記録ID: 8235056
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ハイキング
京都・北摂
能の世界へおこしやす・・・平安神宮散策
2025年06月01日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:31
- 距離
- 3.8km
- 登り
- 10m
- 下り
- 5m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
能は、室町時代に成立した歌舞劇。奈良時代に唐から輸入された芸能、散楽から発達したもので、平安時代以降は猿楽と称され、当初は社寺の神事や法会の儀式に用いられた。鎌倉時代、近畿地方の神事猿楽が演劇的要素を取り入れて猿楽能に発展。南北朝時代、南都(奈良)興福寺に奉仕していた円満井座(金春流)・結崎座(観世流)・外山(とび)座(宝生流)・坂戸座(金剛流)の大和猿楽4座の中から、結城座の観阿弥・世阿弥父子が出て、室町幕府三代将軍足利義満の愛顧を受けて京都に進出。世阿弥は、猿楽能に田楽能の歌舞や曲舞のリズムを取り入れ、また夢幻能の様式を作り、歌舞を主体とした幽玄(優美)な能を完成させた。以後、京都の武家社会に猿楽能は定着し、観世を中心とした大和猿楽4座が活躍した。
江戸時代になると、大和猿楽4座は江戸幕府の直接支配に入り、その式楽(儀式の能)をつとめることが任務とされた。そのため、家元は江戸に在住し、一方京都では、京観世5軒家などの弟子たちが町人社会に素謡を広めていくこととなった。
なお現代に至り、能と狂言はその総称である「能楽」として、昭和32年(1957)に国の重要無形文化財に指定され、また平成20年(2008)にはユネスコの無形文化遺産に登録されており、世界的に高い評価と理解を得られていることがあらためて国内外に示された。
(京都検定テキスト)
狂言は、室町時代に成立した滑稽なセリフ劇。猿楽能の隆盛とともに、演能の合間に演じる芸能として発達した。江戸時代には、大蔵・鷺・和泉の三流があり、京都では主として和泉流の狂言師が活躍した。和泉流は、京都の手猿楽(素人猿楽)の狂言として活動していた山脇和泉元宜(もとよし)が、慶長19年(1614)に尾張徳川家に召し抱えられ、同じく手猿楽狂言の野村又三郎・三宅藤九郎らを傘下に加えて流儀を確立したもの。禁裏への参勤を主として京都で活動を続け、京流とも呼ばれた。宗家の山脇和泉は後の代に名古屋に移住するが、野村・三宅両家は京都で活動を続け、明治維新後、宗家とともに東京に移った。
一方、江戸時代後期の京都の狂言界では大蔵流狂言の茂山家が台頭した。天保年間(1830〜44)、9世正乕(まさとら)が近江国彦根藩井伊家に召し抱えられて茂山千五郎家が確立し、分家の茂山忠三郎家も成立。明治時代以降は、この茂山家が京都の狂言を主導することとなった。
また、能楽の一部として発達したものの他に、民俗芸能として伝統行事の中で伝承され、念仏の布教のために催された大念仏狂言(→308頁)がある。
昭和32年(1957)、能とともに狂言は「能樂」として国の重要無形文化財に、また平成20年(2008)にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
(京都検定テキスト)
江戸時代になると、大和猿楽4座は江戸幕府の直接支配に入り、その式楽(儀式の能)をつとめることが任務とされた。そのため、家元は江戸に在住し、一方京都では、京観世5軒家などの弟子たちが町人社会に素謡を広めていくこととなった。
なお現代に至り、能と狂言はその総称である「能楽」として、昭和32年(1957)に国の重要無形文化財に指定され、また平成20年(2008)にはユネスコの無形文化遺産に登録されており、世界的に高い評価と理解を得られていることがあらためて国内外に示された。
(京都検定テキスト)
狂言は、室町時代に成立した滑稽なセリフ劇。猿楽能の隆盛とともに、演能の合間に演じる芸能として発達した。江戸時代には、大蔵・鷺・和泉の三流があり、京都では主として和泉流の狂言師が活躍した。和泉流は、京都の手猿楽(素人猿楽)の狂言として活動していた山脇和泉元宜(もとよし)が、慶長19年(1614)に尾張徳川家に召し抱えられ、同じく手猿楽狂言の野村又三郎・三宅藤九郎らを傘下に加えて流儀を確立したもの。禁裏への参勤を主として京都で活動を続け、京流とも呼ばれた。宗家の山脇和泉は後の代に名古屋に移住するが、野村・三宅両家は京都で活動を続け、明治維新後、宗家とともに東京に移った。
一方、江戸時代後期の京都の狂言界では大蔵流狂言の茂山家が台頭した。天保年間(1830〜44)、9世正乕(まさとら)が近江国彦根藩井伊家に召し抱えられて茂山千五郎家が確立し、分家の茂山忠三郎家も成立。明治時代以降は、この茂山家が京都の狂言を主導することとなった。
また、能楽の一部として発達したものの他に、民俗芸能として伝統行事の中で伝承され、念仏の布教のために催された大念仏狂言(→308頁)がある。
昭和32年(1957)、能とともに狂言は「能樂」として国の重要無形文化財に、また平成20年(2008)にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
(京都検定テキスト)
ロームシアター京都の敷地に
六勝寺跡
(左京区岡崎)
白河天皇は、鴨川東岸の白河に法勝寺を建立し、堀河天皇に譲位後、院御所である白河殿を造営して、院政を行った。
現在の岡崎の一帯には、白河北殿や白河南殿、また六勝寺など、その跡地であることを示す石碑が多くある。
六勝寺は、院政期に創建された「勝」の字の付いた六つの寺院を総称して、そのように呼ばれた。
すなわち
法勝寺(白河天皇御願)、
尊勝寺(堀河天皇御願)、
最勝寺(鳥羽天皇御願)、
円勝寺(鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子御願)、
成勝寺(崇徳天皇御願)、
延勝寺(近衛天皇御願)
の六ヵ寺である。法勝寺には八角九重塔があった。
すべて失われて何も残っていないが、地名にその名を見ることができる。
法勝寺はのちに西教寺(滋賀県大津市)に合併されたために、法勝寺から伝来したとされる薬師如来坐像(重要文化財)が西教寺にある。
また、西方寺(左京区東大路通二条下ル北門前町)の本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)も法勝寺にあったものと伝わる。
京都大学熊野寮の構内に白河北殿跡の石碑があるが、ここは保元の乱の時、崇徳上皇が入っていたために後白河天皇方によって攻められ焼失した史跡でもある
(京都検定テキスト)
六勝寺跡
(左京区岡崎)
白河天皇は、鴨川東岸の白河に法勝寺を建立し、堀河天皇に譲位後、院御所である白河殿を造営して、院政を行った。
現在の岡崎の一帯には、白河北殿や白河南殿、また六勝寺など、その跡地であることを示す石碑が多くある。
六勝寺は、院政期に創建された「勝」の字の付いた六つの寺院を総称して、そのように呼ばれた。
すなわち
法勝寺(白河天皇御願)、
尊勝寺(堀河天皇御願)、
最勝寺(鳥羽天皇御願)、
円勝寺(鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子御願)、
成勝寺(崇徳天皇御願)、
延勝寺(近衛天皇御願)
の六ヵ寺である。法勝寺には八角九重塔があった。
すべて失われて何も残っていないが、地名にその名を見ることができる。
法勝寺はのちに西教寺(滋賀県大津市)に合併されたために、法勝寺から伝来したとされる薬師如来坐像(重要文化財)が西教寺にある。
また、西方寺(左京区東大路通二条下ル北門前町)の本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)も法勝寺にあったものと伝わる。
京都大学熊野寮の構内に白河北殿跡の石碑があるが、ここは保元の乱の時、崇徳上皇が入っていたために後白河天皇方によって攻められ焼失した史跡でもある
(京都検定テキスト)
平安神宮
(左京区岡崎西天王町)
※祭神 桓武天皇、孝明天皇
明治28年(1895)の平安奠都1100年記念祭の時に京都の始祖、桓武天皇を奉祝する神宮として創建し、京都総鎮守の杜とされた。社殿は平安京の朝堂院(大内裏の正庁)を模して約8分の5の大きさに縮小し、二層の神門(重要文化財)は応天門、外拝殿(重要文化財)は大極殿を模して建立された。紀元2600年にあたる昭和15年(1940)に孝明天皇を合祀して社殿や回廊などが増築され、現在の姿が整えられた。本殿は同51年に焼失したが、同54年に復興された。創建時に建てられて今に残る社殿(外拝殿[大極殿]・神門[応天門]・蒼龍楼・白虎楼・歩廊・龍尾壇)はいずれも重要文化財に指定されている。神苑は東・中・西・南の四苑からなり、南苑以外は7代目小川治兵衛(植治)の作。神苑を含む神域は国の名勝に指定されている。
→平安神宮神苑(近代の日本庭園)227頁、時代祭294頁、観桜茶会311頁、京都薪能314頁
(左京区岡崎西天王町)
※祭神 桓武天皇、孝明天皇
明治28年(1895)の平安奠都1100年記念祭の時に京都の始祖、桓武天皇を奉祝する神宮として創建し、京都総鎮守の杜とされた。社殿は平安京の朝堂院(大内裏の正庁)を模して約8分の5の大きさに縮小し、二層の神門(重要文化財)は応天門、外拝殿(重要文化財)は大極殿を模して建立された。紀元2600年にあたる昭和15年(1940)に孝明天皇を合祀して社殿や回廊などが増築され、現在の姿が整えられた。本殿は同51年に焼失したが、同54年に復興された。創建時に建てられて今に残る社殿(外拝殿[大極殿]・神門[応天門]・蒼龍楼・白虎楼・歩廊・龍尾壇)はいずれも重要文化財に指定されている。神苑は東・中・西・南の四苑からなり、南苑以外は7代目小川治兵衛(植治)の作。神苑を含む神域は国の名勝に指定されている。
→平安神宮神苑(近代の日本庭園)227頁、時代祭294頁、観桜茶会311頁、京都薪能314頁
岡崎公園 (左京区岡崎最勝寺町 他)
東山を背景とした自然と景観に恵まれ、各種の文化施設が集まる。京都市を代表する公園の一つ。琵琶湖疎水が開削された岡崎地区では明治28年(1895)に第4回内国勧業博覧会が開催され、その跡地の整備が進んで、同37年に公園地に指定された。同28年に行われた平安奠都1100年紀念祭に際して創建された平安神宮(→74頁)を北に拝しつつ、以後、各種博覧会の開催や図書館・美術館などの建設とともに文教・勧業面での公園の充実化が図られ、現在へと至っている。
面積は約18万平方メートルを占め、かつて六勝寺(→34頁)があった歴史を地名に留める岡崎最勝寺町、岡崎円勝寺町、岡崎法勝寺町、岡崎成勝寺町、および南禅寺草川町の広範に及ぶ。大鳥居の朱も鮮やかな平安神宮参道の神宮通が中央を貫き、西に京都国立近代美術館(→395頁)、京都府立図書館、京都市勧業館みやこめっせ、ロームシアター京都など、東に京都市京セラ美術館(→397頁)、京都市動物園(→397頁)、琵琶湖疎水記念館(→405頁)などの諸施設が建つ。
(京都検定テキスト)
東山を背景とした自然と景観に恵まれ、各種の文化施設が集まる。京都市を代表する公園の一つ。琵琶湖疎水が開削された岡崎地区では明治28年(1895)に第4回内国勧業博覧会が開催され、その跡地の整備が進んで、同37年に公園地に指定された。同28年に行われた平安奠都1100年紀念祭に際して創建された平安神宮(→74頁)を北に拝しつつ、以後、各種博覧会の開催や図書館・美術館などの建設とともに文教・勧業面での公園の充実化が図られ、現在へと至っている。
面積は約18万平方メートルを占め、かつて六勝寺(→34頁)があった歴史を地名に留める岡崎最勝寺町、岡崎円勝寺町、岡崎法勝寺町、岡崎成勝寺町、および南禅寺草川町の広範に及ぶ。大鳥居の朱も鮮やかな平安神宮参道の神宮通が中央を貫き、西に京都国立近代美術館(→395頁)、京都府立図書館、京都市勧業館みやこめっせ、ロームシアター京都など、東に京都市京セラ美術館(→397頁)、京都市動物園(→397頁)、琵琶湖疎水記念館(→405頁)などの諸施設が建つ。
(京都検定テキスト)
撮影機器:
感想
毎年のように参加している・・・。
わたしにはこの料金で能を見るにはまだハードルが高い(-_-;)
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/133571/
日本一周しているあの若者は今日はどこで泊まるのだろうか
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