百歳、祖母の死と鷹ノ巣山〜巳ノ戸尾根・鷹ノ巣尾根〜
- GPS
- --:--
- 距離
- 15.0km
- 登り
- 1,370m
- 下り
- 1,648m
コースタイム
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰路:奥多摩-青梅-御茶ノ水-本八幡 |
コース状況/ 危険箇所等 |
≪巳ノ戸尾根・鷹ノ巣尾根ルート≫ 奥多摩詳細図(西編)によれば熟達者向きのバリエーションルート。稲村岩ルートを入ってしばらく上がった道標の裏から取り付きます。基本的には尾根通しなので尾根を外さなければヒルメシクイノタワにたどり着くことができると思います。(八丁山からお伊勢山の下降点にも注意)八丁山手前に短い岩稜が、細尾根も要所にあり、通行には注意が必要です。 他割愛。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
靴下×2
グローブ×2
防寒着
雨具
ザック
昼ご飯
行動食
山専ボトル(500ml)
非常食
飲料(500ml)
地図(昭文社)
地形図(コピー)
コンパス
ヘッドランプ×2
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
チェーンスパイク
軽アイゼン
カメラ
ゴミ袋
小説
ipod
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感想
私にとって唯一の祖母が亡くなりました。昨年100歳になったばかりでした。6年前からは新潟津南町の老人ホームに入り、昨年からはもう、寝たきりのようでした。ここ5年の間、毎年会いに行ったのは、祖母が好きだったからではありません。私も妹もその祖母に可愛がられた記憶はほとんどありません。抱っこされたり頭を撫でられたりされた記憶もありません。その頃は自分らに感心がないのだと思いました。だから好きでも嫌いでもなく、親父の母親という認識しかありませんでした。祖母は3人の息子のうちふたりに先立たれました。長男に続き私の父親が64歳で死んだ翌朝、祖母は新潟から駆けつけてきました。泣きながら車から降りる姿に、私にはかける言葉はありませんでした。親父の部屋の引き出しから大切に保管された祖母の手紙が出てきたのはそれから間もなくでした。戦争が原因で祖父が亡くなってから祖母はひとりで3人の息子を育てなければいけませんでした。とても貧しい生活だったようです。日本一の積雪記録を持つ村の外れ、その冬の生活は想像を絶します。だから強く生きなければならなかった。弱音など吐く余裕などなかった。祖母の手紙のほとんどは親父の身体の心配が綴られていました。癌と酒が原因で親父の身体はもう、ボロボロでした。それでも反発するように親父は酒を飲み続けました。そして死にました。祖母が認知症を発症して私のことが分からなくなってからも毎年会いに行ったのは親父の代わりとして行っていたのかもしれません。晩年、親父は婆さがどれだけ心配しているのかという話をすると、その話はするな!と目を赤くして怒りました。親父は泣いていました。そんな不器用な親父と祖母のために私は何ができたのか。何もできなかった。祖母の一生はなんだったんだろう。登山口のそばの民家の庭には今年も福寿草が寄り添うように仲良く咲いていました。
makasioさん おはようございます。
おばあさん、亡くなられたのですね。ご愁傷様です。おばあさんは息子さんであるお父さんの体をとても気遣ってたのですね。そしてmakasioさんが仕事に忙殺されている事を気遣って知らせなかったお母さん。どちらも子を思いやる母の優しさ。自分と向き合う山になったのではないでしょうか。お疲れ様でした。
ゆずぱぱさん、こんばんは。
私がもの心ついた頃には祖父母はひとりしかいませんでした。その祖母がなくなりました。知らせなかった母をそのときは恨みましたが、簡単に休める仕事ではないので、あえて、言わなかったようです。しかし、その日も私は飲んで記憶を無くす始末。親父と同じように酒浸りでした。山を歩いて、反省しきり。酒をやめるとは言いませんが、もう、バカな酒飲みは絶対しません。あれから私、酒をやめて夜はblackcoffeeを飲みながらピアノの練習をしてます。笑。もし、これで変われれば祖母のおかげです。
makasioさん、こんばんは。
積雪期にここをねらう、奇特な人でございますよ〜っ。
だいぶいろいろあったみたいですね。
私も昔いろいろあって、「俺は間が悪い 一切 口を開くな 口を閉ざせ」と玄関に張り紙して戒めてました。
さておき、だいぶ雪なくなりましたね。
makasioさんが今回通ったルートこそ、前回の私の当初の予定でした。
山はそこにあって、私たちの命とは比較にならない巨大な時間の流れの中で、そびえたっている。
音楽も芸術も、作者の時間軸を超えて、そこに存在し、新しい感動を産み続ける。
いろんな割り切れないものがあるときに、時間を超えた存在に向き合うのは、大切なことかもしれませんね。
……とりとめのないコメントになりました。
しかし、酒もうまいので困りもんですね。
私と同じように奇人のseizanryoさん、こんにちは。
雪が少し降ったようだったのであのルート行ってきました。思ったほど雪はありませんでしたが、トレースのない雪の道を歩けるのは楽しいですね。ここはホントに楽しいルートです。祖母のことは山を歩き、文章にしたことで気持ちもスッキリしました。山とはなんと浄化作用があることか。山は誰でもどんなときも受け入れてくれます。しかし、酒が不味かったら良いのになとホントに思います!今日は今から日本画の美術館に行きハナレグミというアーティストのライブに行きます♪
鷹ノ巣山、お気に入りですね。
わたしの父が亡くなった時、祖母が遺体の手足をさすって「こんなになっちゃって…」と言っているのを見て「母親というのは子供がいくつになっても母親なんだな」と思ったものです。それは自分が山歩きを始める前のことですが、今でも山に行く時は「親より先に死ぬ訳にはいかないな」と思ってます。
でも、酒はうまい。
maruさん、しばらくです。
あのときのコースを積雪してからひとりで行ってみたいと思いました。あの岩場と細尾根の感じ良いですね。またいくかもしれません。祖母のことはどうしても文章にしたくて今回、書きました。山の感想は最後の一行だけです。私の母は好きなことなら好きなだけやりなさいと言いますが、一度、雪山に行くと行って下山の連絡が遅れたときは心配なんてしてないよという声が何だか震えているように聞こえました。そのときから山に行くときは黙って行けと言います。あまり心配かけるものじゃないなと思いました。しかし、どうしたら酒がやめられるでしょうか。笑
久しぶりにヤマレコを訪れました、おばあさんのことご愁傷さまです。
上手くは言えませんが、人生長くやってると色々あります。
避けて通れないことも多々あり、大半の思いは自分の胎の中に溜めたまま・・・
少なくとも、山に向き合ってる時だけは100%自分の思いをぶつけられる、
山肌に、木々に、風に・・・
沢山のことを積み重ねて下さい、ひとつづつ。
私の場合、山に出かけられる機会はずいぶん減ってしまったけど、
それでもボチボチやって行こうと思ってます。
体力もドンドン落ちてしまって、酒も段々と飲めなくなってきて、
つまらない事も増えたけど、現実は全て受け入れるしかないんですね。
私もこのルート、そのうち歩いてみたいと思います。
どこかでまたお会いしたいものですね。
のぼさん!久しぶりです。素敵なコメントありがとうございます。うれしいです。
山に行くときは自分の全てをぶつけられる。そこに山との一体感を感じ、一度しか出会えない風景や感情に心が震えます。こんなスポーツ、私は山しか知りません。自分の行動に責任を持つために千葉県の山岳会にも入りました。今は母もひとりで暮らしているのであまり心配をかけたくないと思っています。でも、酒は止められても山は絶対にやめたくありません。またどこかで!のぼさんに撮ってもらったオベリスクに座った写真、まだ使わせて頂いております♪
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