岡山県玉野市 向日比港〜城山〜地蔵山+渋川&八浜資料館



- GPS
- 03:12
- 距離
- 7.0km
- 登り
- 255m
- 下り
- 255m
コースタイム
- 山行
- 2:22
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 3:12
歩行距離7km、歩行時間2時間30分、歩行数11,900歩、消費カロリー690Kcal
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
アクセス | 向日比(むかいひび)港の広いスペースに自動車を停めました。未舗装ですが、ここは満車にはならないようなのでお勧めです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所やヤブコギはありません。城山北の舗装道路に出る前に道から逸れてしまいましたが、ヤブコギとまではならずにすみました。駐車場に飛び降りずにすむので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。 地蔵山頂上と南西の南展望大岩はうっかりスルーしてしまいましたが、普通は大丈夫だと思います。 向日比公園<写真06〜09>を経て城山<写真16〜20>から北の舗装道路に出合うまでは、最後のほうで道から逸れてしまいました。 向日比公園<写真06〜09>からかなり細いコンクリート道を通り、標高20m辺りから土道に入りました。小さなプレート状の道標がありますが、知らなければわかりにくいです。 土の細道は明瞭でフェンスに出合うと登りが始まります。向日比城跡南曲輪の南西の岩群<写真10>に寄り道したためか、その後多少道から逸れたようですが、木の枝をわずかによけただけですみました。 標高70m辺りは向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)<写真11〜13>でここから急下りですが道は明瞭で、途中から滑りやすいザレ場の細道が続きました。 城山頂上<写真16〜20>から土質が変わり、しばらくは崩れやすい急下りが続き、鉄塔前後は緩やかでした。 標高25m辺りから再び木の間の細道で崩れやすくなり、なぜかすぐに道から逸れてしまったようです。北西に進むはずが北東に進んでしまい、たまに木の枝を片手でよけながら腰をかがめて歩きました。標高10m近くまで下り北西に進路を変えると踏み固めた細道らしきものに出合い、そのまま辿ると木の根元から舗装道路に下りられました。 正規ルートの下山口はもう少し西で、7年前に駐車場に飛び降りた所のようです。今回のミスコースはヤブコギというほどではなく、駐車場を回避できるので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。 城山<写真16〜20>北の舗装道路から地蔵山を経て和田地区に下山するまでは、地蔵山頂上などスルーしてしまった箇所があります。 城山<写真16〜20>北の舗装道路から地形図の実線の道を北上し土道に入り、標高35m辺りのT字路で左折するとすぐに防獣フェンスに登山道のプレートが取り付けてありますが、開けられずまたぎました。 すぐに黒いプラスチックの土留めが階段状に続いた道になり、しばらくすると分岐があったので東に進みました。シダが脚に当たりますが足元は見える細道を辿ると地蔵山東の展望岩<写真21〜26>です。 引き返し、地蔵山頂上へは西に向かう道の分岐があったようですが、もう迷わないと思い込んで確認しなかったため、頂上と南西の南展望大岩をスルーしてしまいました。 展望岩<写真27>へは、今回はピンクテープがあり入口もきれいな細道がついていました。北展望大岩<写真28〜30>は道沿いです。 7年前はここから北西尾根の鉄塔巡視路に入り鉄塔からヤブコギしましたが、今回はすぐに岩が埋まった足元が崩れやすいロープ場を下りました。もう1か所ロープ場を過ぎると歩きやすくなります。 標高90m近くまで下ると地形図の破線の道が二つに分かれます。直進は鉄塔巡視路ですが、最後は工場の敷地に突っ込みそうなので、左の「下山和田」ルートを選択。 標高50m近くでトタンをまたぎ、ピンクテープにつられて尾根を直進しましたが、連れに呼び戻され、地形図の破線の道に戻りました。小さな柑橘畑など生活の跡が見られる細道で、ピンクテープはかなりこまめにあります。周辺は7年前に比べると放置されている感じが強かったです。尾根はきれいだったので、そのまま直進してみてもよかったと思いました。 標高30m辺りからは舗装された細道でした。 |
その他周辺情報 | 向日比(むかいひび)港西の渋川にダイヤモンド瀬戸内マリンホテルがあります。「レストラン サンセット」では、日曜・祝日の11時半〜14時半(ラストオーダー13時半)にランチバイキング<写真41〜44>が提供されています。大人一人2,200円で約40種類の料理が食べ放題となっていました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もあったので、13時頃までには入店したほうがいいでしょう。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
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感想
この日は、玉野を満喫するツアーを敢行しました。午前中は、向日比(むかいひび)港を出発点とし、まずはマリーナなどのここの港特有のロケーションや瀬戸内海の景観を楽しみ、次に城山と地蔵山で登山を楽しみました。昼には渋川にあるダイヤモンド瀬戸内マリンホテルにて昼食をとり、その後、八浜に移動し、ミステリアスな八浜資料館を訪問しました。海、山、グルメ、ミステリーと、玉野ならではの魅力を存分に感じられました。
【瀬戸内海の島が間近に見える“ひびきのなだ”】
今回、向日比(むかいひび)港を出発点とし、かつては「ひびきのなだ」といわれたとされる日比港周辺の島々を見ながら海岸沿いに歩を進めました。「ひびきのなだ」は、万葉の時代から歌に詠まれた海域の名称です。関門海峡の響灘(ひびきなだ)や兵庫県沖の播磨灘(はりまなだ)など候補地がいくつかあり、玉野では日比港近海との説が定着しています。『源氏物語』には、玉鬘(たまかずら)が「ひびきのなだ」を通過中に海賊船らしき船に追われる場面が出てきます。
日比にも海賊がおり、戦国時代に四宮隠岐守(しのみやおきのかみ)が四宮水軍を率いていました。彼は弘治・永禄年間(1555〜1570年)に城山に向日比(むかいひび)城(『玉野市史』では向日比四宮城)を構えたとされ、南曲輪(くるわ)<写真11〜13>と北曲輪<写真16〜20>が遺っています。1588年、豊臣秀吉の海賊禁止令により各地の海賊は海を追われ、四宮水軍も表舞台から姿を消しました。江戸時代には、日比は瀬戸内航路の重要な港となり廻船業も盛んになりましたが、近年、輸送の中心が宇野に移ると、産業とレジャーが混在し釣り人で賑わう港へと姿を変えています。
しかし、昔から変わっていないもの、それは日比から望む瀬戸内海の島の景観です。その大半は香川県の島ですが、きれいな円錐状で島の北半分が岡山県という大槌島(おおづちじま)と小槌島(こづちしま)のツーショット<写真04>など、いつも山から見ている上から目線の景観とは異なる景色を堪能することができました。
この素晴らしい景観は、昼食後に寄った渋川海岸でも同様で、幻想的で墨絵をリアルに映し出しているように思えました。これこそまさに風光明媚な景色というのでしょう。
【巨岩に満ち、眺望が素晴らしい城山〜地蔵山を縦走】
港を離れ、細い路地を抜けて向日比公園<写真06〜09>を経て標高20m辺りから土道に入りました。小さなプレート状の道標がありましたが、ここまでのコンクリート道が細すぎて通っていいのか不安になりました。
土の細道は明瞭でフェンスに出合うと登りが始まります。向日比城跡南曲輪の南西の岩群<写真10>に寄り道したためか、その後多少道から逸れたようですが、木の枝をわずかによけただけですみました。
標高70m辺りは向日比(むかいひび)城跡の南曲輪(くるわ)<写真11〜13>で20m×15mの平坦地です。展望を楽しむとここから急下りですが道は明瞭で、途中から滑りやすいザレ場の細道が続きました。
標高84mの城山頂上周辺は向日比(むかいひび)城跡北曲輪(くるわ)<写真16〜20>で45m×15mの平坦地です。下は自然地形のままのような急斜面で、堀切などの遺構は確認できません。ここから土質が変わり、しばらくは崩れやすい急下りが続き、鉄塔前後は緩やかでした。
標高25m辺りから再び木の間の細道で崩れやすくなり、なぜかすぐに道から逸れてしまったようです。北西に進むはずが北東に進んでしまい、たまに木の枝を片手でよけながら腰をかがめて歩きました。標高10m近くまで下り北西に進路を変えると踏み固めた細道らしきものに出合い、そのまま辿ると木の根元から舗装道路に下りられました。
正規ルートの下山口はもう少し西で、7年前に駐車場に飛び降りた所のようです。今回のミスコースはヤブコギというほどではなく、駐車場を回避できるので、玉野アルプス愛好会の方々にはこちらをご検討いただけたらと思いました。
地蔵山へは、地形図の実線の道を北上し土道に入ります。標高35m辺りのT字路で左折するとすぐに防獣フェンスに登山道のプレートが取り付けてありますが、7年前同様、ここが開けられずまたぎました😅
すぐに黒いプラスチックの土留めが階段状に続いた記憶通りの道になり、しばらくすると分岐があったので東に進みました。シダが脚に当たりますが足元は見える細道を辿ると地蔵山東の展望岩<写真21〜26>に到着。ここはお初で、なかなかいい展望地だったので、ゆっくり景色を楽しみました。
引き返し、今度は西の地蔵山頂上へ。もう迷わないと思い込んで確認しなかったため、頂上と南西の南展望大岩をスルーする痛恨のミス😓7年前は展望大岩と呼ばれていたこの岩は、かなり広くいいロケーションだったので、再訪を楽しみにしていました。残念。
展望岩<写真27>へは、今回はピンクテープがあり入口もきれいな細道がついていました。南北に同じような大きさの岩がありますが、今回は南側の岩の上にだけ上がって展望を確認。
北展望大岩<写真28〜30>は、以前は八畳岩と呼ばれていましたが、玉野アルプス愛好会の地図や現地道標では北展望大岩となっています。金属製のフェンスや椅子?は健在でした。葛島(かつらしま)や直島は驚くほど近くに見えました。
7年前はここから北西尾根の鉄塔巡視路に入り鉄塔からヤブコギしましたが、今回はすぐに岩が埋まった足元が崩れやすいロープ場を下りました。もう1か所ロープ場を過ぎると歩きやすくなります。
標高90m近くまで下ると地形図の破線の道が二つに分かれます。分岐の小さな道標をうっかり見落とし、直進して連れに呼び戻されました。直進は鉄塔巡視路ですが、最後は工場の敷地に突っ込みそうなので、左の「下山和田」ルートを選択。
標高50m近くでトタンをまたぎ、ピンクテープにつられて尾根を直進しましたが、連れに再び呼び戻され、地形図の破線の道に戻りました。小さな柑橘畑など生活の跡が見られる細道で、ピンクテープはかなりこまめにあります。周辺は7年前に比べると放置されている感じが強かったです。尾根はきれいだったので、そのまま直進してみてもよかったと思いました。
標高30m辺りからは舗装された細道になり、後はのんびり町並みを見ながら歩きました。
城山も地蔵山も事前に調べておかなければ登山口がわかりにくいです。道迷いはほとんどせずにすみますが、基本は非常に滑りやすい土質で、特に下りは要注意です。この日は、大学入学共通テストが実施されていたこともあり、すべらないように気をつけました😅
どちらも頂上周辺は格好の展望地となっている巨岩が多く、東方面は瀬戸内海の直島諸島、南方面は大槌島(おおづちじま)・小槌島(こづちじま)や五色台、南西方面は瀬戸大橋、西方面は神登山(しんとうざん)など、玉野の山ならではの海・島・山がバランスよく配置された象徴的なシーンを楽しむことができました😊
【渋川の「レストラン サンセット」でランチバイキング】
山行を終えると、ちょうどお昼時だったので、昼食を近くでとることにしました。向かった先は、渋川(しぶかわ)にあるダイヤモンド瀬戸内マリンホテル内の「レストラン サンセット」です。日曜・祝日の11時半〜14時半(ラストオーダー13時半)にランチバイキング<写真41〜44>が提供されています。この日(1月19日)までは、「ワールドスタイルバイキング」フェアと題し、大人一人2,200円で約40種類の料理が食べ放題となっていました。7年前より600円近くの値上げですが、価値に十分見合った料理でした。
13時には7割くらい埋まっており、14時前には2組に減りました。入店は13時半までですが、14時10分頃にはなくなった料理もあったので、早めに行けてよかったです。
料理名のプレートは14時を過ぎるとかなり片付けられており、名前が確認できなかった料理多数😅実演料理として今回は「異国の香りとスパイスのハーモニーチキンハーブ焼き〜トマト&マスタードソース〜」のできたてが提供されていました。料理をチョイスするどころか、すべての料理の誘惑に負けて、ほぼ制覇しましたが、事前に山に持って行った緑茶とコーヒー、バイキングでまず最初にお酢ドリンクを飲んだので、むちゃ食いの割に胃腸は大丈夫でした😊ちなみに、1月26日(日)〜2月24日(月祝)は「ほっこりお鍋フェア」に切り替わるようでした。
食後、ロビー(レストラン入口前)にある小さな水槽内にいる熱帯魚など<写真45,46>を観賞し、ほっこりしました。玉野を再訪する機会があれば、昼食は迷うことなく、ここでとることになるでしょう。
【県下一の迷スポット⁉ミステリアスな八浜資料館に潜入】
昼食後、玉野満喫ツアーの最後に訪れたのは、八浜資料館です。岡山市南区郡(こおり)と玉野市八浜町の境に位置します。文字通り、八浜町に伝わる資料を集めた施設ですが、Googleマップではなぜか「八浜パラダイス」となっていました。
ちなみに、Googleマップは、現地と名称が異なっていたり、場所がズレていたり、山城跡のない山が山城跡の名称で載っていたりすることがあるので情報をうのみにしないようにしています。
さて、八浜資料館に到着すると、敷地入口<写真52>の門の上部には「玉野市八浜町は児島高徳の里」と表記されていました。児島高徳(こじまたかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した備前国出身の武士で軍記物語の『太平記』に登場します。赤磐(あかいわ)市の熊山神社や瀬戸内市の餘慶寺(よけいじ)など、訪問済みの児島高徳縁の神社仏閣はありますが、八浜との関係は知りませんでした。高徳の父・和田備後守範長の一族が玉野市和田周辺に住んでいたという説があるそうで、八浜には縁があったのかもしれません。
門のすぐ右には「うろたえて はいらないでネ」とありました。逆に「いったい何があるんだろうか?」と不安になり、うろたえてしまいました😅
その下に「駐車場無料」と書いてあったので、そのまま駐車場まで進みました。道幅は車1台分しかなく、駐車場らしき白線はなぜか道の延長に横に引かれていました。白線の間に停めるには、90度方向転換が必要ですが、周辺は展示物?が押し寄せており幅が狭すぎて思うように切り替えせず、他に誰も来ないことを信じ、2台分にまたがり斜めに駐車😅
駐車場近くにもいろいろなモノ<写真54,55>が展示されているのですが、ほとんどカオス状態😅帰宅後にネットで2020年の訪問記録を見つけましたが、当時はもっと幅が広く、ちゃんと駐車場らしく見えました。
奥の方には、「八浜合戦岬八浜資料館」という看板<写真56>の下にドアがあり、“許可なく写真や動画撮影禁止”という張り紙がしてありました。管理人さんを探そうと恐る恐るドアを開け、ドアノブがないので、念のため少し開けた状態で進入。あれっ、中庭?なぜか足元は土、上は空が見えます。いくつか同じようなドアが並んでいたので、とりあえず左手前のほうのを開けると、数十cm先に衣類を積み上げた棚がドーン😱慌てて閉めました。「何?トイレ?」と言いながら開けた連れも、バタンと同時に「アカン、廃屋満タンや。」まだ廃屋ではありませんが、その後がはっきりと見えました。水晶玉見たんか😁
これで館内の見学は無理と判断、引き返し外に出ると今度は敷地入口の反対側(南西側)へ。狭く低い門の上に「自己の責任(勝手口)」という掲示<写真59>が目にとまりました。この「自己の責任」は、この施設全てにおけるキーワードとなります。勝手口の下はコンクリートの階段のようですが、狭いのでくぐり抜けなければ足元がよく見えません。大丈夫だとは思いますが、「自己の責任」の文字に脅され回れ右😅
そして、入ったときから気になっていた八浜資料館入口<写真56>の右、「七人みさき七体お地蔵山上仏」と「常山城毛利と宇喜多八浜戦水軍見張地」と書かれた道標へ。「自己責任」の文字を確認後、児島湖岸に下りる細道に入ると、脇にはガラス製?の照明器具がたくさん地面に置かれ、足元にはガラスの破片が散乱😱崖までくると児島湖がすぐ目の前に見えましたが、お助けロープにすがる勇気はナッシング😓岸辺には多数の粗大ゴミが散乱し、下りたとしても安全に歩ける保証はなさそうだと判断、引き返す勇気は100パーセント😅
「七人みさき七体お地蔵山上仏」への上り道は、道標の左でフェンスに挟まれた細道でした。進んで程なく「七人岬地蔵尊」<写真57>が祀られているのを見ることができました。
おそらく、「みさき」は漢字で書けば「御前」でしょう。変死人の霊魂のことで、七人みさきは特に海難事故で亡くなった人が集団でたたるという伝説のようです。西日本の広い範囲にあり、ここではその慰霊のために石仏を安置したようです。ちなみに、「御前」のつく神社は岡山県でも海岸沿いに多く見られますが、元々は七人みさきをお祀りし今後海難事故がないようにと祈る場だったのかもしれません。
「人工の穴が3つある」との道標の文字を信じ、「七人岬地蔵尊」からさらに細道を辿ると、目の前に屋根に架かる木橋<写真58>が😱「自己責任って、これーっ!」橋の先には八浜資料館入口<写真56>周辺の屋根と中央に例の中庭。「明日に欠ける橋」はオーバーですが、ここから先はヤギも無理かも。得心して引き返し、最後に「自己の責任」の勝手口<写真59>を撮って見学終了。ちなみに、帰宅後閲覧したネットの写真では勝手口の左だと思うのですが、道があり、水軍の見張穴に行けたようです。大小6ヶ所って、あっちの道標より3つも増えてるやん😅
すべての行動に自己責任がついて回りましたが、これまで訪れた博物館や資料館などの施設の中で最もミステリアスな施設でした。年配の男性がひとりで建てられたそうで、年齢的にメンテナンスが難しいようです。このままではやがて「廃屋満タンの自己責任ランド」になる可能性があります。素人の建築物らしいというのが安全上のネックですが、まだ見た目は大丈夫そうですし、時が経てば民俗資料となりうる展示物もありそうです。管理人さんがお元気だった頃はこぎれいだったのがわかったので、個人的には、このまま存続していただきたいです。いつか再訪し今回見逃したモノを探索したいと思います。
【金星と土星が接近】
今年の1月18日から19日にかけて、日没後の南西の空に土星と金星(宵の明星)<写真60>が非常に近づいて見えました。この時の2惑星の明るさは、金星のマイナス4.6等に対して土星は1.1等で、金星の方が200倍近くも明るく輝いています。
18日に連れに頼んで写真を撮っておいてもらいました。日暮れの頃が最も接近していたようですが、慣れない三脚とカメラに悪戦苦闘しているうちに土星が離れながらどんどん斜め左上に移動、金星のほぼ真横にきてしまったそうです。
天気は18日のほうがよかったのですが、この日(19日)帰宅後に今度は二人で撮影。金星<写真62>はすぐに気がつきましたが、土星<写真61>は相対的にかなり小さく、連れに位置関係を教えてもらいました。なんとか最大ズームできたので土星だけは19日の写真を採用しました。輪が左上から右下へと傾いているためか、完全な球体ではなくラグビーボール状に見えました。高倍率とはいえ、コンデジではこれが精一杯でした。
土星は、太陽からおよそ14億km離れており、太陽系の中では木星に次いで2番目に大きな惑星で、半径は地球の約9倍に当たります。平均密度は地球の8分の1に過ぎないため、巨大な体積のわりに質量は地球の95倍程度しかありません。
ちなみに、土星を英語でサターンといい、土曜日を意味するサタデーは土星に由来しています。ローマ時代には曜日が惑星と結び付けられており、土曜日は「土星の日」とされていました。土曜日に土星を観察することができたのは連れだけですが、これで十分です。
最近、夜空を見上げる機会が増えましたが、発端は11月だったでしょうか、連れがたまたま月の左に輝く木星に気づいたことでした。ガリレオ衛星が見えると思っていなかったので、スターリンク衛星やアドバルーン、鑑賞用ライトなどを疑い、正体が判明したのが3週間後くらい、大きく見える機会を狙って撮り直し、公開したのは先月半ばのことでした。
以来、夜、外に出ると空を見上げるのが習慣化し、天体ニュースをチェックするようになりました。少し心にも余裕ができたようでうれしい今日この頃です。
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