記録ID: 7679826
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ハイキング
奥多摩・高尾
1月10日 青梅丘陵 矢倉台を経て日向和田へ
2025年01月10日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 03:38
- 距離
- 12.2km
- 登り
- 281m
- 下り
- 282m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:20
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 3:39
距離 12.2km
登り 281m
下り 282m
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
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アクセス |
写真
勝沼神社です。
今回は成木街道の鉄道公園口からいきなり勝沼丘陵に上がってきましたので、何気なく勝沼神社の前に来てしまいました。
しかし本来は青梅街道から表参道があり、途中には長い階段もあるようです。
実は今日の夕方6時くらいに青梅商店街を通りました。するとどこかの神社に向かう道があったことに気が付きました。
後で調べると勝沼神社の表参道の入り口らしかったです。
今回は成木街道の鉄道公園口からいきなり勝沼丘陵に上がってきましたので、何気なく勝沼神社の前に来てしまいました。
しかし本来は青梅街道から表参道があり、途中には長い階段もあるようです。
実は今日の夕方6時くらいに青梅商店街を通りました。するとどこかの神社に向かう道があったことに気が付きました。
後で調べると勝沼神社の表参道の入り口らしかったです。
上の写真の石板の拡大写真です。
勝沼神社の由緒・由来とかを書いてあります。
ネットによると、「伊勢の皇大神宮と豊受大神宮の御分霊を祀る。勝沼神社は、旧乗願寺村のほぼ中央に鎮座し、古くは神明社あるいは神明皇大神宮と称していた。
勝沼とは中世、三田氏の城館(勝沼城)を中心とする地域を指す地名で、乗願寺村の乗願寺(時宗)や師岡村の龍寿寺(曹洞宗/廃寺)は勝沼山と号する。江戸時代には西分・乗願寺・師岡・根ヶ布・吹上・塩船などの諸村に分かれたが、地域の通称としては使われ続けたという。明治5年(1872)乗願寺村が勝沼村と改称した。」 (引用:「古今御朱印研究室」様ページより)
勝沼神社の由緒・由来とかを書いてあります。
ネットによると、「伊勢の皇大神宮と豊受大神宮の御分霊を祀る。勝沼神社は、旧乗願寺村のほぼ中央に鎮座し、古くは神明社あるいは神明皇大神宮と称していた。
勝沼とは中世、三田氏の城館(勝沼城)を中心とする地域を指す地名で、乗願寺村の乗願寺(時宗)や師岡村の龍寿寺(曹洞宗/廃寺)は勝沼山と号する。江戸時代には西分・乗願寺・師岡・根ヶ布・吹上・塩船などの諸村に分かれたが、地域の通称としては使われ続けたという。明治5年(1872)乗願寺村が勝沼村と改称した。」 (引用:「古今御朱印研究室」様ページより)
ここのベンチでしたか、昔来たときベンチにスマホが置き忘れてありました。
そこでスマホを青梅市の交番に届けようと急遽降りていたとき、そのスマホに着信がありました。どうもダンナがスマホを置き忘れたとこと聞いたご家族がダンナのスマホに電話を掛けたらしいです。そこで私は青梅丘陵コースに戻り、無事にスマホを返すことができました。
そこでスマホを青梅市の交番に届けようと急遽降りていたとき、そのスマホに着信がありました。どうもダンナがスマホを置き忘れたとこと聞いたご家族がダンナのスマホに電話を掛けたらしいです。そこで私は青梅丘陵コースに戻り、無事にスマホを返すことができました。
矢倉台に着きました。これは休憩所です。若い先客が1名おられました。その方が写らないように写真を撮りましたが、その人は邪魔になっているかと思われたのか、そこそこに降りて行かれました。
日向和田駅方向に降りる道の途中で、宮ノ平に降りる道と近接します。その分岐です。青梅駅方向に戻るのであれば宮ノ平に降りる方が実は近いです。でも今回は日向和田に降りることにしました。
青梅街道に戻ってきました。「たの志り」というお店に入り口に降りてきました。逆に青梅街道から「青梅丘陵ハイキングコース」に登る場合は、「たの志り」というお店の右の道を登っていくと言うことですね。
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