毛呂・越上山・越辺川源流
- GPS
- 03:03
- 距離
- 13.4km
- 登り
- 571m
- 下り
- 501m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2011年01月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
http://www.knet.ne.jp/~ats/i/mb/a/ogo/top.htm |
コース状況/ 危険箇所等 |
今年の初山行として、初詣ついでに実家近くの奥武蔵の山を歩いた。東武越生線東毛呂駅から毛呂本郷へ歩を進めるとのどかな田園風景の広がる山村となる。オートキャンプ場を過ぎてしばらく人家のない谷を進むと、やがて滝ノ入集落が現われ、営業していそうにない民宿が数件ある。その先で、車道が大きく右にカーブを切り沢を離れるところで沢沿いの登山道に入った。 道は明瞭で、登りきると尾根に出て、右へ行くとすぐ大高取山からの主稜線に出る。これを南に行くと、一本杉峠を経てやがて越上山からユガテ方面に向かうハイキングコースに出る。一旦車道に出て登り返すとやがて越上山の分岐で、ここから越上山を往復。筑波山のほか、東京の高層ビル群、そして今年はスカイツリーが良く見えた。縦走路に戻って西に向かうと、諏訪神社前の平地に出て、公衆トイレの脇が越辺川源流への下降路になっている。 昨年も元旦に暗くなりかけたなかこの下降路を歩いて難儀したが、今年は少し時間が早い。窪地を降りて行くとやがて水が現れ、左から越辺川本流を合わせたあたりから滝が現れる。最初の分岐には「滝へ降りる」という指導標があるが、昨年はこれを右に行くのは滝に降りる道で、左の道が下山路だと誤解して左に行ったが、これは間違いで、右の滝の方に降りて行くのが正しい。しかし降りた先の踏み跡は不明瞭で分かりにくい。その先も何度か「川を渡る」といった指導標が出てくる。滝は2―4mくらいのものが10はあり、小さいながらも割合に険しい沢である。昨年は左岸高みの斜面で苦労した後強引に沢に降りたが、明るい中で降りてもちょっとてこずる沢であった。越辺川源流の道は、整備された登山道というよりは、「巻道を使ったちょっとした沢登り、沢下り」と思ったほうが良い。後からわかったことだが、この越辺川源流部は、「越上沢」と呼ばれ、沢登り初心者を連れて行くのによいコースとして知られていたのだそうだ。以下のホームページの「越上山」の項を参照のこと。 http://jac.ec-site.jp/SaiAnnai/50san.html やがて道は広くなって車道に出る。10分ほど歩くと黒山三滝のバス停だが、バスまで時間があったので途中大満のバス停まで歩いてそこからバスに乗った。 |
写真
感想
昨年に引き続き、今年も元旦には実家から近場の越上山(おがみやま)に登りました。「おがみ」とは水源信仰に関連する地名だと昨年の記録に書きましたが、「越」を「お」と発音する地名がなぜこの近辺に集中しているのか(越生[おごせ]、越辺川[おっぺがわ])謎です。(*)「越」を「お」と読む地名は、高知県の越知町(おちまち)、福井県の越知山などがあるようですが。水の管理に関連する技術をもった氏族(渡来人?)でもこのあたりに住み着いたのか、などと想像してしまいます。越生町のホームページには越生という地名の由来についての一説が紹介されていますが、今一つ説得力に欠ける気がします。
http://www.town.ogose.saitama.jp/div_soumu/sec_jichi/mati_syoukai.html
奥武蔵の山には、高山不動、子の権現、名栗の竹寺、笠山近くの慈光寺などの古刹がありますが、『埼玉県の歴史散歩』という本によれば、このあたりはかつて修験道が栄えた場所なのだそうです。そんなことを考えながら歩けば小さな山でもなかなか楽しいもの。越上山あたりにもおそらくは、平安の昔から私たち山好きの大先輩たちが足跡をしるしていたことでしょう。
*その後、越辺川の名前の由来について、以下のような記述を見つけました。
『川名は押辺とも記される。 語源には大きく分けてアイヌ語説と朝鮮語説がある。 アイヌ語説には豊かな川、恋人を待つ、川尻に沼がある川の三説があり、青森県や北海道に多い「川尻に・沼がある・川」の意であるアイヌ語の地名「乙部」が「オッペ」の語韻に近いとされ、実際に越辺川下流部の現坂戸市東部には小沼、横沼など低湿な沼沢地を意味する地名が現存していることから、信憑性が高いといわれる。 朝鮮語説には、古代朝鮮語で布を意味する「オッペ」から、山の上から白く光る川を眺めて、布のような川と名付けた説と、現代朝鮮語では、「オッペ」は柚子を意味し、越生が柚子の産地なので、名付けられたとする説がある。 その他水源地の越上山(おがみやま)の近くにある小字越辺によるとする説、「越生辺川」がつまったとする説などがある。 越辺川は毛呂山町より下流では入間川との合流点まで、江戸時代には比企郡と入間郡の境界をなしており、現在でも方言や生活習慣の違いもみられることから、異なる文化圏の境界線でもあった。』 (『日本歴史地名体系11 埼玉県の地名』平凡社刊より)
この記述は以下のサイトからお借りしました
http://riversidecafe.mizubasyou.com/oppegawa.html
水源信仰にかかわる「オガミ」山とアイヌ語起源の「オッペ川」が相互に無関係な地名として成立し、「オガミ」山が「オッペ」川の源流にあったことから「越上山」、「越辺川」と同じ漢字があてられたのでしょうか。
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