記録ID: 7730233
全員に公開
ハイキング
近畿
旧大和街道歩き事始(奈良阪「いかいせ道標」ー加茂)
2025年01月24日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 06:19
- 距離
- 16.7km
- 登り
- 152m
- 下り
- 275m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:18
- 休憩
- 0:02
- 合計
- 6:20
距離 16.7km
登り 152m
下り 275m
昨年、神君伊賀甲賀加太越えを歩いたとき、あれ!ここは旧大和街道?さらに、一昨年、奈良阪から笠置に至る笠置街道の古い道を歩いたき、奈良阪から東へ入る道が(旧)大和街道と書かれていたことが気になっていたのです。ならば、最初から(奈良阪側から)歩いてみようという趣向です。
ところが、いろいろ文献を漁っていると「加太越奈良道の研究と現地踏査」というのが見つかりまして、それには緑ヶ丘浄水場内にある「いがいせ道道標」から左(北)に折れる道が旧大和街道なんだそうです。いままで笠置から笠置街道の古い道が旧大和街道であるとばかり思っていました。この「いがいせ道道標」がフェンス内にあるので(向きが正しいかどうかもわからないし)いいかげんに見ていました。じっくり見ると、たしかに「左 いがいせ道」と書いてありました。
引用文献:「加太越奈良道の研究と現地踏査」;
加太越奈良道の研究と現地踏査:https://nara-u.repo.nii.ac.jp/record/2002715/files/AN10403791-20060300-1017.pdf
旧大和街道は江戸期、戦国期以前、平城宮の時代、それ以前古代から東国から大和に通じる道(の一つ)であり、それがどのように使われてきたか、どう変遷してきたかに興味があります。その一端にでも触れることができればと思います。
旧大和街道事始としてはこの旧大和街道加茂道、「いがいせ道道標」ー上梅谷ーおかゆ峠ー加茂町高田ー二本松ー里ー船屋ー(岡田鴨神社)ー小谷としました。
※「おかゆ峠」は街道全盛の頃、土地の人が「おかゆ」を売っていたということから名付けられたものです。
■コースタイム
星田 7:18 木津行快速
奈良 8:26 青山住宅行バス
8:53 青山住宅
9:06 坂道◆6分休憩 9:12
9:26 梅谷灯籠
9:36 農道分岐
9:42 小峠◆朝食休憩 9:51
9:53 ==道ブッシュ引き返し
9:58 農小屋広場
10:03 谷(切り通し)探索 10:08
10:14 境界フェンス◆思案休憩 10:25
10:35 古道到達、フェンス(ここを「おかゆ峠」としておく)
10:43 三角点
10:55 古道終端ガケで行き止まり
11:05 農道合流◆休憩 11:15
11:23 農道分岐
11:33 廃農道分岐
11:38 茶畑への峠
11:42 フェンス北側タッチ
12:17 高田夜遊び地蔵
12:21 淨瑠璃寺道標
12:35 赤田川河畔田んぼ◆昼食休憩 12:59
13:23 加茂駅
13:32 船屋堤防
13:48 薬師橋道標
14:05 岡田鴨神社参拝 14:11
14:23 小谷下JR陸橋 14:30
14:45 岡田鴨神社旧社地アクセス
15:10 加茂駅 15:46発
■参考文献
京都最南端在住 さんのGoogleMapクチコミ。
その他、
・http://moch2.daishodai.ac.jp/files/viewerpdf/kiyo/25.pdf
・https://kurimori2007.up.seesaa.net/image/19951000_E4B8ADE4B896E381AEE9A2A8E699AFE38292E8AAADE3828020EFBC9520E4BFA1E4BBB0E381A8E887AAE794B1E381ABE7949FE3818DE3828B.pdf
ところが、いろいろ文献を漁っていると「加太越奈良道の研究と現地踏査」というのが見つかりまして、それには緑ヶ丘浄水場内にある「いがいせ道道標」から左(北)に折れる道が旧大和街道なんだそうです。いままで笠置から笠置街道の古い道が旧大和街道であるとばかり思っていました。この「いがいせ道道標」がフェンス内にあるので(向きが正しいかどうかもわからないし)いいかげんに見ていました。じっくり見ると、たしかに「左 いがいせ道」と書いてありました。
引用文献:「加太越奈良道の研究と現地踏査」;
加太越奈良道の研究と現地踏査:https://nara-u.repo.nii.ac.jp/record/2002715/files/AN10403791-20060300-1017.pdf
旧大和街道は江戸期、戦国期以前、平城宮の時代、それ以前古代から東国から大和に通じる道(の一つ)であり、それがどのように使われてきたか、どう変遷してきたかに興味があります。その一端にでも触れることができればと思います。
旧大和街道事始としてはこの旧大和街道加茂道、「いがいせ道道標」ー上梅谷ーおかゆ峠ー加茂町高田ー二本松ー里ー船屋ー(岡田鴨神社)ー小谷としました。
※「おかゆ峠」は街道全盛の頃、土地の人が「おかゆ」を売っていたということから名付けられたものです。
■コースタイム
星田 7:18 木津行快速
奈良 8:26 青山住宅行バス
8:53 青山住宅
9:06 坂道◆6分休憩 9:12
9:26 梅谷灯籠
9:36 農道分岐
9:42 小峠◆朝食休憩 9:51
9:53 ==道ブッシュ引き返し
9:58 農小屋広場
10:03 谷(切り通し)探索 10:08
10:14 境界フェンス◆思案休憩 10:25
10:35 古道到達、フェンス(ここを「おかゆ峠」としておく)
10:43 三角点
10:55 古道終端ガケで行き止まり
11:05 農道合流◆休憩 11:15
11:23 農道分岐
11:33 廃農道分岐
11:38 茶畑への峠
11:42 フェンス北側タッチ
12:17 高田夜遊び地蔵
12:21 淨瑠璃寺道標
12:35 赤田川河畔田んぼ◆昼食休憩 12:59
13:23 加茂駅
13:32 船屋堤防
13:48 薬師橋道標
14:05 岡田鴨神社参拝 14:11
14:23 小谷下JR陸橋 14:30
14:45 岡田鴨神社旧社地アクセス
15:10 加茂駅 15:46発
■参考文献
京都最南端在住 さんのGoogleMapクチコミ。
その他、
・http://moch2.daishodai.ac.jp/files/viewerpdf/kiyo/25.pdf
・https://kurimori2007.up.seesaa.net/image/19951000_E4B8ADE4B896E381AEE9A2A8E699AFE38292E8AAADE3828020EFBC9520E4BFA1E4BBB0E381A8E887AAE794B1E381ABE7949FE3818DE3828B.pdf
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
道に降りてみたが、やっぱり通せんぼ。乗り越えた跡はあるがやめとこ。
たいへん立派な古道で古の大和街道幹線にふさわしい切り通し古道だった。多分ここが「おかゆ峠」なんだろう。フェンスを開けたら絞めるタイプにしとかないと古道がなくなるぞ。
たいへん立派な古道で古の大和街道幹線にふさわしい切り通し古道だった。多分ここが「おかゆ峠」なんだろう。フェンスを開けたら絞めるタイプにしとかないと古道がなくなるぞ。
そこは西小に至る農道だった。
振り返って、先に見える林が尾根の先端で古道が破壊されている模様。ブッシュを突っ切れば古道に出るかもしれない。
大回りして▲133.7の東の谷を進んで茶畑に行くことにした。
振り返って、先に見える林が尾根の先端で古道が破壊されている模様。ブッシュを突っ切れば古道に出るかもしれない。
大回りして▲133.7の東の谷を進んで茶畑に行くことにした。
昔々、この場所には二本の大きな松があったたため、二本松と呼ばれている。その後ケヤキの大木があったがそれの切られた。その株元にはお地蔵さんのいる傾いたお堂があって、「二本松地蔵」という(GoogleMap口コミ;京都最南端在住 さん)
この辺りが船屋の港だったらしい。
もう少し東に「相撲が浜」というのがあるが、工事現場みたいで行かなかった。
GoogleMap口コミ;京都最南端在住 さんによると、「恭仁大橋下の木津川の川原を「相撲が浜」。江戸時代の頃、川原で相撲巡業が行われた事が由来(藤堂藩の港として相撲巡業が行われた)
江戸時代は「木津川の六ヶ浜」といわれ、木津、吐師、瓶原、加茂、北笠置、南笠置がそれ。現在では、それぞれに橋が架けられている。泉大橋(木津〜吐師)、恭仁大橋(瓶原〜加茂)、笠置大橋(北笠置〜南笠置)。
もう少し東に「相撲が浜」というのがあるが、工事現場みたいで行かなかった。
GoogleMap口コミ;京都最南端在住 さんによると、「恭仁大橋下の木津川の川原を「相撲が浜」。江戸時代の頃、川原で相撲巡業が行われた事が由来(藤堂藩の港として相撲巡業が行われた)
江戸時代は「木津川の六ヶ浜」といわれ、木津、吐師、瓶原、加茂、北笠置、南笠置がそれ。現在では、それぞれに橋が架けられている。泉大橋(木津〜吐師)、恭仁大橋(瓶原〜加茂)、笠置大橋(北笠置〜南笠置)。
薬師橋の道標を探してウロウロ。JR線路をくぐる必要があった。再び、GoogleMap口コミ;京都最南端在住 さんによると、「右なら加茂大明神」「左いかいせ」とある。薬師橋を渡った先の道が笠置に続いている。
撮影機器:
感想
核心部である梅谷/高田「おかゆ峠」はフェンスで分断されていて通行困難。ボクは大回りして、接続だけはしておいたけれど、ぜひ「開けたら閉める」方式のフェンスにしていただきたい。この部分の古道は往年の旧大和街道(伊賀街道)を彷彿とさせる、とても立派なものだっただけに惜しい。もうすでに立派な文化遺産なので、ぜひ通行できるようにしてほしい。
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