鍋割歩道〜中ッ峠〜オガラ沢乗越径路を歩く
- GPS
- 08:54
- 距離
- 14.5km
- 登り
- 1,417m
- 下り
- 1,404m
コースタイム
06:30 名無沢ノ頭
08:10 P921手前キレット
09:05 玄倉林道
09:15 鉄砲沢右岸尾根取付
10:40 中ッ峠
11:40 名無沢ノ頭
11:50 鉄砲沢乗越
12:00 登山道
13:40 寄大橋
天候 | 曇時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
「西丹沢頂稜河川土地名称図」にもその名が落とされている「鍋割歩道」。林班図にも赤の破線で載っている写真をWeb上で見たことがあったので、早速、自分の所持する林班図を拡げてみると、そこには鍋割歩道だけが意図的に抜け落ちたかのように、すぐ南側で萱ノ木棚ノ沢に沿った林班界が引かれているだけだった。同じ林班図なのに何だか差をつけられたようで、大人気なくムッとしてしまった。これは年度樹立によって多少違うのか、はたまた、載せる価値も無いくらい歩道の荒廃ぶりを意味しているのだろうか。
まぁ、それはともかくとして今、この鍋割歩道周辺がおもしろい。
「丹沢だより」に六回にわたって連載されていた小木満氏の「ユウシン地名考あれこれ」によると、熊木(熊木沢出合あたり)は玄倉村にあるのに
玄倉より寄村との交流が深かったとしている。しかも当時は、鍋割峠や雨山峠を通らないカヤノキダナノ頭(鉄砲沢ノ頭)の西側を通るオガラ沢乗越径路としている。雨山峠越えは峠前の白ザレ付近が難所だったみたいだ。
径路はなかなか立派だったようで、馬が薪や炭を運んで熊木と寄を通っていたというから驚きだ。熊木には寄村のマル共(○の中に共の字で表示)製炭商会の作業小屋が、諸士平(現雨山沢出合あたり)には安藤製板所の小屋が立ち並び奥地の開発を担っていたようだ。
それではオガラ沢乗越径路とはどの路をさすのだろう。バリエーション楽しむ人、ここ大事なとこだよ。やみくもに奥山に分け入り、Vルートを究めるだけではなく、時代をさかのぼって興味を広げることが、どんなに山歩きの糧になることか。確かに、オガラ沢乗越径路なんて、どうでもいいって言えばどうでもいいことなんだけどね。
話を元に戻します。同資料によると、『寄村から玄倉川上流に通じる峠径は、鍋割峠と雨山峠の間にオガラ沢乗越と鉄砲沢乗越があって計4つ』とある。ところが、このオガラ沢乗越や鉄砲沢乗越場所が問題で、どうもはっきりしていないらしいのだ。峠のスペシャリスト「峠のむこうへ」さんによると、この経路は地図上に記載されたことがなく、オガラ沢乗越、鉄砲沢乗越の位置関係がはっきりしないという。それでも「峠のむこうへ」さんは鉄砲沢乗越を雨山峠と名無沢ノ頭の間にあると概ね判定をしている。つまり、雨山峠手前でショートカットしてカヤノキダナ山稜に合流する鞍部を鉄砲沢乗越としている。鍋割山方面から来て名無沢ノ頭を下った慰霊菩薩像の先である。昔はここを名無沢ノ頭には登らず、今は崩壊して跡形もない山際をトラバースするように径路が付いていたと推測できる。この先は名無沢ノ頭を鉄砲沢側に下った鞍部に繋がっている。今日僕が歩いた道である。
「丹沢記」(吉田喜久治著)P281〜282に「オガラ沢打越(乗越)1000メートル」の記述がみられるが、先述の名無沢ノ頭を下った鞍部が1000m
を少し越えた高さからしてどうだろう。ここを乗越して沢筋に下ると鉄砲沢を越えて中ッ峠にたどり着く。薄いながらも径路跡が確認できる。中ッ峠からは鍋割山北尾根の沢ルートとしてお馴染みなので何となくイメージできるだろう。吉田氏はこの中ッ峠を「普通名詞。峠道の途中にある峠、坂をいう。オガラ沢打越に一つ、雨山峠に一つ」と定義している。
今日のメイン、「鍋割歩道」は要するに鉄砲沢左岸尾根のことで、スッパリ切り落ちたキレット越えなどお楽しみは盛り沢山である。加えて、吉田氏が「丹沢記」P153〜156に記述する「かわいらしい白ザレのコブ」と形容した裸山も探してみた。左岸尾根840メートルあたりにあって、頂上には松の木があると言っていたが、実際行って見ると、松の木があったのは国土地理院の地図にも落とされている921の小ピークで、840メートルに現れる「かわいらしい白ザレのコブ」に松の木はなかった。
辛口の丹沢考を展開する吉田氏がこの裸山に関しては嬉々としてお茶目な報告をしている、興味ある項である。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する