日光/稲荷川(雲龍渓谷)
- GPS
- --:--
- 距離
- 14.7km
- 登り
- 966m
- 下り
- 943m
コースタイム
0550 高原歩道分岐発<938>→0625-0635 日向砂防ダム展望台<1160>→0745 ツバメ沢横断<1375>→0830-0835 雲龍瀑展望台<1520>→0905-0920 最後の堰堤上<1320>→0940 雲龍瀑<1370>→0950 大チョックストーン滝→1020 石塔上<1400>(最奥点)→1130-1150 入渓点<1320>→1250 高原歩道分岐着<938>
天候 | 曇り後雨 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
日光山内から奥深く、女峰山の懐にある雲龍渓谷。
一度は足を踏み入れてみたいと想っていた渓にその片鱗だけを伺うことが出来た。
例によって4時起床で朝飯を摂り、5時に久次良を出た。
山内を巻いて行くように稲荷川橋の手前から稲荷川沿いの県道に入っていく。
途中で1台先行したが、滝尾神社辺りで愛犬の散歩のようだ。
5時25分に霧降に通じる高原歩道との分岐に至った。本道、高原歩道ともにバーが掛かっている。ここが車の入れる限度だ。
登山カードのポストの横に看板が掲げられている。「雲龍渓谷に入る皆さんへ」と題され、「雲龍渓谷は軟弱な岩壁から形成され、冬は雪と氷に覆われます。入谷に際しては次のことを守り、事故に遭わないように十分に注意して下さい。」とある。更には以下に続く。
落石(氷)に気を付け、ヘルメットを着用しましょう。
冬は崩れ易い足場と氷に注意し、滑り止め(アイゼン等)を着用して下さい。
氷壁登りは危険です。やめましょう。
特に、単独入谷は事故発生の場合の救助活動が遅れます。無理を避けて下さい。
まあ、心配も無理はないがアイスクライミングの場合は危険は承知の上のことだからねえ。
ここでは取り敢えず沢靴だけを履いて出掛けることとした。
日光は堰堤等の土木事業が多い。稲荷川も暴れ川らしく、古くから数多くの堰堤・砂防ダムが築かれていた。その中でも最大のものが日向(ひなせ)砂防ダムだろう。
建設省が林道沿いに展望台を作っており、そこに事業説明の看板が置かれていた。昭和53年に7〜8年の事業の末、完成とある。総工費は43億円。
今、砂防ダムは大方砂に埋まってしまっているように見える。後何年くらい持つものだろうか?と気になる。見た感じではせいぜい25年と言ったところではないだろうか。
日向砂防ダムから更に林道を20分程歩いて分岐に出会った。
分岐路は舗装はないが、明らかに沢に下っている。ガイドによれば最初に沢に下りるラインの川向こうに宗教施設があることになっている。
不確かながらも沢に下り、沢沿いに進むこととした。
しばらくは幅の広い河原が続くが10分ほど行くとゴルジュになり、そして右にカーブしていったところで古い2段の堰堤で前方を塞がれる。最初の堰堤は乗り越えられそうだが、奥の方は一寸難しい。冬季凍結していれば行けるか、という雰囲気である。
おそらく間違い道だろうと言うことで、入渓点に戻り再び林道を行く。
林道をしばらく歩くと殉職の碑と言うものがあった。表には2列に名前が刻まれているが、勲八等と記されている。裏を見ると薄く昭和36年建設省の文字が彫ってあるのが見える。稲荷川の堰堤工事はかなりの危険を伴ったことが想像されるが、役人が2名の犠牲者を出したのであれば人夫は一体どのくらいの代償を払ったのだろうか。
殉職の碑から5分ほど歩くと再び沢への分岐に出会った。
分岐の前方にはツバメ沢が入っている。
ツバメ沢の堰堤はもはや終末を迎えていて、大岩小岩が溢れ出している。
河畔への降り口には監視カメラが置かれた展望台状の気持ちの良いスペースがしつらえてあり、川へ下りる階段は不釣り合いなほどにゴージャスな作りである。
ここで我々は一旦川向こうに幅広い踏み跡に従って渡ってみたが、そこはそこで行き止まりである。ここは一体どこだろう?宗教施設もないし、ガイドのトポでは林道は洞門岩を越えたところまでしかないように描いてある。良く解らないままに更に林道を詰めてみることとした。
ツバメ沢の分岐からしばらく歩くと舗装は部分的になり、落石の跡も著しく、もはや林道としては機能していない様子になる。道はつづら折りになって先に見えた大岩壁の中間部くらいにまで高度を稼いでいく。2万5千分の1地図ではこの岩壁の頂点は1574mのピークのようだ。
更に行くと突然道は途絶え、獣道に変貌する。
その獣道も断崖で断絶されてしまうが、そこは雲龍瀑の絶好の観瀑台であった。
雲龍瀑は宥に100mを越す大瀑布だ。3段になって水流を振りながら流れ落ちる姿は立山の称名の滝に似てもいる。落口は20〜30mも削り込まれている。正に、一見の価値はある姿だ。
しかし、いかんせん行き止まりである。先ほどの沢への降り口が正しいルートであったようだ。ツバメ沢まで引き返し、再びゴージャスな階段を河畔へ降りていった。
先程は対岸の大堰堤に目が行ってしまったが、行く手を見るとすぐにゴルジュになっている。「友知らず」のゴルジュだ。
余り穏当な響きではないが、かつての資料(昭和18年刊行塚本氏著「日本山岳写真書 奥日光」)を見ると「この峡中の最狭部、両岸が僅かに二米位までに迫り白泡を噛む急湍に友達の事も考えて居られぬ緊張を要求される。」とある。
更に、「約三四米の滝が二つ掛かっており手前のものは左を簡単に捲けるが、次の滝は一寸面倒で、右手は切り立った岩壁、左も五米位まではザラザラの礫岩でその上がかぶり気味の壁である。」とあるが、現在ではその滝はない。
最も狭いところと言っても5m程度はある。白山書房刊「関東周辺の沢」でのガイドでは釜を持つ滝が1つあるように描かれているが、これもない。
水流の音はすさまじいが現在の「友知らず」は何ら緊張感なく通過できる場所である。
友知らずを抜けると再び雲龍瀑に出会う。下から見る雲龍瀑も素晴らしいものである。冬季はどの程度凍結するものであろうか?しかし、とても一番下の段以上を登る気にはなれないだろう。
雲龍瀑を通りすぎると若干左に流れは曲り、正面に巨大なチョックストーンが現れる。
ガイドにある6mCSであろうか?しかし、8mはあるように見えるし、ガイドではチョックストーンの大岩滝まで胎内滝を含み5個の滝が描かれているが滝は1つもない。
この渓谷は何か物凄い勢いで変化しつづけているようである。
もはや、このチョックストーンの滝が胎内滝なのか大岩滝なのかまるで解らない。
解らないながらもチョックストーンの右下の垂直に近いぬめった壁を攀じるが、攀じりながらもさて降りる時はどうするか?と思う。さっさと抜けていった井坂がハーケンを見つけ、ほっとした。
この滝を抜けてみると同じスケールの滝がある。水量も多くとてもシャワークライムというレベルではない。左側の草付のところが比較的容易かと思われるのでここを攻めることとした。草付だけにすべるのが嫌で一応ロープを出す。尤も危険を感じるのは最初の数手でありあとは斜面も寝ていく。
ロープも15m程出たところでピッチは切れるが、セカンドで上がってみると井坂は1m以上ある岩にロープを手繰って確保していた。数10cm大の岩はそこら中にゴロゴロしているが、いずれもぐらつくのが嫌らしい。
「そのままどうぞ」との言葉にがらがらのガリー状のところを詰めていくがここも落石予備軍の巣窟である。
詰めてみると驚くことにナイフエッジ状になっていてすこぶる不安定である。それでもやや安定していると思われる60cm大の岩でビレイを取り井坂を確保する。井坂も登ってみて驚く。
不安定なリッジを水流の方に移動しながら偵察する。
ガスが多くなって見通しが利きにくいが、正面には8m大クラスの大岩が折り重なり、その向こうにY字峡らしきものが望まれる。
水流は右から蛇行して左へ移動し、一番左の大岩の隅を霞めて行っている。足元はと言うと登ってきた方よりきつい勾配で切れ落ちていて谷底までは10m程ある。
Y字峡まで100mもないだろうか?
しかし、気分的にもう十分と言う気持ちに我々二人はなっていた。このスケールの大きさに飲まれた感じである。
ここからの下降もそれほどには楽ではなかった。立木にスリングで支点を作って懸垂で降りるものの泥付の斜面の摩擦もあってロープが抜けず、登り返すこともあった。結局ここはカラビナを1個かませることで切り抜けた。更には草付の斜面も懸垂下降を要する。
大岩にダブルのスリング3本を捲きつけて支点にしてカラビナをかませて下降する。登り返す手間を考えればカラビナ1枚は高くはない。
何しろ天候も不安定な気配を見せ始めている。200mの両崖に挟まれたところで雷雨に等見舞われたくない。
ここからはスピーディに、チョックストーンの大岩も懸垂下降し友知らずも難なく通過し、入渓点に戻った。
入渓点では単独行のハイカーに出会った。彼は雲龍瀑を見に来たとのことである。
雲龍瀑までは何回かの渡渉をしなくては行けないが難度は低い旨を告げて我々は林道を駐車場へと向かった。
天候は予想通り悪化し、程なく雨が打ちつけてきた。それも幸い車に戻る頃には小降りになり、やがて上がった。
今回の山行では白山書房刊行の「改訂増補関東周辺の沢」のガイドと昭和18年刊行の山と渓谷社刊 塚本閤治著「日本山岳写真書 奥日光」(昭和18年5月10日初版)を参考にしたが、いずれの記述も現状とは甚だしく異なることを確認した。
特に「関東周辺の沢」ではY字峡までは一般登山者用の探勝路があるように書かれているが、もはやとてもそんなことは言えない。
「山と高原地図」でもY字峡まで破線で示されているが、現状ではここには線が入るべきところではない。
「日本山岳写真書 奥日光」で「未完成の渓」と言う記述があるが正にその通りであると感じ入った。
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