石ノカラホト、玉取池探し 二回目(滝子山の北西付近)
- GPS
- 10:01
- 距離
- 16.0km
- 登り
- 1,232m
- 下り
- 1,215m
コースタイム
注:桜公園はJR笹子駅より徒歩約30分。
曲り沢峠は古地図で平ツ沢峠。東長窪は古地図で向ウ沢。
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所: 歩いたコースでは特に危険箇所はありませんが、足場の悪いところもあります。 今回歩いた全ての沢の悪場はありません。数えきれない程の渡渉をしなければなりませんが、注意して渡れば靴を濡らす様なところはありません。 沢沿いには湿地帯が多数ありますが、今回は気温が低く凍結状態なので歩くのは楽でした。アイゼンは不要でした。 なお前回4月下旬はスブスブ潜る様な感じでしたので凍結しない季節の場合は歩き難いでしょう。 深い笹藪の中では、折れた笹の枝で目を刺す危険があるのでメガネやサングラスで目の保護をした方が良いです。 不明瞭箇所: 石ノカラホト、玉取池付近: Vルート内は道がありませんので全て不明瞭です。この付近は地形が複雑で枝沢が多数あるので事前に1/25000の地図などで確認しておく必要があります。 また沢を外れると笹藪が深く背丈以上のところが多いです。沢の中では全体的に見通しも利かないので、遠くの山や稜線の位置を確認して進む必要があります。 防火帯: 防火帯に沿って登れば迷うようなところはありませんがかなり急です。最初のピークからは正面の鞍部に一度下りて再び登ります。すると時期に大谷ヶ丸からコンドウ丸間の稜線に着きます。 コタカンス沢沿いの旧道: 曲り沢峠(平ッ沢峠)から先に道標は一つもありません。薄い踏み跡と色あせた赤テープが30〜50m間隔に林道まであります。しかし枝沢の源頭(ここは曲り沢ではなくコタカンス沢です)までの踏み跡は落ち葉に隠れて極めて分かり難いですので慎重に進む必要があります。曲り沢に合流するのは峠から約55分下った林道のところです。 水場情報: ”石ノカラホト”と”玉取池”や曲り沢峠から下った付近の沢は、多数のヌタ場があり各それぞれの沢の源頭もそれ自体がヌタ場と化しているところがあります。したがってここの沢の水は飲む気持ちになれません。 しかしや曲り沢峠から約15分下って水が現れてからさらに数分下ると、沢の右岸の上30m付近の斜面からかなりの水量の水が湧き出しているのでこれは飲めそうです。 2013年4月29日 石ノカラホト、玉取池探し 一回目の記録 http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-290675.html |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ 2
予備電池 13 単三4個・単四8個・四角い電池1個
1/25,000地形図 2
ガイド地図 2
コンパス 2
笛 2
筆記具 2
保険証 2
飲料 4
ティッシュ 3
三角巾 1
バンドエイド 15 さまざまな形の絆創膏15枚
タオル 2
携帯電話 3
雨具 2
防寒着 4
ストック 3
水筒 2
時計 2
非常食 2 二日分(二人)
四本爪軽アイゼン 2
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共同装備 |
ツェルト 1
緊急シェルター(アルミ製) 2
医薬品 1 小型救急箱
カメラ 2
車 1
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感想
”石ノカラホト”と”玉取池”:
(この部分の説明は2013年4月29日に行った「石ノカラホトと玉取り池探し 一回目」の記録と一部重複します)
滝子山の北西にあるとされる”石ノカラホト”と”玉取池”の情報はYamaotoko7さんがヤマレコ地図に登録した中に書かれております。これは昭和34年に発行された『岩科小一郎著・大菩薩連嶺』に載っている昭和5年の古地図に書かれております。
http://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=13567
今回、この2回目の探索に出かけました。
”石ノカラホト”と”玉取池”の場所の情報:
”石ノカラホト”と”玉取池”の説明は、『岩科小一郎著・大菩薩連嶺』に3行程があるのみです。
したがって”石ノカラホト”と”玉取池“の地図上の位置の特定は以下の様にしました。
前回の位置の特定方法:
”石ノカラホト”と”玉取池”を取り囲む滝子山、大谷ヶ丸、大鹿山の三点のそれそれの間の距離を昭和5年の古地図と国土地理院の1/25000地図で比較すると僅か5%の誤差のみということがわかっており、国土地理院の地図と古地図の三地点の誤差の平均を求めました。
次に、古地図の三つの山の位置と”石ノカラホト”と”玉取池”の距離を測り、先程の平均誤差を補正してそれを1/25000地図上で示しそれぞれの位置を示す範囲(約80mX100mの範囲ができた)の図を作り、これをそれぞれの目標地点としたわけです。
今回改善した位置の特定方法:
今回は前回より精度を上げるために三地点の誤差平均ではなく、先ず一つの山から対向する二つの山の誤差平均を求めます。このやり方では三つの平均値が得られるわけです。
次に前回同様、古地図の三つの山の位置と”石ノカラホト”と”玉取池”の距離を測り、今度は三種類の平均誤差を使い分けて補正してそれを1/25000地図上に書き写しました。この方法で求めた”石ノカラホト”と”玉取池”の推定位置は、前回の推定位置の範囲より狭まりました。しかし狭まった範囲は僅かで、可能性のある範囲は40mX90mであり目標地点の絞り込みには大して効果はありませんでした。
思うに、場所特定の計算を幾ら工夫してもあまり意味はなく、昭和5年の古地図が如何程の精度で書かれたかが一番重要であるわけです。
また一番難しいのは、”石ノカラホト”と”玉取池”の写真もスケッチもなく、更に長い歳月の為様子も変わっていて仮に本物を見たとしてもそれが分からない可能性があるということです。
探索のために特に意識したこと:
今回は前回の反省から事前に国土地理院の1/25000地図を見て、現地の複雑な地形と沢の位置を頭に叩き込み、常に自分がどの付近にいるのかを把握できるようにしました。そして前回失敗した不要な大回りを避けるとともに、未だ歩いてない沢筋を集中して探索しました。
曲り沢の古道に関して:
曲り沢の古道は古い大菩薩の地図に書かれておりましたが、いつの間にか消されたものです。
曲り沢峠(古地図では平ッ沢峠)から下りると最初に水が現れる沢の名は、コタカンス沢のようです。古地図によれば曲り沢は麓からの林道の終点付近(峠から下れば約55分)までですが、新しい国土地理院の地図ではそこから北方向へ向かっています。
【■■■感想と解説■■■】
大菩薩連嶺南部(滝子山と大谷ヶ丸の間の谷)に在る『石ノカラホトと玉取池』は、私が数年前に入手した『岩科小一郎著 大菩薩連嶺 朋文堂 昭和34年発行』に載っておりまして長いこと興味をそそりながら頭の中で妄想登山をしておりまして、どのように行けば良いかを模索しておりましたが、私一人ではどうする事も出来ませんでした。そこで私の知人で関東の中級山岳のバリエーションルートを熟達しているhachi氏が古地図を見ながら現在の地図と照らし合わせて緯度経度や方角その他諸々を数学的に分析してくれました。そのかいがあって本年4月に第1回目の石ノカラホト調査探検に行く事が出来ました。そして今回は2度目の調査探検でしたが、岩科小一郎がこの本を書いてから既に54年の歳月が流れておりますので、当時の生活道や炭焼道や山村集落などは消失しておりまして、現地においても石ノカラホトや玉取池だと断定出来る場所は1〜2箇所くらいありましたが、ここが石ノカラホトや玉取池だと確実に断定できる場所はありませんでした。前回もそうですが今回も古地図の向ウ沢と思える場所から入っていくつかの小さいヤブ尾根や無名沢を跨いで玉取沢と思える場所に行きましたが、石ノカラホトや玉取池は過去に先人が残した写真も無く、もちろん絵や毛筆画すらありませんので、実態が無いものを2人で探すのは前回同様に大変困難なことでした。次回は別の視点で検証して、大月市立図書館や山梨県立図書館や国会図書館などで集落史の古文書などを探して、玉取沢のどの辺にあったかと云う事を必ずつきとめたいと思っております。かならずどこかにあるような気がします。
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【★石ノカラホト&玉取池★】
鏡ガ沢の玉取沢に玉取池という所あり、現今はほとんどうずもれて池らしくないが、昔そこから水晶の玉を得たそうだ。所持者は笹子方面にいるが、ガラスのようなものではなく天然結晶の不透明なものだという。玉取池の少し下手に石ノカラホトと称し、大石に横穴のある唐櫃のようなものあり、それに古鏡や玉を隠してあった。で、右の玉も壺に入れて鏡ガ沢奥に隠されてあり、旱魃の時に取出して鎮西ガ池に浸す、すなわち雨降ると云う。
『岩科小一郎著・大菩薩連嶺・昭和34年発行・朋文堂・186頁』より抜粋
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【★鎮西ヶ池★】
※鎮西ヶ池の宝物も石洞と載っておりますので、石ノカラホトが小規模な岩小屋である関連性もうかがえます。
鎮西ガ池(鏡ガ池)より出たと伝える古鏡を池水に浸せばたちまち降る。験を得れば新鏡一面を添えて山中の石洞に返す。この元祖古鏡は現在恵能野の子ノ神社(為朝社)に納めてあるが、重量百五十匁ぐらい、無柄、無模様、無銘、材質は唐銅のごときものをいう。この古鏡には諸説あるが、何せ雨乞いの都度一面ずつ増えるのだから、古鏡と称するものの所持者が各方面にあり。本当の古鏡はどれかわからない。
『岩科小一郎著・大菩薩連嶺・昭和34年発行・朋文堂・186頁』より抜粋
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【★鎮西ヶ池★】
大鹿山ノ奥ニ鏡ヶ池ト云フ地アリ、里ヨリ山中ニ入ルコト二里余鎮西ヶ池ト云フアリ、今ハ地形ノミニテ水湛ヘス。此邊スコシク平ニシテ居宅蹟アリ、相傳フ、鎮西八郎爲朝伊豆ヨリ、此深山ニ臻リ、庵ヲ結ヒテ居住セシ地ナリト云、因テ鎮西ト称スト云。馬塲ト云ヘル地貮所アリ、亦、馬冷シ塲ナト云フ地アリ、桑畑ト云地アリ、如何ニモ故アル人ノ潛居セシ地ナルヘシ、亦、地ノ傍ニ楓ノ古木アリ、九重ノモミヂト云。
『甲斐國志・鎮西ヶ池の項・文化11(1814)年』より抜粋
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【★大菩薩連嶺滝子山西方の『石ノカラホト』の情報求む!★】
投稿日:2013年04月24日 20:52<Yamaotoko7>
http://www.yamareco.com/modules/diary/8544-detail-50705
山男さんの所から来ました。初めまして。
宝探しもなかなか大変ですね
今回は古地図の「向ウ沢」を中心の探索でしたね(合ってますか?)
・古地図では「玉取(池)沢」の先が、滝子山から北に延びる稜線のタルへ向かっている
・「石ノカラホト」は、沢筋から南に位置している
・滝子山稜線に向かうなら多くはそこへの支尾根を使ったと思われる
・唐櫃(からびつ、からうと、からと)と表現するからには、大きめの方形の石で脚に見立てた物も傍にある?
そんな事を考えて、1回目に1446mP付近を探索されてますが、そっちの方が近くないのかと思いました。
今回は戦前の古書に載っている宝物が絡んだ場所を探し出す探検登山でした
>今回は古地図の「向ウ沢」を中心の探索でした
>ね(合ってますか?)
やや合っておりますが、向ウ沢は玉取沢(東長窪沢)の
枝沢ですが、現在は無名沢になってしまいましたので
、向ウ沢の本流の源頭部もどこなのか、やや不明な
状況です
昭和5年の古地図の精度も不明なので、石ノカラホト
や玉取池も玉取沢(東長窪沢)のどの辺りにあるか見当
が付きませんが、ただ今回は前回と違って収穫があり
ました。それは石ノカラホトと思える小型の潰れかか
った岩屋がありました。おそらくそれが石ノカラホト
ではないかと思っております
>唐櫃(からびつ、からうと、からと)と表現するから
>には、大きめの方形の石で脚に見立てた物も傍にある?
そういえば前回行った時と今回行った時にもありまし
たが、玉取沢(東長窪沢)の石ノカラホトがある筈の十
数メートル以内と思える場所に方形の岩がありました
。それは下記です↓↓
石ノカラホト・玉取池探し・その1・(滝子山の北西付近)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-290675.html
方形の石の拡大写真
http://yamareco.info/modules/yamareco/upimg/29/290675/29b0dc684439624a83468cec1c46bd8f.JPG
hao_z先輩、素晴らしいアドバイスありがとうござい
ました。今後は小型の岩屋、もしくは方形の岩と云う
2つの視点で調査をしていく事が出来ます
>1回目に1446mP付近を探索されてますが、
>そっちの方が近くないのかと思いました。
言われてみるとそんなような気もしますが、実は
1446m付近のタルに高さ1mの横2mくらいの岩があり
ました。その写真は以下です↓
石ノカラホト・玉取池探し・その1・(滝子山の北西付近)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-290675.html
1446m峰付近の石の拡大写真
http://yamareco.info/modules/yamareco/upimg/29/290675/e774b96ab0b8f77a613b99295e591d32.JPG
hao_z先輩、アドバイスをくださいましてありがとうござい
ました。我々は出来るだけ速く発見したいと思っております
hao_zさん はじめまして
コメントありがとうございます。
ご質問はYamaotoko7さんが答えてくれたので、私は省略させていただきます
この沢筋を歩いてい感じたことは、昭和30年くらいまで行われていたであろう炭焼き窯の跡が多数あるのですが、それらももう原型を止めていな状況です。
したがって本文にも書きましたが、どんなものかわからない石ノカラホトを探すのは大変でそれに行き当たっても分からない可能性があります。
しかし、古書の言い伝えを訪ねるこんな山旅も楽しいものです
yamaotoko7さんが示した方形の石が、形的には「櫃」のイメージにぴったりの感じがしています。
赤城山にも「櫃石」と呼ばれる石がありますが、形状的には方形とは見えません。
ただ、特徴として、側面の一部がすっぱり切れた面をしていることと、頂部が平なので、その方向から見ると箱(「櫃」)をイメージできるのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/npcsk058/folder/142457.html
ただの「櫃」でなく「唐櫃」とするからには、特徴としての脚部のイメージがあるのかなと思った次第です。
アドバイスありがとうございます
確かに『櫃』と云うと下記のような形になりますが、
岩が唐櫃の形かどうがが解らないところです
唐櫃の写真
http://www.fuchu.or.jp/~kagu/siryo/hitsu.jpg
私の見解としては奥行きが高さ50cm〜1mくらいで、奥行き1m〜2mくらい
の正方形の小さな唐櫃のような石洞だと思います。その憶測としましては、
岩科本の石ノカラホト&玉取池の項に『玉取池の少し下手に石ノカラホトと称し、
大石に横穴のある唐櫃のようなものあり』と書かれておりますし、同じく
岩科本の鎮西ヶ池の項には『鎮西ガ池(鏡ガ池)より出たと伝える古鏡を池水に
浸せばたちまち降る。験を得れば新鏡一面を添えて山中の石洞に返す』と
石洞伝説まであります。ちなみに鎮西ヶ池と玉取池は位置的には近所で、
赤城山に例えると大沼と小沼くらいの非常に近い距離ですので、双方の池の
伝承は似ていると思います。なので伝承に関しては『鎮西ヶ池の石洞=玉取池の
石ノカラホト』ではないかと思います
>yamaotoko7さんが示した方形の石が、形的には
>「櫃」のイメージにぴったりの感じがしています
もし櫃型の岩と仮定して推測すると下記の
岩が場所的にもピッタリな気がしま
http://yamareco.info/modules/yamareco/upimg/29/290675/29b0dc684439624a83468cec1c46bd8f.JPG
>特徴としての脚部のイメージが
>あるのかなと思った次第です。
脚部があるような岩が存在するかどうかですが、
絵も写真もない石ノカラホトは発見は難しいです
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