GW山行その5 雨後の飯盛山で白虎隊に思いを馳せる。(歴史レコ)
- GPS
- --:--
- 距離
- 1.6km
- 登り
- 144m
- 下り
- 140m
コースタイム
- 山行
- 1:15
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:15
天候 | 曇り 会津地域は昼過ぎまで雨が残る。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
前の日の記録である。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-863648.html
(GW山行その4 金山城でなぜか花探し・・・(予定の登山口に渋滞でたどり着けず・・・))
予報通り、夜半過ぎから雨が降り出した。結構な雨量と風、自宅方面では波浪警報も出ているらしい。5月4日は午前中は雨、そして会津地方は雨が遅くまで残るらしい。この日は移動日、栃木県喜連川から会津若松まで移動し、最終日の磐梯山登山の準備ができたらよいと思っていた。
そう、連休後半のターゲットは、会津磐梯山登山なのである。
雨の中車を走らせる、ラジオを聴きながら。徐々に雨は少なくなり、路面も乾いてくる。会津若松にたどり着いたころには、もう雨は降っていない・・・さてどうしたものか・・・。
会津若松は鶴ヶ城を中心とした歴史の見どころの多い街だ。しかし、日本百名城をやっているときに鶴ヶ城も飯盛山もすでに行っている。検索すると登る対象になっている山はいろいろあるが、一つ山を登るといっても午前中の雨の後、靴がべちゃべちゃになるに決まっている。(あとで聞いた話によると、午後からの磐梯山を登った人が結構いたらしいが・・・)
飯盛山は9年ぶりである。あそこであればスニーカーで行けるしその後かなり昔に行った野口英世記念館を訪れてもよいと思った。そして、猪苗代湖側から磐梯山を眺めようと思ったのだ。
ここ10年ほど、表磐梯は夜間のうちに通過して観光は裏磐梯になることが多く、磐梯山も双耳峰に見える裏磐梯からしか眺めたことがなかった。深田久弥は「磐梯山の雄大さを味わうのであるならば猪苗代側から眺めなければならない」とまで書いてある。それを久しぶりに眺めに行こうと思ったのだ。
で、飯盛山だ。白虎隊自刃の地、19人が自刃し1人が蘇生したそうだ。しかし、この20名のみが白虎隊ではない、あくまでもこの隊は白虎隊2番隊の一部である、それ以外の白虎隊も各地で戦闘を行っており戦死した人も多い、ただ現在白虎隊と言えばこの悲劇が語られることが多い。
しかし、現地ではこの20名以外の白虎隊の様子、玄武隊、朱雀隊、青龍隊、婦人隊、会津に力を貸した大名たちなどさまざまな慰霊碑や博物館での展示がある。新選組、大鳥圭介、榎本武揚など新政府軍に対抗した人々、新政府軍の人々、白虎隊のことを日本人の記憶として残そうとした人々、徳富蘇峰、中川翔子??(父が白虎隊の映画に出演している)などもろもろの展示があった。
自刃した19名の裏側にも人の苦労、涙、汗がにじんでいる。鶴ヶ城は白虎隊の自刃に1か月遅れて白旗を揚げた。彼らは無駄死にだったのか、いったい白虎隊って何だったんだろうか、そして現在観光名所にもなっている藩校日新館の教育とは・・・。さまざまなことに頭を巡らせながら歩いた。
その後予定通り野口英世記念館に行く、私が勤めで3年目に来たので実に18年ぶりだ。その時は、古臭い民家(生家)と小さい建物という記憶しかなかったがそれ以降2回リニューアルされている。そして、そこは一大観光名所になっていた。世界のガラス館、お菓子館、ラーメン館、土俗記念館などの観光施設と清作茶屋などの飲食店、大駐車場完備である。
私は、野口英世記念館をじっくり見たいのでそちらのみ向かう。昼食にラーメンをと思い「ラーメン館」に行くがダメだこりゃ・・・(写真参照)。
野口英世と言えば黄熱病とイメージがあるが、アフリカの黄熱病ウィルスはとうとう野口英世には発見できなかった。野口英世が細菌学の対価として認められノーベル賞最終候補に入った研究はいずれも「梅毒スピロヘータ」の研究である。その他、蛇毒の研究、ペルー疣とオロヤ熱が同じウイルスによって起こることを発見したことなど評価されているが、意外と現在では否定されている研究も多い。でも、一つでも評価されれば科学者としては十分である、野口氏の研究で評価されているものは一つだけではない。
施設として、大人も十分に楽しめる展示だった。野口英世に関したのみではなく、細菌やウィルスの基本的な知識、細菌学の著名な研究の歴史についても網羅してあった。
その後、磐梯山を眺め、車中泊予定の道の駅「ばんだい」に向かう。ここでは「BANDAI」のコーナーがあった。磐梯山と関係があるのかな?と思ったが、家に帰って調べてみるとどうも関係はなさそうだ。ただただ名前の一致であったようだ。
道の駅で酒盛りをしている人たちに出会う、リュックと靴が登山用だったので話を聞くと、雨が止んだ午後から磐梯山に登ったそうである「最高だった!!」とのこと、そりゃあ酒が進むだろうなあ・・・。
私は早めに就寝(21時ごろ)、テーブル一杯に並べられていた酒やつまみは、朝にはちゃんとすべて片付けられていた・・・。
で、次の日はこうなりました。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-863660.html
(GW山行その6 人の心優しい磐梯山 思わず泣きそうになった。)
コメント
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aideieiさん こんにちわ
次は、幕末の悲劇の城 飯盛山と鶴ヶ城よ野口英夫記念館ですね、磐梯山見ながら
会津若松って観光化しすぎてる印象であんんまり好きではありませんが??喧騒を少し抑えてほしいです、萩を見習ってほしい気がします。。
でも、、GW西は、三重県美杉村から福島県会津若松まで、お疲れ様でした。
でわ、、また、、むっ
muttyannさん、コメントありがとうございます。
午前中が雨、次の日の登山予定が磐梯山だったら、当然会津若松方面かなと思っていました。しかし、新しく見たところはなくすべて再訪です。私が会津若松で一番好きなのは「藩校日新館」で「什の掟」や「ならぬことはならぬことです」などの言葉、本当今の子どもたちに説いてやりたいと思ってしまいます。
本当、今回運転しましたね。2000kmを越えました。そして、ほとんどを車中泊ですので・・・。でも、車で十分寝れる体質を自分でも誇りに思っています・・・最高20連泊したことありますから・・・(大学生の時の旅行で・・・)
多少ピントがずれて申し訳ありません。aideieiでした。
aiさん、こん○×は(^o^)/
2日目はどちらかというと英気を養ったみたいですね
歴史に触れたこともそうでしょうが、最後に見えた磐梯山、早く登りたかったんじゃありませんか
歴史好きのaiさんのことだから、のんびり見ながら充実した時間を過ごされた感じが感じられます
mamepapa
mamepapaさん、コメントありがとうございます。
午前中が雨だったので、色々選択に迷い飯盛山再訪を選びました。なにも登らないという選択よりはよかったかなと思います。
歴史レコ、私は歴史が好きなので面白いと思いますが、それを面白いと思ってくれる人は少ないなあと思っています。まあ、ヤマレコに載せるべき内容じゃないし・・・と言われれば「どうもすいません」となってしまいますが・・・。
午前中雨、ぬかるむ可能性を、でもレコにしたいと思えばこういうこともレコにするしかないのかなと思ってしまいます。
まあ、一つの記録ですから。
足も快調になり、次の日の磐梯山登山に向けて準備ができた1日ではあったようです。(温泉がなく、入れなかったのが残念ですが・・・。)
aideieiでした。
aiさん こんばんは
雨でもすぐプラン変更はさすがです。
会津若松は30年前に行きました。翌日、喜多方食べて帰ってきました。
20の は、ヤマブキのように見えますがどうでしょう?
また 25はコンロンソウかと思います。
hamburg
HBさん、コメントありがとうございます。花の指摘もありがとうございます。いつもわかっていても抜け落ちてしまうことってありますよね。
まあ、こうやって少しずつ覚えていくのかなと思います。
日本人はたいていふるさとの山を持っている、この山は古墳であったこともあり会津若松の人たちから眺められた山なのでしょう。今は白虎隊の方が有名になってしまいましたが。
たくさんの人たちが訪れ、ぜひ少年たちの悲劇を知ってほしいと思いました。
aideieiでした。
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