にわか四国遍路(6)―今治市郷桜井〜西条市小松町大頭


- GPS
- --:--
- 距離
- 23.5km
- 登り
- 320m
- 下り
- 308m
過去天気図(気象庁) | 2009年03月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
2009年(平成二十一年)3月29日、再び遍路に出かけた。
松山から予讃線で桜井駅へ。今回の遍路道は桜井駅からのスタートである。
桜井から国道196号を南へ歩く。やがて西条市に入る。といっても、ここはついこの前まで東予市であった。市町村合併で新たに西条市となったのだ。旧・東予市一帯はかつて周桑郡と呼ばれ、周布郡と桑村郡を合わせた名前だという。
世田山は今治(中予)と周桑(東予)の境目にある要衝である。南北朝時代、新田義貞の甥にあたる大館氏明が伊予守として世田山城主となった。1342年(興国三年)、讃岐方面から迫る細川頼春軍と果敢に戦い、最期は十七名の臣下とともに自刃したと伝わる。壮烈な戦が繰り広げられた場所である。
その麓にあるのが通称・世田薬師こと栴檀寺だ。ここには胡瓜に厄を封じ込める「きうり封じ」という珍しい祈祷があるという。せっかくなので世田山に登ってみることにした。標高339メートル。8合目に栴檀寺の奥の院がある。登ること22分、ガイドの40分よりもだいぶ早く奥の院に着いた。そこには大館氏明の墓所が静かに佇んでいた。春の日差しに包まれる木立の中、しばし手を合わせる。
時間の都合で山頂までは行かず下山。瀬戸内へと滑り落ちるような下り坂は爽快だった。道前平野が眼下に広がり、まさに絶景である。
山を下り、南へ歩を進める。国指定史跡の永納山城をかすめ、三芳方面へ向かうと道安寺が見えてきた。ご本尊は聖徳太子作と伝わり、細川軍の世田山攻めの際に堂も焼失したという。さらに進むと「臼井御来迎」と呼ばれる臼井大師堂があり、弘法大師が臼に加持祈祷して五色の光を放ったと伝わるが、水は飲めそうになく残念であった。三芳には日切大師堂もあり、いずれも弘法大師ゆかりの地とされる。
三芳は江戸時代、大洲藩の飛び地であったため、代官が「出張」してきたことから出張橋の名が残る。辺りには一面の麦畑が広がっていた。東国ではあまり見られない光景だ。途中、車に乗ったおじいさんに「横峰さんに行くんなら乗せたるよ」と声をかけられたが、「いや、大丈夫です。歩き遍路ですから」と答えると「若いもんは精神を鍛えて歩かんとな」と笑われた。
やがて旧・丹原町に入る。そういえば、ここは「にわか四国遍路(1)」で出会ったSさんの故郷だ。丹原は田園の広がる古きよき町並みが残る。犬に吠えられつつ歩いていると、もう午後三時。横峰寺は次回に回すことにした。今から山に登っても戻れないだろう。
石鎚山が近づき、松山からの国道11号線(桜三里街道)に出る。次回はここがスタート地点となる。ちょうどコンビニを見つけたので軽食を取り、帰路へ。国道11号線を小松駅まで歩く途中、ラーメンショップに寄り道してねぎラーメンを食べた。温かいラーメンは心に染みる。
次回はいよいよ伊予路最大の難所、横峰寺へ。
●本日の歩行距離・・・22キロ
●総歩行距離・・・102キロ(四国遍路全行程の約7%)
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