記録ID: 8293410
全員に公開
ハイキング
京都・北摂
青葉まつり 2025
2025年06月15日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:59
- 距離
- 1.9km
- 登り
- 17m
- 下り
- 16m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
毎年のように参加している”青葉まつり”
今日は雨
それでもちょこっとお昼から出かける
https://chisan.or.jp/chishakuin/event/schedule/%E9%9D%92%E8%91%89%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A
今日は雨
それでもちょこっとお昼から出かける
https://chisan.or.jp/chishakuin/event/schedule/%E9%9D%92%E8%91%89%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A
智積院
(東山区東大路通七条下ル東瓦町)
※本尊 大日如来
真言宗智山派の総本山。
山号は五百佛山。
慶長6年(1601)、徳川家康が紀州根来寺(和歌山県岩出市)の智積院玄宥僧正に根来寺再興の許可を与え、その正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。
その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(鶴松)を供養するために建てた祥雲寺であった。
同18年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏滅亡後の元和元年(1615)には祥雲寺の建物・障壁画、豊国社の堂舎・梵鐘を受け継いだ。
のちに末寺の学生僧の数学専門学寮として繁栄したが、数度の火災にあい、幕末には学寮が土佐藩屯所になるなどして講学も一時衰えた。
書院前の庭園は国の名勝に指定されており、延宝2年(1674)、祥雲寺時代の庭を修築したもので、中国の蘆山をかたどったと伝えられる。
また、「桜楓図」(国宝)(→234頁)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲寺客殿に描かれていた障壁画。智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
(京都検定テキスト)
(東山区東大路通七条下ル東瓦町)
※本尊 大日如来
真言宗智山派の総本山。
山号は五百佛山。
慶長6年(1601)、徳川家康が紀州根来寺(和歌山県岩出市)の智積院玄宥僧正に根来寺再興の許可を与え、その正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。
その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(鶴松)を供養するために建てた祥雲寺であった。
同18年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏滅亡後の元和元年(1615)には祥雲寺の建物・障壁画、豊国社の堂舎・梵鐘を受け継いだ。
のちに末寺の学生僧の数学専門学寮として繁栄したが、数度の火災にあい、幕末には学寮が土佐藩屯所になるなどして講学も一時衰えた。
書院前の庭園は国の名勝に指定されており、延宝2年(1674)、祥雲寺時代の庭を修築したもので、中国の蘆山をかたどったと伝えられる。
また、「桜楓図」(国宝)(→234頁)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲寺客殿に描かれていた障壁画。智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
(京都検定テキスト)
感想
青葉まつりにちょこっと
梅雨のひととき
雨にアジサイは似合う♫
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:99人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する