浜益御殿 江戸時代の北方警備路
- GPS
- 06:50
- 距離
- 18.7km
- 登り
- 1,072m
- 下り
- 1,085m
コースタイム
- 山行
- 6:36
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 6:53
天候 | 曇り時々晴れ 山頂はガスで強風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
早朝はC800あたりまではクラストした雪と、被さった〜10cmぐらいまでの新雪で登りやすいが、気温が上がってくるとズブズブ沈み、滑走にも向かない。C800を越えるとウィンドクラストとシュカブラで、これまた滑走に向かない。3月のこの時期は滑走には向かないコンディションかもしれない。急登は無くシールで十分登坂可能。スマホ電波は樹林帯で何とかアンテナ1本。森林限界を越えれば3本の感度。(キャリアはドコモ) |
その他周辺情報 | 札幌側からは国道231号沿い浜益市街のセコマ、増毛側からは増毛町畠中町のセブンイレブンが最終食糧調達地点。 |
写真
感想
浜益御殿という山の名前の由来は調べてみたがわからない。ただ、ここが増毛山道の通過点であることは確かなようだ。
増毛山道 幕末の安政4年(1857年)、ロシア帝国の南下政策を警戒する江戸幕府の意を受け増毛場所(漁場)の請負人であった伊達林右衛門(伊達林右ヱ門)が私費を投じて開通させた。最高で標高1200メートルの地点に達する難路であり、昭和20年代に往来がほぼ絶えて草木が生い茂って廃道となり、国土地理院の地図からも消された。(Wikipedia より)
標高1492mの主峰、暑寒別岳を有する増毛山地は険しく、海岸線は急峻で、人々の通行を妨げてきた。現代の土木技術により、国道231号線が開通する昭和56年までは、日本海沿いに札幌市から増毛町へ抜ける陸路は無く、雄冬地区など海路でしか行く事のできない陸の孤島さえ存在していた。
松浦武四郎も増毛山道を3度通って良い道だと言ったらしいけど、稜線を辿る登山道で、この時期に行ってみると、普通に雪山。そんな過去の歴史は現代人にとっては信じ難いものだと思う。
アプローチは国道231号に接する石狩市浜益区幌の林道、幌床丹(ポロトコタン)線から始まる。雪がない時期であれば、車で林道をC500ぐらいまで上がれるが、除雪が入らないので、残雪の多い今時期は標高30mあたりからの山行開始になる。
林道歩きは楽しくない。林道から外れるC500辺りからが、登山感がでてくる。そして、森林限界を越えるC800からの高山感。そこから山頂の浜益御殿までの稜線西側は急峻な崖地で、スリリングだった。
雪のコンディションは滑走には向かず、スキーであれば技術が要求される。今回はテレマークスキーで滑走を試みたが、多分その姿は無様だった。テレマークターンがほとんどできなかった。しかも、登頂直後に天気が荒れ始め、慌てて逃げるように下山。次回訪れる時は、穏やかな日に山道に繋がる山を訪れてみたい。
そして、そもそも江戸時代にロシアの脅威に備え開削された増毛山道。その通過点にある浜益御殿への山行で、やはり頭をよぎったのはウクライナ情勢。この地の近くにも、海を隔ててロシアの存在がある。それは、今も昔も変わらないが、自分には平和が訪れるように祈ることしか出来ない。
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