先回の終着、豊明駅から再開です。頑張って行きましょう!
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5/23 9:43
先回の終着、豊明駅から再開です。頑張って行きましょう!
先回はこんな掲示があるなんて知りませんでした
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5/23 9:51
先回はこんな掲示があるなんて知りませんでした
先回の終着、阿野一里塚まで戻ってきました。ここから本当の今日のスタートです。ここに着いたとき、逆方向に東海道歩きをしている人とすれ違いました、やはり他にもいるもんですね!
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5/23 9:55
先回の終着、阿野一里塚まで戻ってきました。ここから本当の今日のスタートです。ここに着いたとき、逆方向に東海道歩きをしている人とすれ違いました、やはり他にもいるもんですね!
このような旧家が東海道沿いには多い
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5/23 10:12
このような旧家が東海道沿いには多い
前後神明社への入口、ここはパスします
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5/23 10:20
前後神明社への入口、ここはパスします
国道1号に合流、このすぐ後に桶狭間古戦場がありますが負けた今川方の落ち武者が潰走しこの辺りは落合村という地名になったらしい
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5/23 10:34
国道1号に合流、このすぐ後に桶狭間古戦場がありますが負けた今川方の落ち武者が潰走しこの辺りは落合村という地名になったらしい
ちょっと東海道から外れてますが桶狭間古戦場に着きました、なにやらお祭りののぼりがたくさん設置されてる
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5/23 10:41
ちょっと東海道から外れてますが桶狭間古戦場に着きました、なにやらお祭りののぼりがたくさん設置されてる
七石表という碑が最初に目に入りました。ここには七つの碑(今川方の家臣が戦死した場所)があるようです。建てられたのは江戸時代ですね
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5/23 10:42
七石表という碑が最初に目に入りました。ここには七つの碑(今川方の家臣が戦死した場所)があるようです。建てられたのは江戸時代ですね
今川上総介義元戦死所と書いてあります、古くて読みにくい。。。
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5/23 10:43
今川上総介義元戦死所と書いてあります、古くて読みにくい。。。
こちらが本当のお墓のようです。でもできたのは明治に入ってから、それまではただの塚だったとか。
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5/23 10:45
こちらが本当のお墓のようです。でもできたのは明治に入ってから、それまではただの塚だったとか。
江戸時代後期に建てられた弔古碑。合戦の様子を負けた側の立場で表現しています、でも石碑の文字は漢文みたいで私には読めません。。。
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5/23 10:47
江戸時代後期に建てられた弔古碑。合戦の様子を負けた側の立場で表現しています、でも石碑の文字は漢文みたいで私には読めません。。。
弔古碑の右隣に立っている古戦場址、明治の華族が建てたようです
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5/23 10:48
弔古碑の右隣に立っている古戦場址、明治の華族が建てたようです
どんな石碑があるか案内板がありました、うんうん良くわかる
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5/23 10:48
どんな石碑があるか案内板がありました、うんうん良くわかる
三号碑、士隊将塚と書いてある
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5/23 10:54
三号碑、士隊将塚と書いてある
四号碑、ここも士隊将塚、なんか寂しい感じです
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5/23 10:56
四号碑、ここも士隊将塚、なんか寂しい感じです
今川義元とその家臣が祀ってある高徳院。家康は東海道でここを通る度に拝礼していたらしい
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5/23 11:01
今川義元とその家臣が祀ってある高徳院。家康は東海道でここを通る度に拝礼していたらしい
義元の仏式墓碑、江戸時代末期に三百回忌で建てたらしい。江戸時代末期ですでに三百年!歴史を感じさせます
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5/23 11:03
義元の仏式墓碑、江戸時代末期に三百回忌で建てたらしい。江戸時代末期ですでに三百年!歴史を感じさせます
他にも色々建ってました、一番奥にはお化け地蔵という怪しげな地蔵さん。これを建てたら亡霊が出なくなったとか。
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5/23 11:04
他にも色々建ってました、一番奥にはお化け地蔵という怪しげな地蔵さん。これを建てたら亡霊が出なくなったとか。
というわけで色々と当時を偲ばせる石碑も多いですが、現在は市民の憩いの場でもあるようですね。青々とした感じで癒されます
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5/23 11:06
というわけで色々と当時を偲ばせる石碑も多いですが、現在は市民の憩いの場でもあるようですね。青々とした感じで癒されます
東海道に戻ったら、6月第1土日にお祭りがあるとの事でした
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5/23 11:12
東海道に戻ったら、6月第1土日にお祭りがあるとの事でした
また国道1号から左に分岐、旧東海道は現在の道と比べるとやはりだいぶくねくねと曲がってるんですねー
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5/23 11:13
また国道1号から左に分岐、旧東海道は現在の道と比べるとやはりだいぶくねくねと曲がってるんですねー
すぐまた合流、ちょっと缶コーヒーを飲んで休憩します
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5/23 11:18
すぐまた合流、ちょっと缶コーヒーを飲んで休憩します
喉が潤ったので気を取り直して1号線沿いを歩くと、またすぐ分岐。写真奥の道に入ります
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5/23 11:24
喉が潤ったので気を取り直して1号線沿いを歩くと、またすぐ分岐。写真奥の道に入ります
ここも分岐ですね、左手に進みます。右側にはお地蔵さん、世界地蔵って書いてあるけどどういう意味?
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5/23 11:30
ここも分岐ですね、左手に進みます。右側にはお地蔵さん、世界地蔵って書いてあるけどどういう意味?
有松に着きました、間の宿(宿場と宿場の間にある休憩地)です。”ありまつ”と書かれた”のれん”があちこちに見られます。有松絞りの織物が有名のようです。
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5/23 11:33
有松に着きました、間の宿(宿場と宿場の間にある休憩地)です。”ありまつ”と書かれた”のれん”があちこちに見られます。有松絞りの織物が有名のようです。
美しい佇まいの街道筋。
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5/23 11:34
美しい佇まいの街道筋。
左手にある井桁屋が絞り問屋の老舗で、浮世絵「名物有松絞」の場所になっています
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5/23 11:40
左手にある井桁屋が絞り問屋の老舗で、浮世絵「名物有松絞」の場所になっています
歌川広重「東海道五拾三次 鳴海 名物有松絞」
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歌川広重「東海道五拾三次 鳴海 名物有松絞」
旧家が立ち並んでます
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5/23 11:45
旧家が立ち並んでます
山田薬局と屋号が書かれていますが、天明の大火後すぐにできた老舗のようです
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5/23 11:48
山田薬局と屋号が書かれていますが、天明の大火後すぐにできた老舗のようです
軒先に詳しい掲示がありました
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5/23 11:50
軒先に詳しい掲示がありました
美しい街並みが続きます
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5/23 11:57
美しい街並みが続きます
二代目松、当時の松の挿し木
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5/23 12:01
二代目松、当時の松の挿し木
有松の一里塚、これは最近復元されたもの。本物は大正に撤去されたようです
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5/23 12:03
有松の一里塚、これは最近復元されたもの。本物は大正に撤去されたようです
名残の松、なかなか立派です
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5/23 12:19
名残の松、なかなか立派です
鳴海宿の東口に建てられた永代常夜燈(文化三年、1806年)
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5/23 12:30
鳴海宿の東口に建てられた永代常夜燈(文化三年、1806年)
紫雲山金剛寺、宝暦十年(1760年)町中にあったので江戸時代は寺子屋だったらしい
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5/23 12:37
紫雲山金剛寺、宝暦十年(1760年)町中にあったので江戸時代は寺子屋だったらしい
この辺りに中島砦跡があるハズなんだけど、見つからなかった…桶狭間の戦いの前に信長が準備した三つの砦の中の一つ
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5/23 12:46
この辺りに中島砦跡があるハズなんだけど、見つからなかった…桶狭間の戦いの前に信長が準備した三つの砦の中の一つ
瑞泉寺1396年、鳴海根古屋城主 安原宗範が創建。その後兵火で焼失、1503年再建。玉照姫が働いていた鳴海長者 成高邸もこの隣にあったらしい、見逃したー
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5/23 12:47
瑞泉寺1396年、鳴海根古屋城主 安原宗範が創建。その後兵火で焼失、1503年再建。玉照姫が働いていた鳴海長者 成高邸もこの隣にあったらしい、見逃したー
入口の門は明治28年12月に建てられてます、読みにくい…
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5/23 12:50
入口の門は明治28年12月に建てられてます、読みにくい…
これも古そうね、蔵でしょうか
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5/23 12:54
これも古そうね、蔵でしょうか
ここは昔、鳴海宿脇本陣があった場所。この辺りから鳴海宿の中心街になるようです
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5/23 12:56
ここは昔、鳴海宿脇本陣があった場所。この辺りから鳴海宿の中心街になるようです
松尾芭蕉の足跡も感じられるようですね
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5/23 13:00
松尾芭蕉の足跡も感じられるようですね
旧東海道からちょっと外れたところに高札場を復元してました。昔の綴りは難しくて読めんわー、でもちゃんと解説も書かれてます!(^^)!。この横のベンチで休憩し遅めのランチ
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5/23 13:04
旧東海道からちょっと外れたところに高札場を復元してました。昔の綴りは難しくて読めんわー、でもちゃんと解説も書かれてます!(^^)!。この横のベンチで休憩し遅めのランチ
鳴海城址、根古屋城とも言われ1394年築城。現在は成海神社(奈良時代創建)の旧祠 天神社。桶狭間で負けた今川方が頑張ってしばらく鳴海城に残った。その後、佐久間信盛が城主となったが天正年間に信長が廃城にした。天神社は鳴海城の鎮守だった
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5/23 13:28
鳴海城址、根古屋城とも言われ1394年築城。現在は成海神社(奈良時代創建)の旧祠 天神社。桶狭間で負けた今川方が頑張ってしばらく鳴海城に残った。その後、佐久間信盛が城主となったが天正年間に信長が廃城にした。天神社は鳴海城の鎮守だった
うんうん、鳴海城址だったんだね
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5/23 13:30
うんうん、鳴海城址だったんだね
ちゃんと常夜燈、鳥居と祠もあります。常夜燈には嘉永五年1852年と刻まれてました、黒船ペリー来航の前年ですね
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5/23 13:33
ちゃんと常夜燈、鳥居と祠もあります。常夜燈には嘉永五年1852年と刻まれてました、黒船ペリー来航の前年ですね
本陣跡、鳴海宿中心。1843年の調査によると鳴海宿は人口3643人、家数847軒、旅籠68軒ありかなり栄えていた。
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5/23 13:47
本陣跡、鳴海宿中心。1843年の調査によると鳴海宿は人口3643人、家数847軒、旅籠68軒ありかなり栄えていた。
誓願時、本陣を守った千代倉家代々の墓や芭蕉の供養塔があるらしい
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5/23 13:38
誓願時、本陣を守った千代倉家代々の墓や芭蕉の供養塔があるらしい
この旧家は古ぼけてなく、手入れされていてとても美しかった。家主の努力に恐れ入ります…
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5/23 13:52
この旧家は古ぼけてなく、手入れされていてとても美しかった。家主の努力に恐れ入ります…
長翁寺1582年創建。ここの薬師如来像は信長の持仏だったらしい
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5/23 13:55
長翁寺1582年創建。ここの薬師如来像は信長の持仏だったらしい
丹下町の常夜燈1792年設置、鳴海宿の西入口にあたる。
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5/23 14:01
丹下町の常夜燈1792年設置、鳴海宿の西入口にあたる。
旧東海道を見下ろす位置にある丹下砦跡、今川の進軍に備えた信長の三つの砦の一つ。
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5/23 14:10
旧東海道を見下ろす位置にある丹下砦跡、今川の進軍に備えた信長の三つの砦の一つ。
奥が高台になっています、その向こうが旧東海道です
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5/23 14:11
奥が高台になっています、その向こうが旧東海道です
砦が奥の高台にありました、手前の旧東海道を良く監視できる位置ですね
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5/23 14:19
砦が奥の高台にありました、手前の旧東海道を良く監視できる位置ですね
旧東海道とは直接関係無いですが、鉾の木貝塚跡。縄文時代前期のものだとか、色々ありますね
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5/23 14:23
旧東海道とは直接関係無いですが、鉾の木貝塚跡。縄文時代前期のものだとか、色々ありますね
天白川を渡ります。昔は米野木川と言われたらしい
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5/23 14:34
天白川を渡ります。昔は米野木川と言われたらしい
知多郡道と旧東海道の道標。知多郡道とは鳴海から半田に向かう道を指し半田街道とも呼ばれる。土地によって呼び名が異なり、宮道、あつたみちとも。
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5/23 14:49
知多郡道と旧東海道の道標。知多郡道とは鳴海から半田に向かう道を指し半田街道とも呼ばれる。土地によって呼び名が異なり、宮道、あつたみちとも。
笠寺一里塚、江戸から88番目。西側の塚は大正時代に取り壊された。
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5/23 14:50
笠寺一里塚、江戸から88番目。西側の塚は大正時代に取り壊された。
古そうな榎の木
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5/23 14:52
古そうな榎の木
天林山笠覆寺、いわゆる笠寺で733年建立(当時は小松寺と呼ばれた)。鳴海長者に仕えていた下女が荒れ果てていた観音様に笠をかぶせたら、たまたま通りかかった平安貴族の藤原兼平に見初められ玉照姫として迎えられたところから笠覆寺となったらしい。
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5/23 15:06
天林山笠覆寺、いわゆる笠寺で733年建立(当時は小松寺と呼ばれた)。鳴海長者に仕えていた下女が荒れ果てていた観音様に笠をかぶせたら、たまたま通りかかった平安貴族の藤原兼平に見初められ玉照姫として迎えられたところから笠覆寺となったらしい。
入口の石碑は大正八年建立
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5/23 15:07
入口の石碑は大正八年建立
こちらの常夜燈も古そう、文久三年(1863)ですね
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5/23 15:08
こちらの常夜燈も古そう、文久三年(1863)ですね
玉照姫を祀った泉増院、徳川家代々の姫君奥女中の信仰が篤かったらしい
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5/23 15:13
玉照姫を祀った泉増院、徳川家代々の姫君奥女中の信仰が篤かったらしい
西方院、木曽義仲の母の持仏(明王)があるらしい
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5/23 15:14
西方院、木曽義仲の母の持仏(明王)があるらしい
笠寺の西門、ちょっとお参りしてみましょう
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5/23 15:16
笠寺の西門、ちょっとお参りしてみましょう
本殿ですね、立派です。中央には長いスロープが設置されています、バリアフリーですねー
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5/23 15:17
本殿ですね、立派です。中央には長いスロープが設置されています、バリアフリーですねー
お百度参りの石、元治二年(1862)設置
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5/23 15:20
お百度参りの石、元治二年(1862)設置
松平竹千代(後の徳川家康)が幼い頃、織田方と今川方との間で人質交換されていたらしい
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5/23 15:27
松平竹千代(後の徳川家康)が幼い頃、織田方と今川方との間で人質交換されていたらしい
道標、旧東海道と塩付街道の交差点
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5/23 15:50
道標、旧東海道と塩付街道の交差点
長楽寺821年創建、境内には織田と今川の領地境の谷があるらしい。見損ねたー
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5/23 15:53
長楽寺821年創建、境内には織田と今川の領地境の谷があるらしい。見損ねたー
ここにも長楽寺の石碑、大正十三年建立と裏側に彫られてます
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5/23 15:55
ここにも長楽寺の石碑、大正十三年建立と裏側に彫られてます
右手の小道が鎌倉街道、色々な街道と交差しています
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5/23 16:02
右手の小道が鎌倉街道、色々な街道と交差しています
地蔵院、願掛け成就に湯をかける湯浴地蔵があるらしい
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5/23 16:02
地蔵院、願掛け成就に湯をかける湯浴地蔵があるらしい
ちょっと左手の鎌倉街道の方に立ち寄ってみます
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5/23 16:03
ちょっと左手の鎌倉街道の方に立ち寄ってみます
鎌倉街道を進んでいくと、白毫寺に行きつきました。
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5/23 16:06
鎌倉街道を進んでいくと、白毫寺に行きつきました。
年魚市潟(あゆちがた)勝景地の案内板、昔は近くまで海辺があったようで、あいちの名前の由来でもあるようです
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5/23 16:08
年魚市潟(あゆちがた)勝景地の案内板、昔は近くまで海辺があったようで、あいちの名前の由来でもあるようです
建物や木々があって今は見えませんが、確かに高台ですね
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5/23 16:09
建物や木々があって今は見えませんが、確かに高台ですね
16世紀後半に建立された熊野三社、この辺り昔は巨松が生い茂る陸の浮島だった。境内には1766年建立の手洗、松巨嶋(まつこじま)がある
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5/23 16:17
16世紀後半に建立された熊野三社、この辺り昔は巨松が生い茂る陸の浮島だった。境内には1766年建立の手洗、松巨嶋(まつこじま)がある
ここも古いご神木と鳥居、常夜燈がありますね
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5/23 16:20
ここも古いご神木と鳥居、常夜燈がありますね
山崎城址、安泰寺(織田家臣、佐久間信盛居城)への道標
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5/23 16:24
山崎城址、安泰寺(織田家臣、佐久間信盛居城)への道標
夕方になったので今日はここまでで終わりにします、お疲れ様でした!
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5/23 16:26
夕方になったので今日はここまでで終わりにします、お疲れ様でした!
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