「北鎌」版も有ったら登頂記念撮影時に嬉しいかな、なんて思いまして・・
余韻・想い出に浸りながらいそいそと工作中ですww、なんか楽しい。
北鎌踏破後の穂先で誰も反応してくれなくてwwちょっと寂しかった、というのも動機の一部かな。
素材は帰路に寄った道の駅(アルプス安曇野ほりかねの里)で購入した、木工所の端材? なんか変わったカタチだったので鍋敷かオブジェにでも、となんとなく買ってみたものなのです。信州産の木材かな、それだといいな。
完成したら置きに行こう。
置く場所は、、北鎌稜線だとバリエーションルート上に人工物残すのは不適当でしょうから穂先のどこかかな(頂上か、その直下?チムニーの上とか?)。
でも北鎌通らずに置きに行くのはどうかと思うし、かといって先日と同じ長~いアプローチは暫くはちょっと勘弁なので、穂先から北鎌へ降りてプチピストンとかかな。
P15の「諸君頑張れ」のプレートまで行って安全祈願して穂先に戻るとかイイかもしれない。
<追記>
おかげさまでプレート設置は思い留める判断に至りました、コメント・アドバイス頂いた方々、ありがとうございました。詳しくは次の日記のコメントやりとりにて。
hatuさん、お久しぶりです。
ワタクシも登頂の際は誰も反応しませんでした。というよりはむしろ、「写真撮りたいから早くどいてくれ」的な・・・・ 。自分なりに頑張ったなぁと思いましたが、皆さんそれぞれが頑張って穂先まで登っているので、ルートなど関係なく、登頂した喜びは皆同じなんですね
上高地に戻るまで、休憩の度に色んな方と話しましたが、ほとんどの人が北鎌尾根の存在すら知りませんでした。昭文社の5万図には載ってないですから
数々のプレートを見ることもそうですが、行った人だけが分かる実体験が何よりも自分のお土産ですね。あの北鎌沢の登りの辛さは、体験した皆さんと共有できるはずデス!!
湯俣からや冬季に入っている人たちからは笑われそうですが、自分ではかなり満足してマス!
手製のプレートは、剱や別山、ジャンダルム、間ノ岳にもありますよね。
槍の山頂に「北鎌尾根」のプレートがあったら嬉しいですね!!達成感が倍増するかもデス!!!
コメントありがとうございます。
ちょうど北鎌で出会った頃合いの、独標トラバースでのこれから始まるドキドキワクワク感、独標ピークに至って大槍を見上げて感動した景色の中でのP11ピークに居る皆さんの姿、あの情景は岩と青空に囲まれて感じた空気感と共に色濃く記憶に刻まれてます。またあの場所・あの雰囲気の世界にいつか戻りたいな、と。
先週は東京出張の折に東京からのソロ行の方と逢って飲んできました。実質2度目なのに古くからの山の友のようで北鎌話も弾んで嬉しかったです。
北鎌での経験から?昨日ボルダリングジム(長岡の方)にも初めて行ってみました。今m回の山行を通して色々なことを感じ学ばせてもらったと思います。
はじめまして!
済みません、このコメントを差し上げるのは非常に心苦しく悩みましたが、思い切って書かせていただきます。
自分の所有権の無い山に個人の方が目印や山名標、プレートなどを設置するのはご法度、厳に控えて頂きたいです。
極力人工物を残さないようにご配慮いただければと思います。
多くの人が訪れる場所であれば尚更、せめて何も残さず立ち去るように皆で心がけたいものです。
僭越で誠に申し訳ございません。
どうかお許しください。
ちなみに私自身も以前GWに湯俣から北鎌には行ったことがあります。
どんな山でもルートでも、いつまでもありのままであってほしいし、ましてや人間の残したものを見るのは残念です。
また、苦労して登頂した目的地に他人の設置した標示物を見るのは決して楽しいものではありません。
成功の喜びは個々の心の中でいつまでも大切に生きると思います。
記念のプレートは心に刻むということでいかがでしょうか。
コメント・アドバイスありがとうございます。
以前にGWに北鎌を湯俣から登られたとのこと、凄いですね、敬服します。
プレートの件、真摯に拝読させて頂き、色々調べ、考えさせて頂いてます。
改めてその機会を与えて頂いてありがとうございます。
「○○会参上」のような、景観を壊すと共に自己顕示で他人の気分を損なう見苦しいモノ (”ど〇足会”の山頂プレート問題、なるものも今回調べて知りました)や、生木や公的プレートに打ち付け自然や標識機能を損なうようなモノ、誤ったあるいは紛らわしいサインで安全上不適当なモノ、等々、ルール・マナーとして不相応な行為は慎むべきものと思います。
法的な解釈は良く解らないのですが、槍ヶ岳は個人地権者ではなく国(林野庁)が所有者で管理者は環境庁(所管は長野自然環境事務所)のようで、この類の行為は許認可の法規制というよりは、国立公園というパブリックな場でのルール・マナー上の判断かと思慮します。
私自身の考えですが、正直な気持としまして槍山頂やジャンダルムの個人設置プレートは不適当・けしからんとは思えず逆にウェルカムな印象です。昨年西穂~奥穂をやった際にもジャンの天使に逢えたことが嬉しく、また数時間前に置かれたという新たなプレートにも設置された方に感謝の念を抱き記念撮影したものでした。間ノ岳では消えかかったペンキ山名が余りに寂しく可哀そうな気がして「ここにもプレートが有ればいいのに」と思ったところ翌週に設置されたという方のレコを拝見し思わず拍手すると共に次の機会には新たな間ノ岳プレートと逢うことも楽しみのひとつになっています。槍は3回登ってますが毎回かかさずプレート掲げて写るのがお約束の行動ですし、他の方々が嬉しそうに掲げる姿にも微笑ましい感情で見守り、思わず「撮りましょうか」と声掛けるタイプです。
ですので、記念撮影がお約束のような穂先のような場において、相応しい(見苦しくない・気分を害しない)モノであればTPO含め許容範囲ではないかと考えており、穂先の祠の背後の岩陰にでもひっそり裏返しで目立たぬように置かせて頂く程度であればOKではないかと思っております。甘いかもしれませんが。置く際には風で飛び落ちたりしないような安全配慮は必要とは認識しています。
未だ逡巡する気持も有り、果たして置き残すか持ち帰るかどうか解りませんが、完成したら穂先⇔北鎌に連れて行くことはしようとは思ってます。経緯・事情を話して受け入れて頂けるようなら小屋に置いてもらうといった相談もしてみようかな、そんな考えも浮かんではいます。
なお、置き残した場合にはきちんと自分の行為の責任(批判含め)は受け止めるつもりであり、今回のやりとり経緯を踏まえての行動であることも説明の上でレコで改めてご意見頂いて、撤去すべき状況であれば改めて回収に行く/または善意の回収・廃棄行為に委ねるつもりではおります。もとより勝手に設置(不法投棄)するような振る舞いということで勝手に処分されても文句を言える筋合いでは無いでしょうから、置いた時点で所有権は放棄したものと解釈頂くのが適当です。
アドバイスに従って大人しく引き下がるのが波風が立たない大人の対応だろうとも正直思った次第ですが、嬉々としてジャンのプレートと写ったり他のお方のプレート設置レコに拍手した手前もあり、またヤマレコの場でこうした行為(途中)を晒した行き掛りもあるので、このまま土俵を降りるよりも向き合った方が良いのかなと思い、考えを記させて頂きました。
hatuさま
この度は、若輩者の僭越で失礼な発言に対し、寛容で真摯なご対応を頂きまして深く感謝致します。
また、個人が私的に山に人工物を設置することの是非についてお考えいただいたとのこと、頭が下がります。
もともとヴァリエーションルートを行くということは、人間が管理した一般道とは異なり、大いなるありのままの自然の中に足を踏み入れることだと考えます。
そこに行こうとする者は、動物としての自分の本能に深く耳を傾け、ひるまず自身の力を生かすこと、無事に自らの巣に帰ること、遊びを知った人間として楽しむことが求められるのだと思います。
北鎌など大人気のルートでは、技術/意識等のレベルが様々な人間が大勢入り込みますので、残念ながら俗化していく運命にあるのかもしれません。
事故も増えるし救助の手を煩わす機会も増えてしまい、そのため危険個所には関係者により鎖や目印が設置され、ルートの難易度が下がり、それにより更に入山者が増え一般道化していく。
こうなると最早ヴァリエーションルートとは言えず、ルートの価値や性格は当初とはずいぶんと変わってきてしまいます。
嫌なら行かなければ良いだけですが、自分が過去に苦労した思い出の地が俗化して変貌してしまう姿を見るのは悲しいことです。
何年か前にも、北鎌にスプレー缶でマーキングされたことがあり問題となりました。
確か山小屋の方が苦労して消して下さったと記憶しています。
プレートを喜ぶ方々も多くいらっしゃるのかとは思いますが、不快に思う人間はそれ以上に多いのではないかと思います。
更に言えば、山というのは人間だけのフィールドではありません。
特に自然度の高い(高くあって欲しい)ルートでは人の手を入れることは厳に慎まなければなりません。
誰の所有権とか許可とかの云々以前に、人間のエゴを持ち込む場では無いという意味です。
それでもやっぱりプレートを設置されるということであれば、残念としか言葉がありません。
ご拝読ありがとうございました。
早々の返信、ありがとうございます。
こと「バリエーションルート」としての北鎌尾根らしさを損なう、興醒めにするような人工物やプレートの設置は厳に慎むべきものと考えております。ですので、日記に記したような「・・チムニーのあたり?」という設置場所は不適当ですね、訂正します。
北鎌の最後のクライマックスの瞬間に興醒めなブツが目に飛び込んでくるようなことはしません。登頂後に、「さてと記念写真でも」という段になって幾つかの槍ヶ岳プレートを物色する際の選択肢の一つとして加えさせて頂くような、祠の脇の石ころに紛れてひっそりと置かせて頂くのであれば受け入れて頂けるのでは、と思っております。皆が撮影時に掲げる槍ヶ岳プレート(:この存在をけしからんと否定する派は少ないであろうという希望的推測を抱いてます)の存在(既成事実?)に便乗するかのような甘えた考えかもしれませんが、これが正直な気持ちです。
北鎌のルートらしさを損なわず、俗化されずにずっとそのままで有って欲しいという気持はショートカットルートと言えど同じ経験者として同様の想いを抱いています。大天荘Hの小池さん(北鎌の前週の山行時に宿泊しお話も伺いました)が雑誌他で語られている「バリエーションの入門編としての”らしさ”を維持することへのこだわり」は有難いことですし安全上止む無くの措置も最小限に抑えている(右股の×印;いわゆる”ホイホイ”2ヶ所や独標トラバースの緑ロープのことと認識してます)も頷けます。「ここが北鎌平」の心無い赤スプレーを苦労して消された話も伺ってます。
但し、今回の北鎌行でお助けロープや残置スリング、懸垂支点は幾つか目に留まり有難く?使わせて頂いたものもあります。慰霊碑の類も人工物ではありますが先人の苦難の歴史も含めての北鎌らしさ・重みでしょうから、これらを否定するような気持は抱きませんでした。
一方で、ネット社会ならではの多くの北鎌情報を得た上で実践した次第でしたが、これは果してバリエーション精神を損なったのかもしれないかも?、という自己嫌悪・後ろめたいような気持が若干あることも確かです。同日に北鎌で会った方々が口々に「白ザレ峰の直登か(もしもの際は降りれるか)、巻道かで逡巡した」と言っていたのに対して自分は豊富な情報収集から「戻りは不要、直登」と巻道には目もくれずに進めたのは果たしていかがなものだったのだろうか、と。事前情報量としてはもはや一般ルート並みで臨み、リスクを回避すると共に現場でのルートファインディングの醍醐味も半ば放棄してしまったのかもしれません。
それなのに、ヤマレコでもご丁寧に今後トライする方々への参考情報(余計なお世話?)としてこと細かに解説を付けたりしています。口とは裏腹に懸念する「俗化」への片棒をかついでいるのかもしれません。
北鎌のショートカットコースが半ば俗化?傾向であるのなら、なおさら湯俣からの遡上(廃道となり以前にも増して難易度が増していると聞きます)や積雪・残雪期のトライこそが本当の意味での「北鎌」なのだろうな、と敬服します。
話がプレートから逸れたかもしれません。あくまで北鎌尾根を終えた後の穂先(記念撮影場)に追加で置かせて頂ければ、という心持ちです。この行為自体が山・自然を、北鎌を穢すけしからん振る舞いということであればそのご意見も受け止めた上で、自己責任・自己判断で置くか、持ち帰るか、対処させて頂こうと思います。
<追記>
おかげさまでプレートの設置は思い留める判断に至りました、ありがとうございました。
詳しくは次の日記でのコメントやりとりにて。
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