これまでの経緯はこちら↓
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-558106.html
結論から言うと、おそらく建立年は宝暦八年で間違いない(写真2)。
「宝」の字については風化が激しく読み取るのが非常に困難な状況であるが、この字はおそらく旧字体の「寶」ではないかと推測される。
「寶」の下部分、「貝」の一部が写真からもうかがえる。
漢数字「八」の下の字はあきらかに「寅」で、宝暦八年は寅年。
2文字が「暦」の年号には明暦があるが、明暦は四年までしかない。
遡れば南北朝時代の康暦があるがこれは三年まで。鎌倉時代の嘉暦も四年。文暦二年、建暦三年、とどれも短く、八年があるのは宝暦だけ。
唯一奈良時代の延暦には八年があるが、さすがに古すぎるし、巳年であって寅年ではない。
「八」が「六」の可能性についても考えたが「○暦六年寅年」に該当する年が無いのであり得ない。
よって建立年は宝暦八年以外には考えられない。
なお、「寶暦八寅」の下には「九月十九日」とある(写真3)。
現代の暦に直すと西暦1758年10月21日。実に256年前に作られた狼像ということになる。
何と言うキリの良い数字だろう(注:IT業界では256は非常にキリが良い)。
知りえる限り最古の狼像は長野県下伊那郡阿智村にあるもので、寛延二年(1749年)六月に建立されたもの。
今回の再調査によって湯久保の狼像はこれに次いで日本で二番目に古い狼像だということを確信した。
もっとも、狼像の建立年なんぞに興味を持って追っかける人間は多くはないので、まだまだどこかの山奥にもっと古い狼さんがひっそりとたたずんでいる可能性は十分にある。
とは言え。
この遠い昔に名も知れぬ石工が命を吹き込んだ小さな狼像が、末永くこの地に座し続けてくれることを願わずにはおれない。
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