古いアルバムを整理していたら、南アルプス北岳小屋にお手伝いに行った時の写真に、故白籏史郎さんとの出会い時の物があった
。白籏史郎氏は著名な山岳写真家でしたが、令和元年11月30日に逝去された
。エピソードは、私が会社から夏休みをもらい、何回か訪れた北岳小屋(当時は今の北岳山荘から20分下ったところにありました)に押しかけバイト
に訪れた際に、氏が「キタダケソウ」の半纏を持ってこられ、それを着て記念写真をとりました
。それから、笑い話になりますが、その半纏が染めたばかで、さらしていなかったため、バイト三人近辺の岩登りで汗をかき刺青肌になった事が忘れられません
。1964年8月の出来事です
。
画像1、北岳小屋の窓から、白籏史郎さん(右)副管理人の森本さん。
画像2、背中の模様を写したつもりなのだが「キタダケソウ」は見えない
画像3、左から私、森本さん(故人)、バイト2、バイト3(故人)
正管理人は、深沢今朝光さん(故人)
bandana55さん
貴重お写真をありがとうござます。
若いころは山小屋は冬季開放時しか泊まりませんでしたから、山荘の下に小屋があることすら知りませんでした。
ニッチの「南アルプス北部」昭和52年度版にはしっかり記載されていますね。
調査・執筆は白籏史朗です。
白籏氏は横尾から槍方面を45で撮影しているところを見かけたことを覚えています。
次のお写真を期待させていただきます。
コメントありがとうございます。白籏さんも若かったですし、私もガキでしたからね。その後何回か訪れて当時小屋の管理人の深沢今朝光さんから聞き及んだ次第です。深沢今朝光さんは寡黙な方でしたが素晴らしい方でしたから交際を続けておりました。私も結婚した年に妻を北岳小屋に連れて行きました。その晩は妻がカレーライスを料理したようでしたが、私の記憶からは消えております。
下山する際は、彼が開拓した八本歯経由のルート入口まで見送っていただいた事もありました。古いアルバムを整理していると、鬼籍に入られた良き人思い出が蘇ってきます。
追伸です。
北岳山荘は北岳小屋が廃止になってから、稜線上に建てられたものです。
確かに。
20歳ぐらいの時、2月に深沢下降点から三伏峠まで歩いたとき小さな冬季開放小屋に泊まりましたが、あれは北岳稜線小屋だったのですね。まだ北岳山荘ができる前だったのですね。
あくまでも、北岳小屋は稜線(北岳を下り間ノ岳へ向かう)から20分下った所です。今の北岳山荘は北岳小屋が閉鎖した後に出来た小屋です。ところで、深沢下降点とはどの辺なのでしょうか?
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