記録ID: 7700809
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ハイキング
近畿
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】 虎島序品窟 妙法蓮華経序品第一
2017年05月12日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 03:17
- 距離
- 7.7km
- 登り
- 441m
- 下り
- 429m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:18
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:18
距離 7.7km
登り 441m
下り 429m
11:28
198分
スタート地点
14:46
ゴール地点
やっと来た「葛城二十八宿経塚巡行」始まりの地。虎島に渡るには干潮時しかないので、潮位を調べるのが必須になり、調べたらいいだけの話なのだが、山登りと違って、なんとも妙な気持ちになって、ズルズルと一番最後になってしまった。しかし、ここにお参りしないと巡行も終わらないし、始まりもしない。
勢い込んで出発するとて、友ヶ島汽船の時刻表を見たら、9時の船には到底間に合わない。10時はとみると、何と5月連休と夏休み以外は臨時便とな!結局11時の便になってしまった。今日は大潮で干潮が13時過ぎなので、ちょうど良い時間帯ではある。
船は11:00発。ツアーの団体さんもいて、結構な数のお客さんだったが、売店の人に聴くと昨日はもっと多かったようだ。それでも船(110人乗り)はいっぱいになった。今日は15:30の帰りの臨時便がでるので、それを目標にしよう。
■結果
序品窟までの海岸の岩場も楽しく歩けて序品窟にお参りできた。観念窟の登り降りはそもそも無理なので、上から覗いただけだが、最後の役行者像に対面すると「やっと来たな。ここからがスタートやで」と言われているような気になった。ブログ上は一区切りつけられるが、巡行とは一生続くものなんだろう。
■コースタイム南海加太 9:58
10:08 加太・常行寺
10:15 加太港 11:00
11:25 友ヶ島野奈浦桟橋 11:30
11:42 神島遥拝所
11:51 深蛇池分岐
12:05 虎島展望所(ジグザグ道上)
12:07 満越手前■休憩 12:18
12:22 満越渡る
12:31 序品窟 12:43
12:56 序品窟/堡塁跡分岐
13:05 堡塁跡
13:10 観念窟上
13:14 役行者像
13:18 堡塁跡■休憩 13:25
13:34 序品窟/堡塁跡分岐
13:40 岩の水たまり■休憩 13:46
13:50 閼伽井(後戻り)
14:05 深蛇池分岐
14:08 深蛇池
14:26 神島遥拝所
14:35 野奈浦桟橋■休憩 15:30
15:51 加太港
15:53 弘法大師堂、役行者堂 16:02
16:05 食堂休憩
16:40 加太駅
友ヶ島島内;7.7km/3時間17分(山旅ロガー読み、内、休憩24分)
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■対応元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-347.html
勢い込んで出発するとて、友ヶ島汽船の時刻表を見たら、9時の船には到底間に合わない。10時はとみると、何と5月連休と夏休み以外は臨時便とな!結局11時の便になってしまった。今日は大潮で干潮が13時過ぎなので、ちょうど良い時間帯ではある。
船は11:00発。ツアーの団体さんもいて、結構な数のお客さんだったが、売店の人に聴くと昨日はもっと多かったようだ。それでも船(110人乗り)はいっぱいになった。今日は15:30の帰りの臨時便がでるので、それを目標にしよう。
■結果
序品窟までの海岸の岩場も楽しく歩けて序品窟にお参りできた。観念窟の登り降りはそもそも無理なので、上から覗いただけだが、最後の役行者像に対面すると「やっと来たな。ここからがスタートやで」と言われているような気になった。ブログ上は一区切りつけられるが、巡行とは一生続くものなんだろう。
■コースタイム南海加太 9:58
10:08 加太・常行寺
10:15 加太港 11:00
11:25 友ヶ島野奈浦桟橋 11:30
11:42 神島遥拝所
11:51 深蛇池分岐
12:05 虎島展望所(ジグザグ道上)
12:07 満越手前■休憩 12:18
12:22 満越渡る
12:31 序品窟 12:43
12:56 序品窟/堡塁跡分岐
13:05 堡塁跡
13:10 観念窟上
13:14 役行者像
13:18 堡塁跡■休憩 13:25
13:34 序品窟/堡塁跡分岐
13:40 岩の水たまり■休憩 13:46
13:50 閼伽井(後戻り)
14:05 深蛇池分岐
14:08 深蛇池
14:26 神島遥拝所
14:35 野奈浦桟橋■休憩 15:30
15:51 加太港
15:53 弘法大師堂、役行者堂 16:02
16:05 食堂休憩
16:40 加太駅
友ヶ島島内;7.7km/3時間17分(山旅ロガー読み、内、休憩24分)
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■対応元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-347.html
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
南海加太が9:58、ちょっと寄り道して加太・常行寺に行ってみた。その昔(戦国時代)、役行者の開基になる伽陀寺というのがあって、天正13年(1585)の秀吉による紀州征伐で焼失し、後にその本尊三佛をこの寺に移して奉ったと伝わる。今ではそれ以上に老シンパクで有名であるらしい。あれ?シンパクとビャクシンは単なる異名なのか、変種なのか?ビャクシン(柏槇)、シンパク(槇柏、真柏)。要はイブキ。
約25分で友ヶ島野奈浦桟橋に着く。友ヶ島は地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称で、桟橋のあるのは沖ノ島。
トイレを借りてすぐ出発(11:30)
良い道が続いている。もともとは輜重隊の兵隊さんが大砲と弾薬を運んだ道だろう。岩を穿って通したさすがの切通し。
トイレを借りてすぐ出発(11:30)
良い道が続いている。もともとは輜重隊の兵隊さんが大砲と弾薬を運んだ道だろう。岩を穿って通したさすがの切通し。
12:05、虎島を一望できる場所にきた。名づけて虎島展望所(自称)。ジグザグで海岸に下っていく手前にある。右先端部にうっすらと白いポールのようなものが見える。あそこが第一番の経塚のある序品窟だ。
12:07 海岸に降りてきたところで10分ちょっと昼食休憩。腹ごしらえをしとかないと。
虎島に渡るこの場所は「満越」というらしい。干潮のときしか渡れない。今日は大潮で13:30ころが一番の干潮なので、夕方近くまでは安心なのだが、なんとなく気ぜわしい。
虎島に渡るこの場所は「満越」というらしい。干潮のときしか渡れない。今日は大潮で13:30ころが一番の干潮なので、夕方近くまでは安心なのだが、なんとなく気ぜわしい。
12:23、歩きやすくはないが、これはおもしろい!何がおもしろいって、自分でルートを定めながらうまく乗り越した時のおもしろさ。和泉砂岩というのか、おそろしいほどフリクションが効く。海草を踏まない限り滑る心配はないが、ジャンプなどは禁物だ。手足を使って三点確保が基本だ。
13:43、お参りを済ませて、もとの満越まで戻る。
行者さんはここから海岸線伝いに観念窟に至ったり、岬の突端から尾根に登っていくようだが、それはちゃんとした先達が(修験でも岩登りでも)居る場合であって、単独行の場合は元に戻るのが当然だろう。
行者さんはここから海岸線伝いに観念窟に至ったり、岬の突端から尾根に登っていくようだが、それはちゃんとした先達が(修験でも岩登りでも)居る場合であって、単独行の場合は元に戻るのが当然だろう。
堡塁の構造などは知らないのだが、空気抜きの穴か?
ここが虎島山頂部の2つの平たいピークの間の小さな峠のようになっていて、ちょっとした広場になっていた(13:05)。2人のハイカーが休憩中。
ここが虎島山頂部の2つの平たいピークの間の小さな峠のようになっていて、ちょっとした広場になっていた(13:05)。2人のハイカーが休憩中。
鉄山氏の道標には、40mで海面近くに降り、とあって、そこには観念窟がある。ロープも垂らしてあるが、先達と一緒でないとあかんやろ。
岸壁の下から1/3くらいのところに「友嶋五所額」が刻まれている。寛文九年(1669)紀州藩主初代・徳川頼宜の命により、儒臣・李梅渓の書を刻ませたもの。
禁殺生穢悪
友島五所
観念窟
序品窟
閼伽井
深蛇池
劔 池
とあるようだが、ここからは見えない。実際の写真はコチラ。
岸壁の下から1/3くらいのところに「友嶋五所額」が刻まれている。寛文九年(1669)紀州藩主初代・徳川頼宜の命により、儒臣・李梅渓の書を刻ませたもの。
禁殺生穢悪
友島五所
観念窟
序品窟
閼伽井
深蛇池
劔 池
とあるようだが、ここからは見えない。実際の写真はコチラ。
なかなかのお顔であるが、歌手の誰かに似ていなくもない。
「今ごろ来たんか!これから巡行始めるんやろな」と。無理から言われているような気がして、まあ、それはそのつもりではあるんだけれど・・・と、二順目の約束をしてしまったような気がした。
「今ごろ来たんか!これから巡行始めるんやろな」と。無理から言われているような気がして、まあ、それはそのつもりではあるんだけれど・・・と、二順目の約束をしてしまったような気がした。
13:18、道標の場所から海面を見ていると、外海から内海(加太のほう)に潮が流れているように見えた。しかし、これは瀬戸内海・から潮が流れ出ているのだった。干潮時間は正確には13時21分。ちょうど今ごろだ。
堡塁跡で少し休憩した(写真は前に出した)。ちなみに、虎島であった客、おじさん1、おばさん1、男女2名パーティ、若いねーちゃんパーティ2名、ここまで来る人は少ないようだ。
堡塁跡で少し休憩した(写真は前に出した)。ちなみに、虎島であった客、おじさん1、おばさん1、男女2名パーティ、若いねーちゃんパーティ2名、ここまで来る人は少ないようだ。
13:38、満越を渡り、沖ノ島に戻る。まだまだ干潮だが、なんとなくホッとする。
13:40、先行していた男女2人組に追いついたところで休憩した。
下のガケを見ると、ロープが垂らしてあり、岩の窪みに水が溜まっている。
13:40、先行していた男女2人組に追いついたところで休憩した。
下のガケを見ると、ロープが垂らしてあり、岩の窪みに水が溜まっている。
島の西にある蛇池の隅の底なしの洞に棲んでいた大蛇が出没して加太や淡路島を荒らし回っていた。役行者は困り果てた島民の嘆きを聞いて、大蛇をつかまえとどめを刺そうしたが、命を助ける代わりに、二度と悪事を働かぬ証として大蛇の爪を剥ぎ、深蛇池まで連れていって封じた。そしてただ「夜、笛を吹くときだけは出てきて良い」との約束を与えた。
詳しくはコチラ。http://www.hunterslog.net/dragonology/ryujatan/kinki/tomogashima/01.html(消えてます)
鉄山氏によると、その大蛇が深蛇大王と化し、法華修行を保護すべくこの沼にに鎮座しているという。
詳しくはコチラ。http://www.hunterslog.net/dragonology/ryujatan/kinki/tomogashima/01.html(消えてます)
鉄山氏によると、その大蛇が深蛇大王と化し、法華修行を保護すべくこの沼にに鎮座しているという。
阿字ヶ峰山麓にある茶店で、とりあえずビール。ラーメンを食べていると、壁にパンフレットが貼ってあった。「加太の伝統行事 京都聖護院門跡 採燈大護摩供」
それによると、葛城二十八宿の第一番の経塚は加太にあったと!平安時代には加太駅近くにあった伽陀寺または深山にあった阿振利寺を修行の拠点としていたが、室町から江戸時代の初めごろに虎島に移ったのだと。このパンフの写真を撮っていたら、「もう終った行事ですけど・・・」と言って、パンフをくれた。
なんでも、昔はこの護摩供行事が途絶えていたんだけけども、若い人たちが中心になって、伝統はのこさないかんとなり、復活したのだそうだ。
なかなかやるね加太の若い衆。
そういう話を聞いて、満足して南海加太駅に向かった。加太には再度訪問しないと・・・
それによると、葛城二十八宿の第一番の経塚は加太にあったと!平安時代には加太駅近くにあった伽陀寺または深山にあった阿振利寺を修行の拠点としていたが、室町から江戸時代の初めごろに虎島に移ったのだと。このパンフの写真を撮っていたら、「もう終った行事ですけど・・・」と言って、パンフをくれた。
なんでも、昔はこの護摩供行事が途絶えていたんだけけども、若い人たちが中心になって、伝統はのこさないかんとなり、復活したのだそうだ。
なかなかやるね加太の若い衆。
そういう話を聞いて、満足して南海加太駅に向かった。加太には再度訪問しないと・・・
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