百丈岩から鏑射寺
- GPS
- --:--
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 301m
- 下り
- 299m
コースタイム
- 山行
- 2:40
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 3:30
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
JR宝塚線 道場駅 <帰り> JR宝塚線 道場駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
鎖場は下山時の方が注意が必要です。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
笛
ヘッドランプ
筆記用具
ファーストエイドキット
日焼け止め
携帯
時計
タオル
ストック
|
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感想
今日はJR道場駅から百丈岩へ行きました。
道場駅から標識に従い30分程度歩くと、百丈岩が見えてきます。ふもとには訓練用やぐらが有ります。
当日も訓練をされていました。
登山口からすぐの分岐に標識が有ります。クライマーが進む上級者用のコースと一般向けのコースの説明が有ります。
一般向けコースも鎖場があり、結構な急登ルートです。20分程度で百丈岩に到着です。頂上部は狭く60m近くの高さが有ります。
さらに進むと「静が池」が有るのは分かっていたのですが、この時期は蛇も多いので景色を堪能したのち来た道を引き返しました。
まだ十分に時間が有ったので、前から気になっていた鏑射寺に向かいました。
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鏑射寺HPによると
当山は、神体山として数千年の歴史を有し、神秀倉(かみほぐら)・甘楽山(かぐらやま)・五智の峰などと呼ばれて人々に尊崇されておりました。
聖徳太子は、ご生母の里にある此の山が大層お気に召し、伽藍を建て仏教弘通(ぐつう)の道場として鏑矢(かぶらや)を奉納、鏑射寺と命名されました。
その後、弘法大師は境内に独鈷水の井戸を掘られ、百丈岩には穿仏(せんぶつ)岩にご足跡を残しておられます。 また、北条時頼や太閤秀吉三度の参詣の事跡等々がありますが、
南北朝時代と江戸時代に戦火と山火事にあい、文久二年(1862年)の勇阿上人による再建を待ちました。
明治6年、三田九鬼藩の天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を襲い、当寺も火を放たれ焼け残った太子堂及び本尊什器は寺廻りに移されて、その後廃寺となりました。
時を経ること約百年、昭和30年秋に久邇宮朝融(くにのみやあさあきら)王殿下が、道なき所を攀(よ)じ登り、生い茂る草をかき分けてご参拝になり、鏑射寺の再建と
国家国民の安寧をお祈りになられました。
昭和34年9月、現山主中村公隆師が入山、祈願に入りました。 同41年に護摩堂(不動明王)が、48年には三重塔(虚空蔵菩薩)、
続いて53年函館の地に別院(不動明王等)が建立されました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−上記のように縁起には、百丈岩や駅名道場の由来も記載されています。道場・百丈岩・鏑射寺は聖徳太子の時代からの歴史の深い地域だったようです。
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