「奇跡の一本ポプラ」と聞くと「ん?」と思う人が多いかもしれません。
正式名称は「ド根性ポプラ」と言うようです。
「ド根性ポプラ」は岩手県大船渡市の三陸鉄道の三陸駅の近くにあります。
今から10年前の東日本大震災の時に周りの建物や木々がなぎ倒されていく中で奇跡的に残ったポプラで今もその場所に生え続けています。
更に調べてみると昭和三陸地震(1933年)、チリ地震(1960年)の津波にも耐えた凄い木だそうです!
三陸のことについては以前にも触れていると思いますが、私が学生時代に実習で初めて大船渡に来た時、高い建物がない中でド根性ポプラだけがぽつーんと立っていました。一本だけ経っているのが不思議だなと友達と話していると、友達がド根性ポプラについて教えてくれました。
それ以来何度も行くたびに道しるべの役割を果たしてくれていました。きっと三陸が復興していく姿も見て、人々の希望にもなっていると思います。
ド根性ポプラについては知名度が低いですが是非ともいろいろな人に知ってほしいです。
コロナが終息したらまた行きたいなぁ〜
また、東北が復興することを願って…。
過去の三陸日記
https://www.yamareco.com/modules/diary/103958-detail-209674
写真:ド根性ポプラ(2014年8月撮影)
icchikunさん、こんばんは。
私は震災後の災害派遣で大船渡市に合計3年程滞在していました。
ポプラの木は何回か見ましたし工事現場の写真にも写り込んでいるのですが、今日3月11日にヤマレコ日記という思わぬ所で写真を見て元気をいただきました。
三陸駅の居心地のいい待合室と昔風の小さな硬券切符も思い出しました。徹夜の職場も、息抜きに登った五葉山のハイマツや鮮やかな紅葉、冬の暴風も懐かしいです。
私も岩手県沿岸部の復興を、地域特性を活かした生業や人々の穏やかな生活の復興を願っています。
irazuyamaさん
はじめまして。コメントありがとうございます!
ド根性ポプラについての話題を共有でいる方がいらっしゃってうれしいです!
私が大学のときに実習や研究のために何回か大船渡市の越喜来地区を訪れていました。
三陸の思い出はとにかく印象深いものが多いです。
春先の海沿いの暴風にびっくりしたこと、収穫したワカメが自分の背丈を超えていたことにびっくりしたこと、秋に川を遡上するサケにタックルされたこと…など、東京にいる時に味わえないものばかりでした。
一度だけ三陸駅付近の工事現場の近くで調査をしたことがあるのでもしかしたらirazuyamaさんの働いている現場の近くにいたこともあるかもしれませんね。
私も被災された方が明るく元気に暮らせる日が来るように心から願っています。
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