「新人歓迎登山」とか称して、チヤホヤされながら山に連れて行かれたかと思うと、次に待っているキツーイ登山に「ボッカ訓練」というのがある。ザックには河原石まで詰め込まれたりして、丹沢の大蔵尾根などを歩かされ、ハイカーさんたちの目なぐさみなどになったりもする。
このボッカ、漢字では普通「歩荷」という字をあてる。「強力」と書くこともあるのは、故新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」で知る人も多かろう。
ボッカとは、登山用語になる以前は、牛馬では越えることのできない難路を重い荷を背負って運搬すること、または運搬する人のことであった。言葉のルーツをさらに辿ると「ハケ」という言葉に突き当たる。古語で「断崖」という意味だ。大岡昇平の小説「武蔵野夫人」の冒頭部に語られる武蔵野台地のあの地勢のくだりにも出てくる。
ハケは様々な語に転訛している。ハッケ、ホッケ、バッケ、ボッカ、ハガ、フケ、フカなどである。横浜市にある金沢八景などもハケからきているし、東北地方ではふきのとうのことをバッケと呼ぶ。北国では最初に春が訪れるのは陽当たりのよい崖である。そこには消えかかった雪の合い間からふきのとうが顔を覗かせる。ハケに咲く春、ふきのとうを北国の人はバッケと呼ぶ。
ボッカもまた春を呼ぶものであった。松本平では、野麦峠を越えて新春の食卓を飾る鰤を運んで来る人のことを「野麦峠のぼっかさん」と呼んで親しんだという。つまり、山路、峠路の断崖を超えて物資を運んでくる人をここではボッカと呼んだわけだ。
やがて日本アルプスが知識人たちの手によって開拓され、山頂付近に山小屋が建てられるようになると、そこへ荷を運んだのも「ぼっかさん」たちであった。芦峅、細野、島々などのボッカさんたちは、ガイドとしても大いに活躍したし、黒四ダム建設の際の荷役を担当したことも、忘れてはならない彼らの歴史である。
山の雑学ノート(昭和57年発行)より抜粋
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