記録ID: 7915145
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ハイキング
近畿
置塩城跡&恒屋城跡(姫路市の山城跡)
2025年03月20日(木) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 02:32
- 距離
- 5.4km
- 登り
- 487m
- 下り
- 488m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
恒屋城跡:登山口に駐車場があるが、入る道が狭く、公民館前に駐車させていただいた。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
置塩城跡:登りはじめの多少荒れた所以外はよく整備されており、案内標識も多く設置されている。 恒屋城跡:問題なし。随所に小さな説明板が設置されている。 |
写真
撮影機器:
感想
いずれの城跡も遺構がたくさん残っており、往時が偲ばれます。
本丸跡等からの展望もgoodでした!
地元の方々のご努力により、案内標識や説明板が随所に設置され、登山道もよく整備されていました。
これからも山城ハイクを大いに楽しみたいです。
早く帰宅して地元の東洋大姫路高校を応援!(TVで)
置塩城跡
嘉吉の乱(1441)後に赤松宗家を再興した赤松政則が、播磨守護就任にあわせ、文明元年(1469)に築城したと伝わる。以後、5代にわたる後期赤松氏の本城となった。天正8年(1580)、播磨を平定した羽柴秀吉は、翌9年、播磨国内の置塩城他の破却を命じた。置塩城は廃城となったと考えられています。東西約600m、南北約400mにわたって広がる播磨最大の山城で、平成13〜17年に行われた発掘調査では、主郭から礎石建物や庭園、築地土塁を持つ格式の高い屋敷跡が確認されています。
恒屋城跡
南側の前城と北側の後城からなる中世の山城。多数の郭群が築かれ、南西斜面の畝状空堀群、後城にある折のある横堀、土塁などの遺構が良好に残っている。十五世紀中頃に赤松氏の幕下恒屋氏が築き、天正年間に羽柴秀吉により落城したと伝えられています。
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