのではないかと仮説して、峠道を探ってみたい。
■コースタイム
-----------前回報告---------------
10:50 二上神社口発
10:56 二上神社 11:07
11:35 二上山駅昼食■11:49
11:53 志満堂間違いの地蔵
12:10 穴虫西墓地阿弥陀さん 12:18
12:24 穴虫地蔵石仏・太子道
12:35 大坂山口神社南参道鳥居
12:43 大坂山口神社
------------今回報告--------------
13:09 郡ヶ池
13:35 田尻峠/穴虫峠分岐■13:53
13:58 太子道磨崖仏 14:09
14:19 穴虫峠馬頭観音 14:30
14:50 田尻峠/穴虫峠分岐■15:07
15:26 大坂山口神社南参道鳥居
15:38 穴虫踏切
15:49 長尾街道・伊勢街道分岐地蔵台座道標
16:00 関屋
16:09 関屋八幡神社
16:21 関屋駅
15km
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■対応元記事
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-f163.html
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-9ea2.html
http://dokodemo-sanpo.cocolog-nifty.com/walkin/2016/06/post-7ec6.html
※以上3記事が元になるが、少し改変して、AM,PMに分け、PMを本記事にまとめた。
過去天気図(気象庁) | 2016年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
太子道の大まかなルートは・・・・
法隆寺−王子−達磨寺−畠田−火幡神社−送迎−尼寺−下之寺−畑之浦−逢坂・伊勢街道分岐−穴虫・長尾街道クロス(今の近鉄大阪線と県道105交点付近)−(高山台住宅地の県道105沿い)−郡ヶ池付近で竹田川の谷に降りる−長尾街道田尻越分岐−穴虫峠−竹内街道分岐−河内飛鳥または磯長
※太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/subfiles/taisimiti-2.htm
穴虫付近がややこしそうだが、「穴虫・長尾街道クロス」とは今の近鉄大阪線と県道105交点付近で、ここには道標がある。(傍を歩いただけで。道標は見ていないが)
※注:関屋への帰り道、2回め通ったときの写真
法隆寺−王子−達磨寺−畠田−火幡神社−送迎−尼寺−下之寺−畑之浦−逢坂・伊勢街道分岐−穴虫・長尾街道クロス(今の近鉄大阪線と県道105交点付近)−(高山台住宅地の県道105沿い)−郡ヶ池付近で竹田川の谷に降りる−長尾街道田尻越分岐−穴虫峠−竹内街道分岐−河内飛鳥または磯長
※太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/subfiles/taisimiti-2.htm
穴虫付近がややこしそうだが、「穴虫・長尾街道クロス」とは今の近鉄大阪線と県道105交点付近で、ここには道標がある。(傍を歩いただけで。道標は見ていないが)
※注:関屋への帰り道、2回め通ったときの写真
この辺りから、県道105沿いに住宅地の中を通っていたようだ。本来の道はまったく消失しているが、かなり高いところを通っていたようだ。多分等高線に沿って平坦な道だったろう。郡ヶ池辺りで、等高線に沿って自然に降下していたのだろう。
13:00,急に両側から山が迫ってきた。結構な隘路だが、いつごろから竹田川沿いの道ができたんだろうか?今昔マップで確認してみると・・・・
・明治期から1970年までは、単なる破線路が山際を走る
・1975−1988年では破線路が表示されていない
・1993年で山際に広い道ができたが、高山台団地はまだ出現せず
これから考えると、この竹田川沿いは比較的最近まで田畑であぜ道程度しかなかったものと推察される。これから考えると、大昔は竹田川がよく氾濫する湿地状で街道施設には適さなかったのだろうか?
・明治期から1970年までは、単なる破線路が山際を走る
・1975−1988年では破線路が表示されていない
・1993年で山際に広い道ができたが、高山台団地はまだ出現せず
これから考えると、この竹田川沿いは比較的最近まで田畑であぜ道程度しかなかったものと推察される。これから考えると、大昔は竹田川がよく氾濫する湿地状で街道施設には適さなかったのだろうか?
13:22、竹田川の谷に降りる。ここ、郡ヶ池の下あたりに古代の大坂関があったとの学説(千田稔説)もある。もっとも、大坂関の位置は確定されていなくて、これから通る田尻峠/穴虫峠分岐の近くだったり、もっと下流の大坂山口神社付近という説など、諸説あるらしい。
(千田稔説)http://www.kashikoken-yushikai.org/index.php/blog/reikai0512(消えている)
確かにここは山が迫ってきた隘路に近いのだが、先程(12:58)みた穴虫の西垣内へ通じる広い谷に入って、西穴虫墓地の傍の峠を通ってしまえば何のための関所か分からないので、もっと下流の穴虫・大坂山口神社付近かもっと上流の田尻峠分岐辺りのほうが合理的な気はする。
(千田稔説)http://www.kashikoken-yushikai.org/index.php/blog/reikai0512(消えている)
確かにここは山が迫ってきた隘路に近いのだが、先程(12:58)みた穴虫の西垣内へ通じる広い谷に入って、西穴虫墓地の傍の峠を通ってしまえば何のための関所か分からないので、もっと下流の穴虫・大坂山口神社付近かもっと上流の田尻峠分岐辺りのほうが合理的な気はする。
13:27、田尻峠/穴虫峠分岐はもうすぐだ。
太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:を見ていると、このあたり、「ヤスンバ」と言って聖徳太子が休憩したところだそうな?ホンマかいな?まあ、聖徳太子といえども疲れたら休むだろう。
太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/subfiles/taisimiti-2.htm(消えている)
太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:を見ていると、このあたり、「ヤスンバ」と言って聖徳太子が休憩したところだそうな?ホンマかいな?まあ、聖徳太子といえども疲れたら休むだろう。
太子を偲ぶ顕彰会作成マップ:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/subfiles/taisimiti-2.htm(消えている)
13:35、穴虫交差点(田尻峠/穴虫峠分岐)に着いた。ここで、新長尾街道と堺街道が分岐する。横断歩道の向う、電柱にガードされたように道標地蔵が建っている。香芝市の「風渡る野辺の石仏」冊子によると、「まんじゅう橋の地蔵石仏」というらしい。
「まんじゅう橋の地蔵石仏」は、みるからにだいぶお疲れのようだ。
右 大阪道 その下が読めないが、八木、箱虎 とあるらしい。
左、さかい道
http://ameblo.jp/prizmilk/entry-12018823381.html
「大坂」でなく、「大阪」なので明治以降、田尻峠開削にあわせて建立されたものだろうか。
ワシも長いこと働きづめやねん。
他は祠もヨダレカケも、場合によれば帽子もあるのに、なんもなしや。水もあれへん。
これから暑うなるし、夜も結構うるさいねんな。
・・・と言っておられるようで、もし通りかかったら手を合わしてあげてください。ホンマ働きもんやわ。
ボクはここで休憩さしてもらう。エライすんまへん。
右 大阪道 その下が読めないが、八木、箱虎 とあるらしい。
左、さかい道
http://ameblo.jp/prizmilk/entry-12018823381.html
「大坂」でなく、「大阪」なので明治以降、田尻峠開削にあわせて建立されたものだろうか。
ワシも長いこと働きづめやねん。
他は祠もヨダレカケも、場合によれば帽子もあるのに、なんもなしや。水もあれへん。
これから暑うなるし、夜も結構うるさいねんな。
・・・と言っておられるようで、もし通りかかったら手を合わしてあげてください。ホンマ働きもんやわ。
ボクはここで休憩さしてもらう。エライすんまへん。
■2.穴虫峠に馬頭観音を見に行く
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ゆっくり休んで再開。穴虫峠までは行っておかねば。うまい具合に歩道があった。
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ゆっくり休んで再開。穴虫峠までは行っておかねば。うまい具合に歩道があった。
逆修のために生前供養をしたものという。
今の道より2〜3m高いところにあるが、この前を太子道が通っていたのか?ちょっと探索してみたが、i同じような人が探索した道が見えるだけであった。
今の道より2〜3m高いところにあるが、この前を太子道が通っていたのか?ちょっと探索してみたが、i同じような人が探索した道が見えるだけであった。
14:33、大和側。今日はこちら側に降りる。
近鉄の傾斜は10パーミルということだった。ちなみに、今はないが、信越本線の横川−軽井沢間の66.7パーミル、ここ飯田線の沢渡−赤木間の40パーミルがJR最急勾配ということだ。
近鉄の傾斜は10パーミルということだった。ちなみに、今はないが、信越本線の横川−軽井沢間の66.7パーミル、ここ飯田線の沢渡−赤木間の40パーミルがJR最急勾配ということだ。
大坂=穴虫峠、という解釈だが、その他の峠も入れてえな、と言うところだ。さらに、太子道でもココからは直接二上山は見えず、ちょっと下らないといけないし、新長尾街道にしても西穴虫の峠付近まで行かないと二上山ははっきり見えないはずだ。穴虫の大坂山口神社付近まで含めての「大坂」あるいは「大坂越え」と考えたい。
■3.ゴボ山外周道をくだる
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※注:ゴボ山とは
晴徨雨読「穴虫考」によれば、穴虫の大坂山口神社背後の参道の谷は別所ヶ谷、その東の丘はゴボ山(御坊山)というらしい。
例えば、
・別所ヶ谷:http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/8bce9b1d53f05e7504fd8b0f52bb907f
・http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/d4fe6d8e15b5c1d69d0c0b969d642cf7
・http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/35d8e90f9ca00c7e622142d3afb4fcbe
その御坊山突端には大師堂と泉がある。泉の裏手にある石碑の一つには、「檀特山」(インド仏教の修行の地)と彫られていた。神社だけでなく仏教の聖地でもあるような感じだ。
河内国境の穴虫峠からの帰りに、今度はゴボ山外周道をくだってみた。
穴虫峠/田尻峠分岐・まんじゅう橋道標地蔵の辻からは、R165バイパスを通ってみることにした。
15:07、太子道が上がってくる石田川筋
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※注:ゴボ山とは
晴徨雨読「穴虫考」によれば、穴虫の大坂山口神社背後の参道の谷は別所ヶ谷、その東の丘はゴボ山(御坊山)というらしい。
例えば、
・別所ヶ谷:http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/8bce9b1d53f05e7504fd8b0f52bb907f
・http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/d4fe6d8e15b5c1d69d0c0b969d642cf7
・http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/35d8e90f9ca00c7e622142d3afb4fcbe
その御坊山突端には大師堂と泉がある。泉の裏手にある石碑の一つには、「檀特山」(インド仏教の修行の地)と彫られていた。神社だけでなく仏教の聖地でもあるような感じだ。
河内国境の穴虫峠からの帰りに、今度はゴボ山外周道をくだってみた。
穴虫峠/田尻峠分岐・まんじゅう橋道標地蔵の辻からは、R165バイパスを通ってみることにした。
15:07、太子道が上がってくる石田川筋
■4.旧長尾街道・関屋みち
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さて、穴虫の大坂山口神社前までもどり、これから関屋道を登って行く。ここから、関屋みちで近鉄関屋まで帰る。
15:35、穴虫(馬場)の村外れから、鎮守の森を振り返る(写真は行きしなに撮ったもの)。かん館メールマガジン(2009年1月号 Vol.40)によると、宮山という字名らしい。 http://www.city.kashiba.lg.jp/kurashi/0000001022.html
P6010916
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さて、穴虫の大坂山口神社前までもどり、これから関屋道を登って行く。ここから、関屋みちで近鉄関屋まで帰る。
15:35、穴虫(馬場)の村外れから、鎮守の森を振り返る(写真は行きしなに撮ったもの)。かん館メールマガジン(2009年1月号 Vol.40)によると、宮山という字名らしい。 http://www.city.kashiba.lg.jp/kurashi/0000001022.html
P6010916
15:37、馬場を通り過ぎて、鎮守の森を振り返る。
穴虫周辺をうろうろしてみて、「大坂越え」は確かに穴虫の大坂山口神社から始まっていると思った。大坂越え=河内国境の穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、地図に描かれた穴虫峠は今の行政の都合ではないか?それより、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったと捉えたほうが自然に思う。
記紀の記事に・・・・
・天皇が大和の西の守護神として「大坂神」を祭った(日本書紀崇神9年3月条)
・崇神天皇のとき大坂の神に黒色の楯と矛を祀った(古事記)
・天武天皇八(679)年十一月に竜田山と大坂山に関を置いた(日本書紀)
とあるが、当時のヤマト王権がそう設定したのも大いにうなずける。
穴虫の大坂山口神社の裏手の谷みちは、清澄で歩いても楽しい道だったが、その峠を登り切ると二上山を望める。まさに神様の通り道にふさわしい。さらに、登っていくと穴虫西を通り、長尾街道の峠を経て、まんじゅう橋の道標地蔵に至る。この道こそ(狭義の)大坂越えではないかと強く思った次第である。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7675326.html
穴虫周辺をうろうろしてみて、「大坂越え」は確かに穴虫の大坂山口神社から始まっていると思った。大坂越え=河内国境の穴虫峠とピンポイントに説明する考えが主流のようなのだが、地図に描かれた穴虫峠は今の行政の都合ではないか?それより、「大坂越え」はもっと広く、北の関屋越えから南の穴虫越を含み、穴虫の大坂山口神社から始まる長い峠越えだったと捉えたほうが自然に思う。
記紀の記事に・・・・
・天皇が大和の西の守護神として「大坂神」を祭った(日本書紀崇神9年3月条)
・崇神天皇のとき大坂の神に黒色の楯と矛を祀った(古事記)
・天武天皇八(679)年十一月に竜田山と大坂山に関を置いた(日本書紀)
とあるが、当時のヤマト王権がそう設定したのも大いにうなずける。
穴虫の大坂山口神社の裏手の谷みちは、清澄で歩いても楽しい道だったが、その峠を登り切ると二上山を望める。まさに神様の通り道にふさわしい。さらに、登っていくと穴虫西を通り、長尾街道の峠を経て、まんじゅう橋の道標地蔵に至る。この道こそ(狭義の)大坂越えではないかと強く思った次第である。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7675326.html
なお、穴虫の大坂山口神社から北に分れて行く街道(河内から言うと大和街道・長谷みち)は旧長尾街道と明示しておこう。長尾街道は明治に田尻峠が開削され、そちらが正式に「長尾街道」になったためである。WEBなどを見ていると、ゴチャゴチャになっていて理解がストップすることがあるので念のため。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7677258.html
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7677258.html
15:50、旧長尾街道と伊勢街道の分岐点。こんなところにあった!実をいうと、前回はこの分岐でどちらに行くか悩んで地図を見ていて地蔵さんを見落としたのだ。見落とすはずのない大きな地蔵さんだけど・・・
この地蔵さんの特徴は台座が道標になっていることだ。ちょうど花台で隠れてみえないが、移設があったので、逆方向を示しているという。
例によって、奈良県の道標なら、こちら。https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ZlStvgEspYq9mjqrdJkBI4VaAHc&hl=en_US
例によって、奈良県の道標なら、こちら。https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1ZlStvgEspYq9mjqrdJkBI4VaAHc&hl=en_US
◆ [北西面] (梵字)、川よりみぎ、たゑまミ■(多分、「ち」)、太ミちハ、はせみち
例によって、こちらを参考にさせていただいた。
そうか、今まで歩いてきた「川より右」を長谷みちだと思っていたが、当麻みちというのか
例によって、こちらを参考にさせていただいた。
そうか、今まで歩いてきた「川より右」を長谷みちだと思っていたが、当麻みちというのか
15:54、地蔵 さんを堪能した後、関屋に登って行く。以前は、このまっすぐな坂道をみて、こんなん街道と違うと思ったものだが、よく見ると、歩道部分がいい塩梅に曲がりくねっている。自動車時代に合わせて、古街道を修復したのだ。これで納得。
撮影機器:
感想
河内国境の穴虫峠からの帰りに、再度穴虫の大坂山口神社鳥居の前に寄って、今度はゴボ山外周道をくだってみた。
万葉集の大坂越の歌によると
「大坂をわが越え来れば二上にもみち葉流る時雨降りつつ」万葉集巻10-2185 作者未詳
これからすると、大坂越えからは二上山が見えてほしいなあ。穴虫峠からは見えなかったが、大坂山口神社鳥居付近からは目の前に見えるのだ!葛城修験の見地からは、これは結構重要なことと思うのだ。
したがって、鎌倉初期の葛城二十八宿経塚巡行記録、諸山縁起で経塚があるとされている『大坂の隣下(とうげ)』とはココ穴虫の大坂山口神社鳥居付近ではなかったかと思えるのだが、どうだろうか?
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