空路 太宰府へ 紅葉前の宝満山


- GPS
- 03:47
- 距離
- 6.3km
- 登り
- 800m
- 下り
- 864m
コースタイム
1200竃門神社-1227一の鳥居-1301百段ガンギ-1311中宮跡-1329宝満山[829.6m]
1349宝満山-1355キャンプ場1405-1419中宮跡-1454鳥越峠1457-1506愛嶽神社-1513枡形城跡-1547大石BS
(1607大石BS-1637西鉄二日市1639-1651天神)
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
飛行機
・太宰府駅前から竈門神社まで10分、100円 ■西鉄バス ・大石から西鉄二日市まで25分、400円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険な箇所はありません。 中宮跡から下る行者道は道標が少なく、目立ちにくいので要注意です。 愛嶽神社前から大石への里道(りどう=法定外公共物)でイノシシに遭遇しました。 |
写真
感想
山路を登りながら、こう考えた。明治の画工は30歳で達観していたのだから知命を迎えた自分は俗事を超越したいものだ、と。
単独歩きで話し相手がいないものだから、取り留めのない考えが浮かんでは消える。実は飛行機の中で「草枕」を読んできた。
場所は太宰府。福岡の市民マラソンを走る前の日、せっかくの機会なのでウォーミングアップを兼ねて霊峰・宝満山を歩いた。
俗事から離れたくて来たとも言える。麓の竈門(かまど)神社の境内で30人ほどが記念撮影中だった。真ん中に白無垢の花嫁。
のどかな光景に映ったが、それは板東者の心得違いかもしれない。ここは実に1300年以上も前に政庁が置かれた大都会なのだ。
社を後にして水の音を聞きながら、照葉樹林を進む。静寂の池が木々の間に見え隠れする坂を登り、20分ほどで一の鳥居に着く。
これを正面登山道と呼ぶ。修験の山だが峻険ではなく、憩いの山として整備されている。さまざまな形状の石段が次々に現れる。
この一帯、2〜3合目の紅葉は11月下旬がピークだろうか。モチノキの実は鮮やかに赤いが、周囲の木々はほとんど色づいていない。
「徳弘の井」で喉を潤し、急な坂を登る。鎖場の跡に木製の階段がある。山を下りてくる人たちは膝に手を当てている姿が目立つ。
つづら折りの踵を返す先に視界が開けた。博多湾に浮かぶ能古島の姿に見とれ、風を受けて汗が引く。殺生禁断の碑のすぐ下だ。
このあたりが5合目で、有名な百段ガンギは6合目。端正な石段を登り切って中宮跡に至ると、ようやく紅葉の気配を実感する。
ちょうど日差しがのぞき始め、赤みがかった葉の色が映えるということかもしれない。ここからは平坦な道で、ほどなく山頂に。
博多湾、海の中道、志賀島、能古島、背振山、筑紫平野、古処三山、英彦山……。晴天ならば、さらに先まで見えるのだろう。
竈門神社上社の脇に横たわる岩の上で、セルフタイマーを使って記念撮影。ふと社を見下ろすと修験者の姿も。さすがは霊峰だ。
隣の仏頂山に漂う紅葉の兆しを楽しむ。この絶妙のタイミングで博多の仲間から電話が入るが、宝満山頂の通信状況は芳しくない。
鎖を伝って山頂北東側の岩壁を下り、数分で仏頂山腹のキャンプ場に。ここは携帯電話がよく通じ、おかげで夕食の約束が整った。
復路は女道を進み、中宮跡からは行者道を選んだ。正面登山道に比べると道幅が狭く、傾斜も急で、道標の類もあっさりしている。
午後2時をすぎ、登って来る人とは会わなかった。鳥越峠で3人グループを追い抜いた跡、愛嶽神社の横から枡形城跡に向かった。
正確には東京からの電話に答えているうちに愛嶽山の東斜面に折れたのだが、中世の城跡を見るのも悪くないと思って歩き続けた。
コースには「里道」と書かれていた。ただし、随所で大きなクモの巣や倒木が道の真ん中を占拠していて、往路とは対照的な道だ。
圧巻はイノシシとの遭遇。15mほど先でガサッと音がして、薄茶色の塊が道を横切った。麓の集落近くに罠が仕掛けられていた。
薄茶色の塊は迫力満点。歴史的遭遇の後は丈夫そうな枝を拾って構え続けた。山路を下りながら、どうにも考えられなかった。
* *
福岡は過去に2回勤務した思い出の街。ユニークで聡明で頑強な仲間がたくさんいます。
そうした人々、味覚、自然のすべてが大好きな私は、折に触れてこの街を訪れています。
今回の宝満山歩きを計画するに際しては、ヤマレコを大いに参考にさせていただきました。
示唆に富む貴重な体験談を読ませてくださったみなさまに御礼申し上げます。
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