例幣使の様子
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例幣使の様子
倉賀野駅を出立
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倉賀野駅を出立
追分 左(赤→)例幣使街道 右(青→中山道)
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追分 左(赤→)例幣使街道 右(青→中山道)
追分の常夜燈と道標 追分道標「従是 右江戸道 左日光道」
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追分の常夜燈と道標 追分道標「従是 右江戸道 左日光道」
追分にある焔魔堂
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追分にある焔魔堂
不動山古墳 上州綿貫不動尊
全長94mの前方後円墳で、墳丘上には上州綿貫不動尊が祀られている
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不動山古墳 上州綿貫不動尊
全長94mの前方後円墳で、墳丘上には上州綿貫不動尊が祀られている
不動尊裏に舟形石棺が展示されている
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2/28 7:13
不動尊裏に舟形石棺が展示されている
【玉村宿 上野國】
高崎市と玉村町の境
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【玉村宿 上野國】
高崎市と玉村町の境
薬王山萬福寺(真言宗)
玉村の地名由来になっている龍の玉があるという
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薬王山萬福寺(真言宗)
玉村の地名由来になっている龍の玉があるという
入口に馬頭観音等の石仏群
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入口に馬頭観音等の石仏群
稲荷神社 萬福寺に隣接
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稲荷神社 萬福寺に隣接
上の問屋跡 井田家住宅(町重要文化財)
江戸中期(18世紀前半)の建築で、慶応四年(1868)の大火を免れた玉村町最古の建物
立派な建物だが、自販機と室外機は少々興覚め
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上の問屋跡 井田家住宅(町重要文化財)
江戸中期(18世紀前半)の建築で、慶応四年(1868)の大火を免れた玉村町最古の建物
立派な建物だが、自販機と室外機は少々興覚め
玉村八幡宮 本殿は永正四年(1507)の建立(国重要文化財)
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玉村八幡宮 本殿は永正四年(1507)の建立(国重要文化財)
解説概要図が解りやすい
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解説概要図が解りやすい
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承応元年(1652)奉納の石灯籠
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承応元年(1652)奉納の石灯籠
御神木(夫婦楠) 推定年齢などの記載は無い
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御神木(夫婦楠) 推定年齢などの記載は無い
町田酒造交差点
例幣使街道は赤→ 玉村(木島)本陣跡(歌碑)は青→を入る
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2/28 8:18
町田酒造交差点
例幣使街道は赤→ 玉村(木島)本陣跡(歌碑)は青→を入る
木島本陣跡 歌碑
例幣使綾小路有長 歌碑「玉むらのやどりにひらく玉くしげ ふたたびきそのかへさやすらに」参議有長
天保十四年(1843)例幣使綾小路有長は帰路も東海道ではなく中山道を辿った、これは二百二十一年間の慣行の中で二例しか無い
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2/28 8:20
木島本陣跡 歌碑
例幣使綾小路有長 歌碑「玉むらのやどりにひらく玉くしげ ふたたびきそのかへさやすらに」参議有長
天保十四年(1843)例幣使綾小路有長は帰路も東海道ではなく中山道を辿った、これは二百二十一年間の慣行の中で二例しか無い
高札場跡 玉村宿の解説版がある
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2/28 8:23
高札場跡 玉村宿の解説版がある
毘沙門堂の石灯篭
新田村と飯島村の境にあった毘沙門堂の常夜灯だったと云われている。上段の竿が除かれ小さくなっている
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2/28 8:38
毘沙門堂の石灯篭
新田村と飯島村の境にあった毘沙門堂の常夜灯だったと云われている。上段の竿が除かれ小さくなっている
上飯島交差点
この辺りが玉村宿の東口
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2/28 8:41
上飯島交差点
この辺りが玉村宿の東口
【五料宿 上野國】
至徳山常楽寺(真言宗)
参道口右手に道標「利根川渡船 玉村町小泉道 烏川渡船 神保原本庄町道 至常楽寺
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2/28 9:39
【五料宿 上野國】
至徳山常楽寺(真言宗)
参道口右手に道標「利根川渡船 玉村町小泉道 烏川渡船 神保原本庄町道 至常楽寺
門前には馬頭観音・二十三夜塔・如意輪観音等の石仏等が並べてある
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2/28 9:42
門前には馬頭観音・二十三夜塔・如意輪観音等の石仏等が並べてある
五料関所跡
例幣使街道唯一の関所
天明三年(1783)の浅間山噴火による泥流により関所は泥で埋まり、文政十年(1827)には大火に見舞わた。(解説版)
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2/28 9:53
五料関所跡
例幣使街道唯一の関所
天明三年(1783)の浅間山噴火による泥流により関所は泥で埋まり、文政十年(1827)には大火に見舞わた。(解説版)
利根川の渡し場跡あたり 橋は五料橋
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2/28 9:56
利根川の渡し場跡あたり 橋は五料橋
五料橋から赤城山
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2/28 10:01
五料橋から赤城山
浅間山
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2/28 10:07
浅間山
【柴宿 上野國】
伊勢崎市柴町信号
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2/28 10:08
【柴宿 上野國】
伊勢崎市柴町信号
標識と歩道が整備されている
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2/28 10:12
標識と歩道が整備されている
柴宿本陣跡
本陣当時の文書類・調度品は残されているが建築物は門だけが残っている
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2/28 10:19
柴宿本陣跡
本陣当時の文書類・調度品は残されているが建築物は門だけが残っている
雷電神社
弘法大師が雨乞いを行った所に雷電神社が創建された
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2/28 10:29
雷電神社
弘法大師が雨乞いを行った所に雷電神社が創建された
本殿には龍の鏝絵(こてえ)があり、境内には天明三年(1783)の浅間山大噴火による溶岩がある
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2/28 10:27
本殿には龍の鏝絵(こてえ)があり、境内には天明三年(1783)の浅間山大噴火による溶岩がある
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2/28 10:27
満善寺
日光山中禅寺を開山した勝道上人の建立
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2/28 10:37
満善寺
日光山中禅寺を開山した勝道上人の建立
天誉山昌雲寺(曹洞宗)
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2/28 10:49
天誉山昌雲寺(曹洞宗)
庚申塔道標「従是一丁上り北伊勢崎道」「従是南本庄道」
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2/28 10:49
庚申塔道標「従是一丁上り北伊勢崎道」「従是南本庄道」
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2/28 10:51
豊武神社
かつては大正寺村の八幡社だったが、近郊の富塚村、除ケ村、大正寺村、下道寺村の各神社を合祀した際に、四ケ村の頭文字をとって豊武(とよたけ)と改称された
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2/28 11:09
豊武神社
かつては大正寺村の八幡社だったが、近郊の富塚村、除ケ村、大正寺村、下道寺村の各神社を合祀した際に、四ケ村の頭文字をとって豊武(とよたけ)と改称された
豊武神社の道標
上部に如意輪観音が彫られ、台座に「右ちゝぶ 左日光」と刻まれている
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2/28 11:10
豊武神社の道標
上部に如意輪観音が彫られ、台座に「右ちゝぶ 左日光」と刻まれている
大正寺公民館の敷地内にある道標「東 日光道 西 五料 南 本庄道」、二十二夜供養塔、庚申塔等
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2/28 11:20
大正寺公民館の敷地内にある道標「東 日光道 西 五料 南 本庄道」、二十二夜供養塔、庚申塔等
下道寺町(げどうじちょう)の道標
円柱の猿田彦大神道標は万延元年(1860)の建立「右玉村 左やった」
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2/28 11:27
下道寺町(げどうじちょう)の道標
円柱の猿田彦大神道標は万延元年(1860)の建立「右玉村 左やった」
伊勢崎織物大絣発祥の地碑
伊勢崎大絣(かすり)は伊勢崎銘仙(めいせん)と呼ばれ全国に名声を博した
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2/28 11:29
伊勢崎織物大絣発祥の地碑
伊勢崎大絣(かすり)は伊勢崎銘仙(めいせん)と呼ばれ全国に名声を博した
遺跡三ツ橋と三ツ橋伝説 祠には庚申塔と馬頭観音
子供がハシカになったとき橋の下をくぐると治るという伝説がある
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2/28 11:32
遺跡三ツ橋と三ツ橋伝説 祠には庚申塔と馬頭観音
子供がハシカになったとき橋の下をくぐると治るという伝説がある
住吉山地蔵院延命寺 (新義真言宗)
例幣使御小休所
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2/28 11:40
住吉山地蔵院延命寺 (新義真言宗)
例幣使御小休所
左から甲子塔、庚申塔、青面金剛像庚申塔、庚申塔
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2/28 11:47
左から甲子塔、庚申塔、青面金剛像庚申塔、庚申塔
「子供のもり公園伊勢崎」園内の繭(まゆ)の形をイメージした「まゆドーム」
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2/28 12:16
「子供のもり公園伊勢崎」園内の繭(まゆ)の形をイメージした「まゆドーム」
道祖神、如意輪観音像、寛政元年(1789)と安政五年(1858)建立の庚申塔
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2/28 12:19
道祖神、如意輪観音像、寛政元年(1789)と安政五年(1858)建立の庚申塔
「右 赤城」案内
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2/28 12:25
「右 赤城」案内
「右 赤城」
日光例幣使道を楡木方面に進むと道は常に東に向かって進むので北にある赤城山は常に左に見えるが、ここは街道が西に向きがかわるため、街道で唯一右に赤城山を望む場所で「右 赤城」として例幣使や上方に知れ渡った
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2/28 12:28
「右 赤城」
日光例幣使道を楡木方面に進むと道は常に東に向かって進むので北にある赤城山は常に左に見えるが、ここは街道が西に向きがかわるため、街道で唯一右に赤城山を望む場所で「右 赤城」として例幣使や上方に知れ渡った
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分岐点にある道標
読めないが上記「右赤城」解説版には「右 五りょう 東 日光道 左 ほん志やう」と書いてある
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2/28 12:32
分岐点にある道標
読めないが上記「右赤城」解説版には「右 五りょう 東 日光道 左 ほん志やう」と書いてある
竹石(たけし)の渡し跡
上野国の例幣使街道の渡しは利根川の「五料の渡し」と広瀬川の「竹石の渡し」の2か所
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2/28 12:49
竹石(たけし)の渡し跡
上野国の例幣使街道の渡しは利根川の「五料の渡し」と広瀬川の「竹石の渡し」の2か所
広瀬川上流にうっすら赤城山が見える
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2/28 12:51
広瀬川上流にうっすら赤城山が見える
乳母の懐(解説版)
輿に揺られて居眠りをしていた例幣使が武士村との境まで迎えに出ていた境宿の町役人に起こされると「乳母の懐に抱かれていたようじゃのう」といったといいます。
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2/28 12:59
乳母の懐(解説版)
輿に揺られて居眠りをしていた例幣使が武士村との境まで迎えに出ていた境宿の町役人に起こされると「乳母の懐に抱かれていたようじゃのう」といったといいます。
御嶽山(八海山)・一本松稲荷 高札場跡
山岳信仰の盛んだった江戸時代の終わりごろ、八海山・御嶽山を招請し祀った
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2/28 13:04
御嶽山(八海山)・一本松稲荷 高札場跡
山岳信仰の盛んだった江戸時代の終わりごろ、八海山・御嶽山を招請し祀った
【境宿 上野國】
境宿上木戸跡 境萩原交差点
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2/28 13:20
【境宿 上野國】
境宿上木戸跡 境萩原交差点
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2/28 13:21
織間本陣跡
中庭に見事な松があるところから織間本陣は蒼松軒(そうしょうけん)とも呼ばれた。
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2/28 13:22
織間本陣跡
中庭に見事な松があるところから織間本陣は蒼松軒(そうしょうけん)とも呼ばれた。
高札場跡
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2/28 13:29
高札場跡
下木戸跡
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2/28 13:34
下木戸跡
福島家文書
新田郡境村の名主であった福島家に残されている江戸時代初期から幕末までの古文書がある(境町重要文化財)
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2/28 13:37
福島家文書
新田郡境村の名主であった福島家に残されている江戸時代初期から幕末までの古文書がある(境町重要文化財)
法楽寺の供養塔、地蔵尊、如意輪観音像二十二夜搭(安政五年(1858)建立)
後ろは東武鉄道伊勢崎線踏切
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2/28 13:57
法楽寺の供養塔、地蔵尊、如意輪観音像二十二夜搭(安政五年(1858)建立)
後ろは東武鉄道伊勢崎線踏切
天明八年(1788)と安政七年(1860)建立の庚申塔。中央は大黒天
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2/28 14:05
天明八年(1788)と安政七年(1860)建立の庚申塔。中央は大黒天
子育地蔵尊と庚申塔(享保十年(1725)建立)
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2/28 14:08
子育地蔵尊と庚申塔(享保十年(1725)建立)
伊勢崎市と太田市の境界
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2/28 14:16
伊勢崎市と太田市の境界
新田義貞公首塚・小角田前古墳
新田義貞の首墳との伝承がある。京の都に晒されていた義貞の首を、妹婿の世良田満義が秘かに持ち帰り葬ったという。
*新田義貞の首塚と言われるものは、京都市・小田原市・桐生市等各地にある
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2/28 14:22
新田義貞公首塚・小角田前古墳
新田義貞の首墳との伝承がある。京の都に晒されていた義貞の首を、妹婿の世良田満義が秘かに持ち帰り葬ったという。
*新田義貞の首塚と言われるものは、京都市・小田原市・桐生市等各地にある
小角田(こずみだ)交差点
例幣使街道(赤→) 世良田駅(白→)
木崎駅まで予定していたが疲れたので世良田駅から変えることにするが、駅まで来ると丁度電車は出たところで1時間待ち
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2/28 14:28
小角田(こずみだ)交差点
例幣使街道(赤→) 世良田駅(白→)
木崎駅まで予定していたが疲れたので世良田駅から変えることにするが、駅まで来ると丁度電車は出たところで1時間待ち
旧世良田村役場跡
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2/28 15:02
旧世良田村役場跡
仕方なく近くの八坂神社に参拝して時間調整
この先に、世良田東照宮があるがそこまでは行けなかった *世良田は徳川発祥の地と言われている
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2/28 15:03
仕方なく近くの八坂神社に参拝して時間調整
この先に、世良田東照宮があるがそこまでは行けなかった *世良田は徳川発祥の地と言われている
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