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Yamareco

記録ID: 7722016
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県玉野市 向日比港〜城山〜地蔵山+渋川&八浜資料館

2025年01月19日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
1
日帰りが可能
GPS
03:12
距離
7.0km
登り
255m
下り
255m
歩くペース
ゆっくり
1.41.5
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
2:22
休憩
0:50
合計
3:12
距離 7.0km 登り 255m 下り 255m
9:38
14
向日比港
9:52
9:58
13
向日比公園
10:11
10:15
10
向日比城跡南曲輪(70m峰)
10:25
10:33
17
10:50
5
舗装道路出合
10:55
10:59
12
地蔵山登山口防獣フェンス
11:11
11:19
4
地蔵山東の展望岩
11:23
11:24
2
展望岩
11:26
11:35
26
北展望大岩
12:01
17
和田市民センター和田分室
12:18
12:28
22
御前八幡宮
12:50
向日比港
展望や史跡を楽しむコース
歩行距離7km、歩行時間2時間30分、歩行数11,900歩、消費カロリー690Kcal
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2025年01月の天気図
アクセス 向日比(むかいひび)港の広いスペースに自動車を停めました。未舗装ですが、ここは満車にはならないようなのでお勧めです。
コース状況/
危険箇所等
 危険箇所やヤブコギはありません。城山北の舗装道路に出る前に道から逸れてしまいましたが、ヤブコギとまではならずにすみました。駐車場に飛び降りずにすむので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。
 地蔵山頂上と南西の南展望大岩はうっかりスルーしてしまいましたが、普通は大丈夫だと思います。

 向日比公園<写真06〜09>を経て城山<写真16〜20>から北の舗装道路に出合うまでは、最後のほうで道から逸れてしまいました。
 向日比公園<写真06〜09>からかなり細いコンクリート道を通り、標高20m辺りから土道に入りました。小さなプレート状の道標がありますが、知らなければわかりにくいです。
 土の細道は明瞭でフェンスに出合うと登りが始まります。向日比城跡南曲輪の南西の岩群<写真10>に寄り道したためか、その後多少道から逸れたようですが、木の枝をわずかによけただけですみました。
 標高70m辺りは向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)<写真11〜13>でここから急下りですが道は明瞭で、途中から滑りやすいザレ場の細道が続きました。
 城山頂上<写真16〜20>から土質が変わり、しばらくは崩れやすい急下りが続き、鉄塔前後は緩やかでした。
 標高25m辺りから再び木の間の細道で崩れやすくなり、なぜかすぐに道から逸れてしまったようです。北西に進むはずが北東に進んでしまい、たまに木の枝を片手でよけながら腰をかがめて歩きました。標高10m近くまで下り北西に進路を変えると踏み固めた細道らしきものに出合い、そのまま辿ると木の根元から舗装道路に下りられました。
 正規ルートの下山口はもう少し西で、7年前に駐車場に飛び降りた所のようです。今回のミスコースはヤブコギというほどではなく、駐車場を回避できるので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。

 城山<写真16〜20>北の舗装道路から地蔵山を経て和田地区に下山するまでは、地蔵山頂上などスルーしてしまった箇所があります。
 城山<写真16〜20>北の舗装道路から地形図の実線の道を北上し土道に入り、標高35m辺りのT字路で左折するとすぐに防獣フェンスに登山道のプレートが取り付けてありますが、開けられずまたぎました。
 すぐに黒いプラスチックの土留めが階段状に続いた道になり、しばらくすると分岐があったので東に進みました。シダが脚に当たりますが足元は見える細道を辿ると地蔵山東の展望岩<写真21〜26>です。
 引き返し、地蔵山頂上へは西に向かう道の分岐があったようですが、もう迷わないと思い込んで確認しなかったため、頂上と南西の南展望大岩をスルーしてしまいました。
 展望岩<写真27>へは、今回はピンクテープがあり入口もきれいな細道がついていました。北展望大岩<写真28〜30>は道沿いです。
 7年前はここから北西尾根の鉄塔巡視路に入り鉄塔からヤブコギしましたが、今回はすぐに岩が埋まった足元が崩れやすいロープ場を下りました。もう1か所ロープ場を過ぎると歩きやすくなります。
 標高90m近くまで下ると地形図の破線の道が二つに分かれます。直進は鉄塔巡視路ですが、最後は工場の敷地に突っ込みそうなので、左の「下山和田」ルートを選択。
 標高50m近くでトタンをまたぎ、ピンクテープにつられて尾根を直進しましたが、連れに呼び戻され、地形図の破線の道に戻りました。小さな柑橘畑など生活の跡が見られる細道で、ピンクテープはかなりこまめにあります。周辺は7年前に比べると放置されている感じが強かったです。尾根はきれいだったので、そのまま直進してみてもよかったと思いました。
 標高30m辺りからは舗装された細道でした。
その他周辺情報 向日比(むかいひび)港西の渋川にダイヤモンド瀬戸内マリンホテルがあります。「レストラン サンセット」では、日曜・祝日の11時半〜14時半(ラストオーダー13時半)にランチバイキング<写真41〜44>が提供されています。大人一人2,200円で約40種類の料理が食べ放題となっていました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もあったので、13時頃までには入店したほうがいいでしょう。
01向日比港より日比製煉株式会社&神登山…西北西方面です。港越しに左に煙突のある日比製煉株式会社、中央より右寄りの白っぽい部分は神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、右端は神登山(しんとうざん)です。
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01向日比港より日比製煉株式会社&神登山…西北西方面です。港越しに左に煙突のある日比製煉株式会社、中央より右寄りの白っぽい部分は神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、右端は神登山(しんとうざん)です。
02旧日比製錬所の煙突…<写真01>の3本の煙突の右端です。大正5年(1916年)に設立された日本金属株式会社(現日比製煉株式会社)の初代煙突で"太郎煙突"と呼ばれていたのがこれだろうと思います。第2代煙突が建設される際に撤去される予定でしたが、地元の強い要望により残され、日比のランドマークとして親しまれています。
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02旧日比製錬所の煙突…<写真01>の3本の煙突の右端です。大正5年(1916年)に設立された日本金属株式会社(現日比製煉株式会社)の初代煙突で"太郎煙突"と呼ばれていたのがこれだろうと思います。第2代煙突が建設される際に撤去される予定でしたが、地元の強い要望により残され、日比のランドマークとして親しまれています。
03向日比マリーナより船越しに見晴台&神登山&隕石岩⁉…北西方面です。中央の白っぽい部分は神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、その右は神登山(しんとうざん)、さらに右奥は拡大しないとわかりにくいですが、神登山北北東の標高120mピークで玉野和田テレビ中継放送所と丸い大きな岩があります。見下ろすと隕石が落っこちたように見えるので、勝手に隕石岩と呼んでいます。
03向日比マリーナより船越しに見晴台&神登山&隕石岩⁉…北西方面です。中央の白っぽい部分は神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、その右は神登山(しんとうざん)、さらに右奥は拡大しないとわかりにくいですが、神登山北北東の標高120mピークで玉野和田テレビ中継放送所と丸い大きな岩があります。見下ろすと隕石が落っこちたように見えるので、勝手に隕石岩と呼んでいます。
04日比港西四号防波堤灯台越しに小槌島&大槌島…南方面少し西寄りです。日比港西四号防波堤灯台の奥が小槌島です。中央の大槌島(おおづちじま)は北半分が岡山県(御前八幡宮<写真33〜38>の所有地)、南半分が香川県という変わった無人島です。享保16(1731)年、備前国と讃岐国の間で勃発した漁業権争いが藩の領地問題に発展、幕府の裁許で折半することになりました。裁許状には名奉行として時代劇でおなじみの大岡越前守の署名もあります。
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04日比港西四号防波堤灯台越しに小槌島&大槌島…南方面少し西寄りです。日比港西四号防波堤灯台の奥が小槌島です。中央の大槌島(おおづちじま)は北半分が岡山県(御前八幡宮<写真33〜38>の所有地)、南半分が香川県という変わった無人島です。享保16(1731)年、備前国と讃岐国の間で勃発した漁業権争いが藩の領地問題に発展、幕府の裁許で折半することになりました。裁許状には名奉行として時代劇でおなじみの大岡越前守の署名もあります。
05向日比の路地…タバコ屋のようですが、現在も営業されているのかはわかりませんでした。このような細い坂道が北に延びており、いかにも港町の路地らしく風情があります。
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05向日比の路地…タバコ屋のようですが、現在も営業されているのかはわかりませんでした。このような細い坂道が北に延びており、いかにも港町の路地らしく風情があります。
06向日比公園より祠&遊具越しに地蔵山…鳥居<写真09>から階段を上ると公園になっていました。おそらく、神社が合祀か遷座されたため、小さな祠だけを残し元境内を公園にしたのでしょう。北方面に目指す地蔵山が見えました。
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06向日比公園より祠&遊具越しに地蔵山…鳥居<写真09>から階段を上ると公園になっていました。おそらく、神社が合祀か遷座されたため、小さな祠だけを残し元境内を公園にしたのでしょう。北方面に目指す地蔵山が見えました。
07向日比公園よりベンチ越しに地蔵山…ここは開けており、ベンチがありました。北方面に見える地蔵山の頂上少し斜め左下に岩が見えますが、これが今回うっかりスルーしてしまった南展望大岩だろうと思います。7年前は雪がちらついていましたが、展望はかなりよかった記憶があります。
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07向日比公園よりベンチ越しに地蔵山…ここは開けており、ベンチがありました。北方面に見える地蔵山の頂上少し斜め左下に岩が見えますが、これが今回うっかりスルーしてしまった南展望大岩だろうと思います。7年前は雪がちらついていましたが、展望はかなりよかった記憶があります。
08向日比公園より見晴台&神登山&隕石岩⁉&「大池」峰…北西方面です。左のほうの白っぽいのが神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、中央が神登山(しんとうざん)、すぐ右奥は隕石岩⁉のある神登山北北東の標高120mピーク、右端は標高132.2m三角点「大池」峰です。
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08向日比公園より見晴台&神登山&隕石岩⁉&「大池」峰…北西方面です。左のほうの白っぽいのが神登山南尾根の1本西の尾根上にある見晴台と呼ばれる岩場、中央が神登山(しんとうざん)、すぐ右奥は隕石岩⁉のある神登山北北東の標高120mピーク、右端は標高132.2m三角点「大池」峰です。
09向日比公園より鳥居越しに城山…引き返そうとすると、北東方面に鳥居越しに目指す城山<写真16〜20>が見えました。岩だらけですが、登っている最中は気づきません。
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09向日比公園より鳥居越しに城山…引き返そうとすると、北東方面に鳥居越しに目指す城山<写真16〜20>が見えました。岩だらけですが、登っている最中は気づきません。
10向日比城跡南曲輪の南西の岩群…これが見えたのでわずかに西寄りに逸れました。この写真ではわかりにくいですが、岩の間に隙間があります。
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10向日比城跡南曲輪の南西の岩群…これが見えたのでわずかに西寄りに逸れました。この写真ではわかりにくいですが、岩の間に隙間があります。
11向日比城跡南曲輪より岩越しに串ノ山&勝賀山&紅ノ峰…周辺は向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)で20m×15mの平坦地です。東端のここは岩場で、南方面少し東寄りが見えました。岩越しに手前が65m峰、中央少し左奥は手前が串ノ山で奥が勝賀山(かつがやま)、中央は紅ノ峰(こうのみね)です。
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11向日比城跡南曲輪より岩越しに串ノ山&勝賀山&紅ノ峰…周辺は向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)で20m×15mの平坦地です。東端のここは岩場で、南方面少し東寄りが見えました。岩越しに手前が65m峰、中央少し左奥は手前が串ノ山で奥が勝賀山(かつがやま)、中央は紅ノ峰(こうのみね)です。
12向日比城跡南曲輪より日比港&宮田山&王子が岳&神登山…西方面です。左手前が日比港で奥は煙突のある日比製煉株式会社、その右奥に小さく宮田山、中央奥は王子が岳、その右手前の白っぽい岩場が見晴台、右端が神登山(しんとうざん)です。
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12向日比城跡南曲輪より日比港&宮田山&王子が岳&神登山…西方面です。左手前が日比港で奥は煙突のある日比製煉株式会社、その右奥に小さく宮田山、中央奥は王子が岳、その右手前の白っぽい岩場が見晴台、右端が神登山(しんとうざん)です。
13向日比城跡南曲輪より宮田山頂上ズーム…西方面少し南寄りをズームしてみました。頂上にはNHK渋川中継局があるのでわかりやすいです。
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13向日比城跡南曲輪より宮田山頂上ズーム…西方面少し南寄りをズームしてみました。頂上にはNHK渋川中継局があるのでわかりやすいです。
14城山南尾根より向日比城跡南曲輪越しに五色台&小槌島&大槌島&乃生岬…振り返って南方面少し西寄りを望みました。手前に先程登った向日比(むかいひび)城跡南曲輪(くるわ)のある標高70m峰<写真11〜13>、中央奥にうっすらと平らな五色台、その手前に小槌島、右に大槌島(おおづちじま)、右端に乃生(のう)岬が見えました。
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14城山南尾根より向日比城跡南曲輪越しに五色台&小槌島&大槌島&乃生岬…振り返って南方面少し西寄りを望みました。手前に先程登った向日比(むかいひび)城跡南曲輪(くるわ)のある標高70m峰<写真11〜13>、中央奥にうっすらと平らな五色台、その手前に小槌島、右に大槌島(おおづちじま)、右端に乃生(のう)岬が見えました。
15城山南尾根より岩越しに小槌島&大槌島&乃生岬&日比港&日比製煉株式会社…再び岩越しに振り返ってみました。南南西方面に左端から小槌島、大槌島(おおづちじま)、乃生(のう)岬、右に日比港と奥に煙突のある日比製煉株式会社が見えました。
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15城山南尾根より岩越しに小槌島&大槌島&乃生岬&日比港&日比製煉株式会社…再び岩越しに振り返ってみました。南南西方面に左端から小槌島、大槌島(おおづちじま)、乃生(のう)岬、右に日比港と奥に煙突のある日比製煉株式会社が見えました。
16城山頂上三角点「向日比」…この南東から歩きながら動画を撮りスルーしたので引き返しながら探しました。標高84m三角点「向日比」(むかいひび)は木に囲まれていました。
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16城山頂上三角点「向日比」…この南東から歩きながら動画を撮りスルーしたので引き返しながら探しました。標高84m三角点「向日比」(むかいひび)は木に囲まれていました。
17城山頂上より地蔵山…周辺は向日比(むかいひび)城跡北曲輪(くるわ)で45m×15mの平坦地です。『玉野市史』では向日比四宮城(しのみやじょう)となっており、四宮隠岐守が弘治・永禄年間(1555〜1570年)に城としたとされています。北北西方面に目指す地蔵山が見えました。
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17城山頂上より地蔵山…周辺は向日比(むかいひび)城跡北曲輪(くるわ)で45m×15mの平坦地です。『玉野市史』では向日比四宮城(しのみやじょう)となっており、四宮隠岐守が弘治・永禄年間(1555〜1570年)に城としたとされています。北北西方面に目指す地蔵山が見えました。
18城山頂上より瀬戸大橋…南西方面の瀬戸大橋はかすんでいました。後で香川県の山や島を動画に撮りました。
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18城山頂上より瀬戸大橋…南西方面の瀬戸大橋はかすんでいました。後で香川県の山や島を動画に撮りました。
19城山頂上より向日比城跡南曲輪越しに串ノ山&勝賀山&紅ノ峰…南方面です。手前に向日比(むかいひび)城跡南曲輪(くるわ)のある標高70m峰<写真11〜13>とすぐ右奥に65m峰、左端奥にうっすらとですが串ノ山と勝賀山(かつがやま)、中央奥に紅ノ峰(こうのみね)が見えました。
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19城山頂上より向日比城跡南曲輪越しに串ノ山&勝賀山&紅ノ峰…南方面です。手前に向日比(むかいひび)城跡南曲輪(くるわ)のある標高70m峰<写真11〜13>とすぐ右奥に65m峰、左端奥にうっすらとですが串ノ山と勝賀山(かつがやま)、中央奥に紅ノ峰(こうのみね)が見えました。
20城山頂上より日比港東防波堤灯台&日比港西四号防波堤灯台…南西方面です。赤い日比港東防波堤灯台と白い日比港西四号防波堤灯台の間を船が通り抜けていくのが見えました。
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20城山頂上より日比港東防波堤灯台&日比港西四号防波堤灯台…南西方面です。赤い日比港東防波堤灯台と白い日比港西四号防波堤灯台の間を船が通り抜けていくのが見えました。
21地蔵山東の展望岩より葛島&井島&直島&豊島&荒神島…ここはお初です。岩越しに東方面を望みました。右手前は地蔵山東南東の90m峰(ズーム写真は<写真26>)、左端奥は葛島(かつらしま)、その右最奥が井島、中央は直島、その奧は豊島(てしま)、右端手前の島が荒神島です。
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21地蔵山東の展望岩より葛島&井島&直島&豊島&荒神島…ここはお初です。岩越しに東方面を望みました。右手前は地蔵山東南東の90m峰(ズーム写真は<写真26>)、左端奥は葛島(かつらしま)、その右最奥が井島、中央は直島、その奧は豊島(てしま)、右端手前の島が荒神島です。
22地蔵山東の展望岩より上烏島&京ノ上臈島&葛島&井島&直島…東北東方面です。手前に大きく葛島(かつらしま)、左端には小さな上烏島(かみからすじま)と奥に京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)、中央奥に井島、その手前に直島が見えました。
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22地蔵山東の展望岩より上烏島&京ノ上臈島&葛島&井島&直島…東北東方面です。手前に大きく葛島(かつらしま)、左端には小さな上烏島(かみからすじま)と奥に京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)、中央奥に井島、その手前に直島が見えました。
23地蔵山東の展望岩より葛島&井島&直島&豊島…東方面少し北寄りです。左手前が葛島(かつらしま)、その奥が直島で煙突周辺は三菱マテリアル直島製錬所、左最奥が井島、右奥は豊島(てしま)です。
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23地蔵山東の展望岩より葛島&井島&直島&豊島…東方面少し北寄りです。左手前が葛島(かつらしま)、その奥が直島で煙突周辺は三菱マテリアル直島製錬所、左最奥が井島、右奥は豊島(てしま)です。
24地蔵山東の展望岩より玉港越しに金甲山&鏡岩&貝殻山…南側の一段低い小さめの岩に下りて北北東方面を望みました。中央が玉港、左最奥が金甲山(きんこうざん)、その手前、ハート形に見える集落は宇野2丁目周辺、そこと木の枝との間に見える岩が玉仙岩、中央少し左寄りの岩だらけが田井みなと公園西の91m峰で右端の岩が鏡岩、中央最奥は東光寺山、手前右端は稲荷山、その右奥の岩のあるピークが鏡岩南の80m峰、その最奥が貝殻山です。
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24地蔵山東の展望岩より玉港越しに金甲山&鏡岩&貝殻山…南側の一段低い小さめの岩に下りて北北東方面を望みました。中央が玉港、左最奥が金甲山(きんこうざん)、その手前、ハート形に見える集落は宇野2丁目周辺、そこと木の枝との間に見える岩が玉仙岩、中央少し左寄りの岩だらけが田井みなと公園西の91m峰で右端の岩が鏡岩、中央最奥は東光寺山、手前右端は稲荷山、その右奥の岩のあるピークが鏡岩南の80m峰、その最奥が貝殻山です。
25地蔵山東の展望岩より玉港越しに天狗ノ南山&西光峰&金甲山&東光寺山…今度はもう少し西寄りです。手前は三井E&S玉野事業所、その左端奥は玉仙岩頂上展望台のある80m峰で右斜面に玉仙岩、左端の岩だらけが天狗ノ南山、その奥が西光峰、中央少し左寄り最奥が金甲山(きんこうざん)、その右手前の岩だらけが田井みなと公園西の91m峰で右端の岩が鏡岩、右最奥は東光寺山です。
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25地蔵山東の展望岩より玉港越しに天狗ノ南山&西光峰&金甲山&東光寺山…今度はもう少し西寄りです。手前は三井E&S玉野事業所、その左端奥は玉仙岩頂上展望台のある80m峰で右斜面に玉仙岩、左端の岩だらけが天狗ノ南山、その奥が西光峰、中央少し左寄り最奥が金甲山(きんこうざん)、その右手前の岩だらけが田井みなと公園西の91m峰で右端の岩が鏡岩、右最奥は東光寺山です。
26地蔵山東の展望岩より地蔵山東南東90m峰…<写真21>の岩に戻りました。東南東方面に地蔵山東南東の90m峰と船が見えました。金甲山(きんこうざん)からグルっと動画を撮りました。
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26地蔵山東の展望岩より地蔵山東南東90m峰…<写真21>の岩に戻りました。東南東方面に地蔵山東南東の90m峰と船が見えました。金甲山(きんこうざん)からグルっと動画を撮りました。
27展望岩より日比製煉株式会社&宮田山&神登山…地蔵山頂上と南展望大岩をなぜかスルーしてしまい、ピンクテープから細道を辿ってここへ。南北に同じような大きさの岩がありますが、今回は南側の岩の上にだけ上がって西南西方面を望みました。手前は明神町の町並み、左奥は煙突のある日比製煉株式会社、中央が宮田山、右端が神登山(しんとうざん)です。動画には「遊びの創造ランドおもちゃ王国」の観覧車も映っています。
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27展望岩より日比製煉株式会社&宮田山&神登山…地蔵山頂上と南展望大岩をなぜかスルーしてしまい、ピンクテープから細道を辿ってここへ。南北に同じような大きさの岩がありますが、今回は南側の岩の上にだけ上がって西南西方面を望みました。手前は明神町の町並み、左奥は煙突のある日比製煉株式会社、中央が宮田山、右端が神登山(しんとうざん)です。動画には「遊びの創造ランドおもちゃ王国」の観覧車も映っています。
28北展望大岩より金甲山&高辺鼻&屏風島&京ノ上臈島&葛島&井島…以前は八畳岩と呼ばれていましたが、玉野アルプス愛好会の地図や現地道標では北展望大岩となっています。北東方面を望みました。左のほうはかすんでいますが、<写真24,25>に写っている辺りが見えています。中央奥は高辺鼻、すぐ右は屏風島と喜兵衛島(きへえじま)、その右手前の丸っこい島が下烏島(しもがらすじま)、その右は手前が上烏島(かみからすじま)で奥が京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)、右端は手前から葛島(かつらしま)、直島、井島です。
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28北展望大岩より金甲山&高辺鼻&屏風島&京ノ上臈島&葛島&井島…以前は八畳岩と呼ばれていましたが、玉野アルプス愛好会の地図や現地道標では北展望大岩となっています。北東方面を望みました。左のほうはかすんでいますが、<写真24,25>に写っている辺りが見えています。中央奥は高辺鼻、すぐ右は屏風島と喜兵衛島(きへえじま)、その右手前の丸っこい島が下烏島(しもがらすじま)、その右は手前が上烏島(かみからすじま)で奥が京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)、右端は手前から葛島(かつらしま)、直島、井島です。
29北展望大岩の貫入岩…白っぽい筋は後から岩に入り込んだ岩石で貫入岩といいます。ほぼ等間隔で平行に3本あるうちの西側を撮りました。金属製のフェンスや椅子?は7年前もありました。懐かしいです。
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29北展望大岩の貫入岩…白っぽい筋は後から岩に入り込んだ岩石で貫入岩といいます。ほぼ等間隔で平行に3本あるうちの西側を撮りました。金属製のフェンスや椅子?は7年前もありました。懐かしいです。
30北展望大岩より宇野港口飛州灯台&葛島&上烏島&京ノ上臈島&蛭子島&筏島…北東方面です。手前は宇野港口飛州(うのこうぐちとびす)灯台、すぐ奥が葛島(かつらしま)、さらに奥は京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)でその左手前の丸っこいのが上烏島(かみからすじま)、左最奥は蛭子島(ひるこじま)、中央奥の灯台があるのが筏島です。
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30北展望大岩より宇野港口飛州灯台&葛島&上烏島&京ノ上臈島&蛭子島&筏島…北東方面です。手前は宇野港口飛州(うのこうぐちとびす)灯台、すぐ奥が葛島(かつらしま)、さらに奥は京ノ上臈島(きょうのじょろうじま)でその左手前の丸っこいのが上烏島(かみからすじま)、左最奥は蛭子島(ひるこじま)、中央奥の灯台があるのが筏島です。
31玉野市立和田市民センター和田分室…木造の古そうな建物ですが、昭和35年築造と想像よりもかなり新しかったです。
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31玉野市立和田市民センター和田分室…木造の古そうな建物ですが、昭和35年築造と想像よりもかなり新しかったです。
32キジバト…歩き回っていたので動画も撮りました。鳴き声のデーデーポッポにはかなり個体差があり、音程やリズムが微妙に異なります。現在、我が家の周辺では「デーデーブゥ、デーデーブゥ、デーブゥブゥ」という鳴き声が聞こえます。もちろん、我が家ではデーブと呼んでいます。
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32キジバト…歩き回っていたので動画も撮りました。鳴き声のデーデーポッポにはかなり個体差があり、音程やリズムが微妙に異なります。現在、我が家の周辺では「デーデーブゥ、デーデーブゥ、デーブゥブゥ」という鳴き声が聞こえます。もちろん、我が家ではデーブと呼んでいます。
33シーバス「御崎」停留所越しに御前八幡宮…南側に駐車場がありますが、参拝者用は中央部分だけです。7年前とは違い、明示されてわかりやすくなっていました。この地域名は御崎(おんざき)で、神社の名前は御前(みさき)八幡宮です。御前(みさき)とは変死人の霊魂のことで、海難事故で亡くなった人が集団でたたるという七人みさき伝説が西日本各地にあります。元々は七人みさきをお祀りし、今後海難事故がないようにと祈る場だったのかもしれません。
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33シーバス「御崎」停留所越しに御前八幡宮…南側に駐車場がありますが、参拝者用は中央部分だけです。7年前とは違い、明示されてわかりやすくなっていました。この地域名は御崎(おんざき)で、神社の名前は御前(みさき)八幡宮です。御前(みさき)とは変死人の霊魂のことで、海難事故で亡くなった人が集団でたたるという七人みさき伝説が西日本各地にあります。元々は七人みさきをお祀りし、今後海難事故がないようにと祈る場だったのかもしれません。
34御前八幡宮拝殿…ご祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、猿田彦命です。近所の方らしき参拝客が2人おられるだけで静かでした。日本三大奇祭の1つで国の重要無形民俗文化財に指定されている岡山市の西大寺観音院の「西大寺会陽(えよう)」は、ここから伝わったものだともいわれているそうです。
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34御前八幡宮拝殿…ご祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、猿田彦命です。近所の方らしき参拝客が2人おられるだけで静かでした。日本三大奇祭の1つで国の重要無形民俗文化財に指定されている岡山市の西大寺観音院の「西大寺会陽(えよう)」は、ここから伝わったものだともいわれているそうです。
35御前八幡宮絵馬…北半分がこの神社の所有地になっている大槌島(おおづちじま)<写真4,48>には大蛇退治伝説があります。八幡様の夢のお告げにより日比村の住人・加地藤右衛門(かじとうえもん)が退治に出かけ、無事に倒しましたが、残念ながら毒にやられて命を落としました。ここには「大蛇の下あごの骨」が保管されているそうです。巳年に参拝するのにふさわしい神社でした。
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35御前八幡宮絵馬…北半分がこの神社の所有地になっている大槌島(おおづちじま)<写真4,48>には大蛇退治伝説があります。八幡様の夢のお告げにより日比村の住人・加地藤右衛門(かじとうえもん)が退治に出かけ、無事に倒しましたが、残念ながら毒にやられて命を落としました。ここには「大蛇の下あごの骨」が保管されているそうです。巳年に参拝するのにふさわしい神社でした。
36赤瀧稲荷神社…鳥居の左奥に備前焼の子連れお稲荷様が小さく見えています。今回は撮り忘れました。
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36赤瀧稲荷神社…鳥居の左奥に備前焼の子連れお稲荷様が小さく見えています。今回は撮り忘れました。
37御前八幡宮本殿…裏にまわって振り返ると、本殿越しに大槌島(おおづちじま)<写真4,48>が小さく見えました。
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37御前八幡宮本殿…裏にまわって振り返ると、本殿越しに大槌島(おおづちじま)<写真4,48>が小さく見えました。
38荒神社…ここからさらに上に道が続いていましたが、今回は引き返しました。
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38荒神社…ここからさらに上に道が続いていましたが、今回は引き返しました。
39えびす橋越しに地蔵山…北方面少し東寄りです。恵比寿像越しに先程登った地蔵山が見えました。
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39えびす橋越しに地蔵山…北方面少し東寄りです。恵比寿像越しに先程登った地蔵山が見えました。
40ハクセキレイ…もう野鳥はあきらめていましたが、向日比マリーナの公園のような所を歩き回って餌を探しているのを見つけて動画を撮りました。近くにスズメもいましたが、こちらは影で映りが悪く動画だけです。
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40ハクセキレイ…もう野鳥はあきらめていましたが、向日比マリーナの公園のような所を歩き回って餌を探しているのを見つけて動画を撮りました。近くにスズメもいましたが、こちらは影で映りが悪く動画だけです。
41「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo1…山行後はレストラン「サンセット」で大人一人2,200円のランチバイキング。13時には7割くらい埋まっていました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もありました。麻婆豆腐やカレーはあまり辛くなく、豚肉の煮物?は脂身が多いですが肉の風味はしっかり、エビもおいしかったです。
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41「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo1…山行後はレストラン「サンセット」で大人一人2,200円のランチバイキング。13時には7割くらい埋まっていました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もありました。麻婆豆腐やカレーはあまり辛くなく、豚肉の煮物?は脂身が多いですが肉の風味はしっかり、エビもおいしかったです。
42「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo2…実演料理のチキンハーブ焼きはこの日がラスト。岡山バラ寿司はブロッコリー、昆布の佃煮、イカ、ママカリ、マグロなど具沢山。レンコンとニンジンは辛子明太子と海苔の佃煮をからめてあり、おかわり。マグロのショウガ煮もよかったです。ビネガードリンクはマスカット風味で飲みやすく、マシンのミルクティーなどは、アイスとホットがあり、氷なしでも冷たいのが出たようです。
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42「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo2…実演料理のチキンハーブ焼きはこの日がラスト。岡山バラ寿司はブロッコリー、昆布の佃煮、イカ、ママカリ、マグロなど具沢山。レンコンとニンジンは辛子明太子と海苔の佃煮をからめてあり、おかわり。マグロのショウガ煮もよかったです。ビネガードリンクはマスカット風味で飲みやすく、マシンのミルクティーなどは、アイスとホットがあり、氷なしでも冷たいのが出たようです。
43「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo3…麺はうどんですが、スープは味噌ベースの中華そばに似た味であっさりしていました。生チョコプリンは濃厚で、おかわりしようと思ったら、閉店20分前にはなくなっていました。
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43「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo3…麺はうどんですが、スープは味噌ベースの中華そばに似た味であっさりしていました。生チョコプリンは濃厚で、おかわりしようと思ったら、閉店20分前にはなくなっていました。
44「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo4…果物はどれも新鮮です。アイスはジャージーミルク、シャインマスカット、アールグレイ、チョコチップでハズレなし。バスクチーズケーキは甘さ控えめでチーズ風味が強くおかわりしました。
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44「ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル」ランチバイキングNo4…果物はどれも新鮮です。アイスはジャージーミルク、シャインマスカット、アールグレイ、チョコチップでハズレなし。バスクチーズケーキは甘さ控えめでチーズ風味が強くおかわりしました。
45カクレクマノミ…ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルのロビーに小さな水槽がありました。イソギンチャクの仲間は説明書きがなかったので名前はよくわかりませんでした。サンゴは数種類あり、写真付きで解説がありました。
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45カクレクマノミ…ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルのロビーに小さな水槽がありました。イソギンチャクの仲間は説明書きがなかったので名前はよくわかりませんでした。サンゴは数種類あり、写真付きで解説がありました。
46カクレクマノミ&マンジュウイシモチ&ルリスズメダイ…左からカクレクマノミ、マンジュウイシモチ、ルリスズメダイです。熱帯魚も数種類でみんな体長3cm程のミニサイズでした。癒されました😊
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46カクレクマノミ&マンジュウイシモチ&ルリスズメダイ…左からカクレクマノミ、マンジュウイシモチ、ルリスズメダイです。熱帯魚も数種類でみんな体長3cm程のミニサイズでした。癒されました😊
47渋川海岸より常山&笠山&飯野山(讃岐富士)&角山…食後、ホテルの敷地から海岸へ。南南西方面に左端に常山、右裾手前に笠山、中央に飯野山(讃岐富士)、右端に角山が見えました。
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47渋川海岸より常山&笠山&飯野山(讃岐富士)&角山…食後、ホテルの敷地から海岸へ。南南西方面に左端に常山、右裾手前に笠山、中央に飯野山(讃岐富士)、右端に角山が見えました。
48渋川海岸より大槌島&五色台…南南東方面です。大槌島(おおづちじま)の右奥に五色台が見えています。
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48渋川海岸より大槌島&五色台…南南東方面です。大槌島(おおづちじま)の右奥に五色台が見えています。
49渋川海岸より瀬戸大橋…まだ14時半もきていないのに、夕方のようです。南西方面の瀬戸大橋は淡いシルエットでした。
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49渋川海岸より瀬戸大橋…まだ14時半もきていないのに、夕方のようです。南西方面の瀬戸大橋は淡いシルエットでした。
50渋川海岸より矢出山…西北西方面には矢出山が大きく見えました。左のほうの岩だらけの部分はニコニコ岩辺りです。
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50渋川海岸より矢出山…西北西方面には矢出山が大きく見えました。左のほうの岩だらけの部分はニコニコ岩辺りです。
51渋川海岸より宮田山…東方面には宮田山が見えました。頂上は左のほうです。
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51渋川海岸より宮田山…東方面には宮田山が見えました。頂上は左のほうです。
52八浜資料館敷地入口…玉野市と岡山市の境界付近にあります。車はこちらからしか入れません。「うろたえて はいらないでネ」の文字にうろたえながら入り、中央の白線の間に停めようとしましたが、幅が狭すぎて思うように切り替えせず、中途半端に駐車😅期待通り、誰も来られなくてよかったです。
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52八浜資料館敷地入口…玉野市と岡山市の境界付近にあります。車はこちらからしか入れません。「うろたえて はいらないでネ」の文字にうろたえながら入り、中央の白線の間に停めようとしましたが、幅が狭すぎて思うように切り替えせず、中途半端に駐車😅期待通り、誰も来られなくてよかったです。
53八浜資料館敷地入口向かって右側…とりあえず、再び入口へ。資料館はいくつかあるようです。各名称は統一されておらず、入口を見てもよくわかりません。歩きながら動画も撮りました。
53八浜資料館敷地入口向かって右側…とりあえず、再び入口へ。資料館はいくつかあるようです。各名称は統一されておらず、入口を見てもよくわかりません。歩きながら動画も撮りました。
54八浜資料館敷地入口越しに怒塚山北西斜面…敷地内から振り返ってみました。こんな感じで物がごちゃごちゃしています。これらを展示物ととらえるかガラクタ・ゴミととらえるかは価値観の問題でしょう。東方面に怒塚山(いかづかやま)北西斜面が見えています。
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54八浜資料館敷地入口越しに怒塚山北西斜面…敷地内から振り返ってみました。こんな感じで物がごちゃごちゃしています。これらを展示物ととらえるかガラクタ・ゴミととらえるかは価値観の問題でしょう。東方面に怒塚山(いかづかやま)北西斜面が見えています。
55八浜資料館外の干支の彫刻?…<写真54>の右側だったと思います。残念ながら、すべてそろってはいませんでした。
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55八浜資料館外の干支の彫刻?…<写真54>の右側だったと思います。残念ながら、すべてそろってはいませんでした。
56八浜資料館入口…とりあえず、ここが建物の入口のようだと開けてみることにしました。ドアノブがないので、念のため少し開けた状態で進入。あれっ、中庭?なぜか足元は土、上は空が見えます。いくつか同じようなドアが並んでいたので、とりあえず左手前のほうのを開けると、数十cm先に衣類を積み上げた棚がドーン😱慌てて閉めました。連れは「アカン、廃屋満タンや。」
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56八浜資料館入口…とりあえず、ここが建物の入口のようだと開けてみることにしました。ドアノブがないので、念のため少し開けた状態で進入。あれっ、中庭?なぜか足元は土、上は空が見えます。いくつか同じようなドアが並んでいたので、とりあえず左手前のほうのを開けると、数十cm先に衣類を積み上げた棚がドーン😱慌てて閉めました。連れは「アカン、廃屋満タンや。」
57七人岬地蔵尊…「七人みさき七体お地蔵山上仏」の道標の左脇にフェンスに挟まれた細道があり、「自己責任」の文字におびえながら少し上ると、これがありました。おそらく、「みさき」は漢字で書けば「御前」でしょう。変死人の霊魂のことで、七人みさきは特に海難事故で亡くなった人が集団でたたるという伝説のようです。西日本の広い範囲にあります。
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57七人岬地蔵尊…「七人みさき七体お地蔵山上仏」の道標の左脇にフェンスに挟まれた細道があり、「自己責任」の文字におびえながら少し上ると、これがありました。おそらく、「みさき」は漢字で書けば「御前」でしょう。変死人の霊魂のことで、七人みさきは特に海難事故で亡くなった人が集団でたたるという伝説のようです。西日本の広い範囲にあります。
58明日に欠ける橋⁉…七人岬地蔵尊<写真57>からさらに細道を進むと、目の前がこうなりました😱中央は屋根が落ちたのではなく、八浜資料館入口<写真56>のドアを開けると入れる中庭です。「明日に欠ける橋」はオーバーですが、“Bridge over Troubled roof”この先にはトラブルしかありません。「自己責任」はここのことかと妙に納得して引き返しました。
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58明日に欠ける橋⁉…七人岬地蔵尊<写真57>からさらに細道を進むと、目の前がこうなりました😱中央は屋根が落ちたのではなく、八浜資料館入口<写真56>のドアを開けると入れる中庭です。「明日に欠ける橋」はオーバーですが、“Bridge over Troubled roof”この先にはトラブルしかありません。「自己責任」はここのことかと妙に納得して引き返しました。
59八浜資料館敷地勝手口「自己の責任」!…敷地の南西端です。ここの下はコンクリートの階段のようですが、狭いのでくぐり抜けなければ足元がよく見えません。大丈夫だとは思いますが、「自己の責任」の文字に脅され引き返しました😅
59八浜資料館敷地勝手口「自己の責任」!…敷地の南西端です。ここの下はコンクリートの階段のようですが、狭いのでくぐり抜けなければ足元がよく見えません。大丈夫だとは思いますが、「自己の責任」の文字に脅され引き返しました😅
60土星&金星…前夜(1月18日)、南西の空に左に土星、右に金星が接近して見えるというので、連れに撮影してもらいました。日暮れの頃が最も接近していたようですが、慣れない三脚とカメラに悪戦苦闘しているうちに土星が離れながらどんどん斜め左上に移動、金星のほぼ真横にきてしまったそうです。
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60土星&金星…前夜(1月18日)、南西の空に左に土星、右に金星が接近して見えるというので、連れに撮影してもらいました。日暮れの頃が最も接近していたようですが、慣れない三脚とカメラに悪戦苦闘しているうちに土星が離れながらどんどん斜め左上に移動、金星のほぼ真横にきてしまったそうです。
61土星…19日、帰宅後に今度は二人で撮影。前夜のほうがくっきりと見えたようですが、最大ズームできたのでこちらの写真を採用。輪が左上から右下へと傾いているためか、完全な球体ではなくラグビーボール状に見えました。高倍率とはいえ、コンデジではこれが精一杯です。
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61土星…19日、帰宅後に今度は二人で撮影。前夜のほうがくっきりと見えたようですが、最大ズームできたのでこちらの写真を採用。輪が左上から右下へと傾いているためか、完全な球体ではなくラグビーボール状に見えました。高倍率とはいえ、コンデジではこれが精一杯です。
62金星…これは前夜(18日)に連れが撮影したものです。マイナス4.6等なのでかなり明るく見えます。
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62金星…これは前夜(18日)に連れが撮影したものです。マイナス4.6等なのでかなり明るく見えます。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 タオルハンカチ カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(地図アプリ使用) eTrex22x(GPSナビゲーター)

感想

 この日は、玉野を満喫するツアーを敢行しました。午前中は、向日比(むかいひび)港を出発点とし、まずはマリーナなどのここの港特有のロケーションや瀬戸内海の景観を楽しみ、次に城山と地蔵山で登山を楽しみました。昼には渋川にあるダイヤモンド瀬戸内マリンホテルにて昼食をとり、その後、八浜に移動し、ミステリアスな八浜資料館を訪問しました。海、山、グルメ、ミステリーと、玉野ならではの魅力を存分に感じられました。

【瀬戸内海の島が間近に見える“ひびきのなだ”】
 今回、向日比(むかいひび)港を出発点とし、かつては「ひびきのなだ」といわれたとされる日比港周辺の島々を見ながら海岸沿いに歩を進めました。「ひびきのなだ」は、万葉の時代から歌に詠まれた海域の名称です。関門海峡の響灘(ひびきなだ)や兵庫県沖の播磨灘(はりまなだ)など候補地がいくつかあり、玉野では日比港近海との説が定着しています。『源氏物語』には、玉鬘(たまかずら)が「ひびきのなだ」を通過中に海賊船らしき船に追われる場面が出てきます。
 日比にも海賊がおり、戦国時代に四宮隠岐守(しのみやおきのかみ)が四宮水軍を率いていました。彼は弘治・永禄年間(1555〜1570年)に城山に向日比(むかいひび)城(『玉野市史』では向日比四宮城)を構えたとされ、南曲輪(くるわ)<写真11〜13>と北曲輪<写真16〜20>が遺っています。1588年、豊臣秀吉の海賊禁止令により各地の海賊は海を追われ、四宮水軍も表舞台から姿を消しました。江戸時代には、日比は瀬戸内航路の重要な港となり廻船業も盛んになりましたが、近年、輸送の中心が宇野に移ると、産業とレジャーが混在し釣り人で賑わう港へと姿を変えています。
 しかし、昔から変わっていないもの、それは日比から望む瀬戸内海の島の景観です。その大半は香川県の島ですが、きれいな円錐状で島の北半分が岡山県という大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちしま)のツーショット<写真04>など、いつも山から見ている上から目線の景観とは異なる景色を堪能することができました。
 この素晴らしい景観は、昼食後に寄った渋川海岸でも同様で、幻想的で墨絵をリアルに映し出しているように思えました。これこそまさに風光明媚な景色というのでしょう。

【巨岩に満ち、眺望が素晴らしい城山〜地蔵山を縦走】
 港を離れ、細い路地を抜けて向日比公園<写真06〜09>を経て標高20m辺りから土道に入りました。小さなプレート状の道標がありましたが、ここまでのコンクリート道が細すぎて通っていいのか不安になりました。
 土の細道は明瞭でフェンスに出合うと登りが始まります。向日比城跡南曲輪の南西の岩群<写真10>に寄り道したためか、その後多少道から逸れたようですが、木の枝をわずかによけただけですみました。
 標高70m辺りは向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)<写真11〜13>で20m×15mの平坦地です。展望を楽しむとここから急下りですが道は明瞭で、途中から滑りやすいザレ場の細道が続きました。
 標高84mの城山頂上周辺は向日比(むかいひび)城跡北曲輪(くるわ)<写真16〜20>で45m×15mの平坦地です。下は自然地形のままのような急斜面で、堀切などの遺構は確認できません。ここから土質が変わり、しばらくは崩れやすい急下りが続き、鉄塔前後は緩やかでした。
 標高25m辺りから再び木の間の細道で崩れやすくなり、なぜかすぐに道から逸れてしまったようです。北西に進むはずが北東に進んでしまい、たまに木の枝を片手でよけながら腰をかがめて歩きました。標高10m近くまで下り北西に進路を変えると踏み固めた細道らしきものに出合い、そのまま辿ると木の根元から舗装道路に下りられました。
 正規ルートの下山口はもう少し西で、7年前に駐車場に飛び降りた所のようです。今回のミスコースはヤブコギというほどではなく、駐車場を回避できるので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。

 地蔵山へは、地形図の実線の道を北上し土道に入ります。標高35m辺りのT字路で左折するとすぐに防獣フェンスに登山道のプレートが取り付けてありますが、7年前同様、ここが開けられずまたぎました😅
 すぐに黒いプラスチックの土留めが階段状に続いた記憶通りの道になり、しばらくすると分岐があったので東に進みました。シダが脚に当たりますが足元は見える細道を辿ると地蔵山東の展望岩<写真21〜26>に到着。ここはお初で、なかなかいい展望地だったので、ゆっくり景色を楽しみました。
 引き返し、今度は西の地蔵山頂上へ。もう迷わないと思い込んで確認しなかったため、頂上と南西の南展望大岩をスルーする痛恨のミス😓7年前は展望大岩と呼ばれていたこの岩は、かなり広くいいロケーションだったので、再訪を楽しみにしていました。残念。
 展望岩<写真27>へは、今回はピンクテープがあり入口もきれいな細道がついていました。南北に同じような大きさの岩がありますが、今回は南側の岩の上にだけ上がって展望を確認。
 北展望大岩<写真28〜30>は、以前は八畳岩と呼ばれていましたが、玉野アルプス愛好会の地図や現地道標では北展望大岩となっています。金属製のフェンスや椅子?は健在でした。葛島(かつらしま)や直島は驚くほど近くに見えました。
 7年前はここから北西尾根の鉄塔巡視路に入り鉄塔からヤブコギしましたが、今回はすぐに岩が埋まった足元が崩れやすいロープ場を下りました。もう1か所ロープ場を過ぎると歩きやすくなります。
 標高90m近くまで下ると地形図の破線の道が二つに分かれます。分岐の小さな道標をうっかり見落とし、直進して連れに呼び戻されました。直進は鉄塔巡視路ですが、最後は工場の敷地に突っ込みそうなので、左の「下山和田」ルートを選択。
 標高50m近くでトタンをまたぎ、ピンクテープにつられて尾根を直進しましたが、連れに再び呼び戻され、地形図の破線の道に戻りました。小さな柑橘畑など生活の跡が見られる細道で、ピンクテープはかなりこまめにあります。周辺は7年前に比べると放置されている感じが強かったです。尾根はきれいだったので、そのまま直進してみてもよかったと思いました。
 標高30m辺りからは舗装された細道になり、後はのんびり町並みを見ながら歩きました。

 城山も地蔵山も事前に調べておかなければ登山口がわかりにくいです。道迷いはほとんどせずにすみますが、基本は非常に滑りやすい土質で、特に下りは要注意です。この日は、大学入学共通テストが実施されていたこともあり、すべらないように気をつけました😅
 どちらも頂上周辺は格好の展望地となっている巨岩が多く、東方面は瀬戸内海の直島諸島、南方面は大槌島(おおづちじま)・小槌島(こづちじま)や五色台、南西方面は瀬戸大橋、西方面は神登山(しんとうざん)など、玉野の山ならではの海・島・山がバランスよく配置された象徴的なシーンを楽しむことができました😊

【渋川の「レストラン サンセット」でランチバイキング】
 山行を終えると、ちょうどお昼時だったので、昼食を近くでとることにしました。向かった先は、渋川(しぶかわ)にあるダイヤモンド瀬戸内マリンホテル内の「レストラン サンセット」です。日曜・祝日の11時半〜14時半(ラストオーダー13時半)にランチバイキング<写真41〜44>が提供されています。この日(1月19日)までは、「ワールドスタイルバイキング」フェアと題し、大人一人2,200円で約40種類の料理が食べ放題となっていました。7年前より600円近くの値上げですが、価値に十分見合った料理でした。
 13時には7割くらい埋まっており、14時前には2組に減りました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もあったので、早めに行けてよかったです。
 料理名のプレートは14時を過ぎるとかなり片付けられており、名前が確認できなかった料理多数😅実演料理として今回は「異国の香りとスパイスのハーモニーチキンハーブ焼き〜トマト&マスタードソース〜」のできたてが提供されていました。料理をチョイスするどころか、すべての料理の誘惑に負けて、ほぼ制覇しましたが、事前に山に持って行った緑茶とコーヒー、バイキングでまず最初にお酢ドリンクを飲んだので、むちゃ食いの割に胃腸は大丈夫でした😊ちなみに、1月26日(日)〜2月24日(月祝)は「ほっこりお鍋フェア」に切り替わるようでした。
 食後、ロビー(レストラン入口前)にある小さな水槽内にいる熱帯魚など<写真45,46>を観賞し、ほっこりしました。玉野を再訪する機会があれば、昼食は迷うことなく、ここでとることになるでしょう。

【県下一の迷スポット⁉ミステリアスな八浜資料館に潜入】
 昼食後、玉野満喫ツアーの最後に訪れたのは、八浜資料館です。岡山市南区郡(こおり)と玉野市八浜町の境に位置します。文字通り、八浜町に伝わる資料を集めた施設ですが、Googleマップではなぜか「八浜パラダイス」となっていました。
 ちなみに、Googleマップは、現地と名称が異なっていたり、場所がズレていたり、山城跡のない山が山城跡の名称で載っていたりすることがあるので情報をうのみにしないようにしています。

 さて、八浜資料館に到着すると、敷地入口<写真52>の門の上部には「玉野市八浜町は児島高徳の里」と表記されていました。児島高徳(こじまたかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した備前国出身の武士で軍記物語の『太平記』に登場します。赤磐(あかいわ)市の熊山神社や瀬戸内市の餘慶寺(よけいじ)など、訪問済みの児島高徳縁の神社仏閣はありますが、八浜との関係は知りませんでした。高徳の父・和田備後守範長の一族が玉野市和田周辺に住んでいたという説があるそうで、八浜には縁があったのかもしれません。
 門のすぐ右には「うろたえて はいらないでネ」とありました。逆に「いったい何があるんだろうか?」と不安になり、うろたえてしまいました😅
 その下に「駐車場無料」と書いてあったので、そのまま駐車場まで進みました。道幅は車1台分しかなく、駐車場らしき白線はなぜか道の延長に横に引かれていました。白線の間に停めるには、90度方向転換が必要ですが、周辺は展示物?が押し寄せており幅が狭すぎて思うように切り替えせず、他に誰も来ないことを信じ、2台分にまたがり斜めに駐車😅

 駐車場近くにもいろいろなモノ<写真54,55>が展示されているのですが、ほとんどカオス状態😅帰宅後にネットで2020年の訪問記録を見つけましたが、当時はもっと幅が広く、ちゃんと駐車場らしく見えました。
 奥の方には、「八浜合戦岬八浜資料館」という看板<写真56>の下にドアがあり、“許可なく写真や動画撮影禁止”という張り紙がしてありました。管理人さんを探そうと恐る恐るドアを開け、ドアノブがないので、念のため少し開けた状態で進入。あれっ、中庭?なぜか足元は土、上は空が見えます。いくつか同じようなドアが並んでいたので、とりあえず左手前のほうのを開けると、数十cm先に衣類を積み上げた棚がドーン😱慌てて閉めました。「何?トイレ?」と言いながら開けた連れも、バタンと同時に「アカン、廃屋満タンや。」まだ廃屋ではありませんが、その後がはっきりと見えました。水晶玉見たんか😁
 これで館内の見学は無理と判断、引き返し外に出ると今度は敷地入口の反対側(南西側)へ。狭く低い門の上に「自己の責任(勝手口)」という掲示<写真59>が目にとまりました。この「自己の責任」は、この施設全てにおけるキーワードとなります。勝手口の下はコンクリートの階段のようですが、狭いのでくぐり抜けなければ足元がよく見えません。大丈夫だとは思いますが、「自己の責任」の文字に脅され回れ右😅
 そして、入ったときから気になっていた八浜資料館入口<写真56>の右、「七人みさき七体お地蔵山上仏」と「常山城毛利と宇喜多八浜戦水軍見張地」と書かれた道標へ。「自己責任」の文字を確認後、児島湖岸に下りる細道に入ると、脇にはガラス製?の照明器具がたくさん地面に置かれ、足元にはガラスの破片が散乱😱崖までくると児島湖がすぐ目の前に見えましたが、お助けロープにすがる勇気はナッシング😓岸辺には多数の粗大ゴミが散乱し、下りたとしても安全に歩ける保証はなさそうだと判断、引き返す勇気は100パーセント😅
 「七人みさき七体お地蔵山上仏」への上り道は、道標の左でフェンスに挟まれた細道でした。進んで程なく「七人岬地蔵尊」<写真57>が祀られているのを見ることができました。
 おそらく、「みさき」は漢字で書けば「御前」でしょう。変死人の霊魂のことで、七人みさきは特に海難事故で亡くなった人が集団でたたるという伝説のようです。西日本の広い範囲にあり、ここではその慰霊のために石仏を安置したようです。ちなみに、「御前」のつく神社は岡山県でも海岸沿いに多く見られますが、元々は七人みさきをお祀りし今後海難事故がないようにと祈る場だったのかもしれません。
 「人工の穴が3つある」との道標の文字を信じ、「七人岬地蔵尊」からさらに細道を辿ると、目の前に屋根に架かる木橋<写真58>が😱「自己責任って、これーっ!」橋の先には八浜資料館入口<写真56>周辺の屋根と中央に例の中庭。「明日に欠ける橋」はオーバーですが、ここから先はヤギも無理かも。得心して引き返し、最後に「自己の責任」の勝手口<写真59>を撮って見学終了。ちなみに、帰宅後閲覧したネットの写真では勝手口の左だと思うのですが、道があり、水軍の見張穴に行けたようです。大小6ヶ所って、あっちの道標より3つも増えてるやん😅
 
 すべての行動に自己責任がついて回りましたが、これまで訪れた博物館や資料館などの施設の中で最もミステリアスな施設でした。年配の男性がひとりで建てられたそうで、年齢的にメンテナンスが難しいようです。このままではやがて「廃屋満タンの自己責任ランド」になる可能性があります。素人の建築物らしいというのが安全上のネックですが、まだ見た目は大丈夫そうですし、時が経てば民俗資料となりうる展示物もありそうです。管理人さんがお元気だった頃はこぎれいだったのがわかったので、個人的には、このまま存続していただきたいです。いつか再訪し今回見逃したモノを探索したいと思います。

【金星と土星が接近】
 今年の1月18日から19日にかけて、日没後の南西の空に土星と金星(宵の明星)<写真60>が非常に近づいて見えました。この時の2惑星の明るさは、金星のマイナス4.6等に対して土星は1.1等で、金星の方が200倍近くも明るく輝いています。
 18日に連れに頼んで写真を撮っておいてもらいました。日暮れの頃が最も接近していたようですが、慣れない三脚とカメラに悪戦苦闘しているうちに土星が離れながらどんどん斜め左上に移動、金星のほぼ真横にきてしまったそうです。
 天気は18日のほうがよかったのですが、この日(19日)帰宅後に今度は二人で撮影。金星<写真62>はすぐに気がつきましたが、土星<写真61>は相対的にかなり小さく、連れに位置関係を教えてもらいました。なんとか最大ズームできたので土星だけは19日の写真を採用しました。輪が左上から右下へと傾いているためか、完全な球体ではなくラグビーボール状に見えました。高倍率とはいえ、コンデジではこれが精一杯でした。
 土星は、太陽からおよそ14億km離れており、太陽系の中では木星に次いで2番目に大きな惑星で、半径は地球の約9倍に当たります。平均密度は地球の8分の1に過ぎないため、巨大な体積のわりに質量は地球の95倍程度しかありません。
 ちなみに、土星を英語でサターンといい、土曜日を意味するサタデーは土星に由来しています。ローマ時代には曜日が惑星と結び付けられており、土曜日は「土星の日」とされていました。土曜日に土星を観察することができたのは連れだけですが、これで十分です。

 最近、夜空を見上げる機会が増えましたが、発端は11月だったでしょうか、連れがたまたま月の左に輝く木星に気づいたことでした。ガリレオ衛星が見えると思っていなかったので、スターリンク衛星やアドバルーン、鑑賞用ライトなどを疑い、正体が判明したのが3週間後くらい、大きく見える機会を狙って撮り直し、公開したのは先月半ばのことでした。
 以来、夜、外に出ると空を見上げるのが習慣化し、天体ニュースをチェックするようになりました。少し心にも余裕ができたようでうれしい今日この頃です。



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