彼女とは、16、17年前に体育指導委員という地域のスポーツの運営などをするボランティアで知り合いました。
私が入った最初の年の宿泊研修のスキー&スノボー研修の時、15年ぶりにゲレンデに出るのなら、スノボーに挑戦!と私がトライしたのを見て、その翌日彼女もスノボーに挑戦したのでした。
それからは、地域活動の他、スノボー、登山、映画・・などたまに一緒に動いていました。
登山は、私ほど頻繁に行くわけではなく、年に数回ですが、富士山、北岳、奥穂と、美味しい山は登ってました。
私が一緒に行ったのは、妙義の相馬岳、茅ケ岳、北岳、涸沢、赤城山、至仏山、御岳山・日の出山。
昨年は、一人で奥穂、西穂独標まで行ったようです。
スノボーは頻繁に行き、ニュージーランドまでも行きました。
大腸ガンが進んでいて、ステージ4と診断されていたようで、やりたい事にどんどん挑戦してました。
先日メールが来たのは、呼吸が苦しくなり、入院したので、顔見せに来てね!と。
行く直前に、「山の雑誌とか見るなら、買っていくよ」とメールすると、「見る。見る」と。
お見舞いに行くと、昨年ほどの元気な姿はありませんでした。
ガンが肺に転移したと言っていました。
「最後に行った山は、西穂丸山までだぁ」なんて。
その彼女が、今朝6時に亡くなりました。
先ほど、自宅に行き顔を見てきました。
一緒に活動した、遊んだ仲間がいなくなってしまうのは、とても寂しいです。
ガンと診察され、出た保険でスノボード買う、テントも買う、あれもこれもやってやる!なんて笑いながら話していたのが思い出されます。
そのうち、思い残すことないほど、遊んだ。けど、治っちゃった・・
へへへ。なんて・・、きっとそうなると私は思っていました。
そんなこと言いそうな、明るい人でした。
一人で行った奥穂頂上での写真が少し大きく引き伸ばされたものが、自宅にありました。そこには笑顔で満足感たっぷりの彼女がいました。
ご主人に、明日のお通夜の時に、ぜひこの写真をどこかに飾って欲しいと、お願いしてきました。
いつも、写真を見てみて!と持ってくる彼女は、ぜひ体育の仲間にも、他の方にも、その写真を見てもらいたいに違いないと思ったからです。
彼女のメモに、灰の一部を白馬岳のスキー場の一番高い、木の葉があるあたりにまいて欲しいとありました。(ご主人が見せてくれました)
家族はもちろんのことですが、山や他の活動などでも、一緒に何かをやった人は、とても感慨深いですし、大事にしていきたいといつもにも増して感じました。
真理さんのご冥福をお祈りします。
写真1枚目 北岳山頂
写真2枚目 涸沢
写真3枚目 石打丸山(体育指導委員の仲間、私の娘と)
ちょっと考えさせられました。
自分が同じような状況になってしまったとしたら、果たして死の際まで山と向き合う希望の火を灯し続けられるかどうか。
真理さんは本当に山が好きだったんですね。
これからはpikachanさんが真理さんの分まで山を楽しんでくださいね。
はじめまして。
kamasenninさま、コメント、ありがとうございます。
山に行く回数的にはホントに少なかったと思います。
でも、山が大好きだったんですね。
今、彼女と行った山の写真、いろいろ見ていました。
姉妹のように並んで撮ってる写真が多かったです。
普段はそんなに、連絡取り合っていたわけではないのですが。
自宅のプリンターで、印刷した何枚かの写真を、明日届けようと思っています。
山にいる時の笑顔が最高に素敵なので。
昨年は何回か、一緒に・・と声をかけましたが、体調などのタイミングが合わなく、行けずじまいでした。
不安の中で、妬まず、思いっきり楽しもうといろいろチャレンジした彼女は、とても素敵だと思いました。
ありがとうございます。山も、人も大事にして、楽しんでいこうと思います。
いい思い出だけ大事にして、その人の前に向かう気持ちをわれわれも見習わないといけないですよね。
だれもがそうだけど、精一杯生き抜くということ、真理さんはそれをしたのだと思いまうよ。
真理さんの冥福を祈ります 合掌
ほんとに、そうですね。
今を大事に、精一杯生きた感じがします。
昨日見せていただいた、『エンディングノート』(そういう本みたいなのが、売っているそうです)に、本人が書き込んだメモには、やはり息子さんたちの将来の心配が書かれていました。
他に、○○から頂いたものは、○○に寄付してとか、
お通夜、お葬式は、あまり人が来ないだろうから、こじんまりした、マンションの集会室で・・
とか。
自分の死を直面して、冷静にはなれないはずなのに、しっかりしていた彼女は、素晴らしいと思います。
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