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この夏で、母が亡くなってから12年の月日が流れたことになる。
母は、私が白馬鑓ヶ岳に乗っているときに死んだ。
最高の登山だったのだが、最悪の結末になったわけだ。
突然死であり、診断は逆流性食道炎だったかな。
12年前のあの日、警察からの電話に驚き、山からすぐに家に戻ると既にたくさんの親戚が集まっており、その瞬間からてんやわんやの数日を過ごすことになった。
喪主として通夜・葬儀などの段取りを決め、遂行し、さらに親戚一同を家に泊めるために掃除やら買い出しやらに追われたのだ。
だから悲しむ暇なんてない。
母が死んだという実感が持てていなかった。
葬儀が終わり、1人、また1人と親戚が各地方に帰っていき、4日経った頃に全員が帰り、家は自分ひとりになった。
ようやく一息つける…そう思っていたときに、ふと遺品整理ボックスの中に母の携帯が置いてあることに気付いた。
そういや親戚の1人が「私らは見ないけど、アンタは母さんがどういう思いでいたのかしっかり見とき」と言っていたのを思い出す。
それを聞いた時思った。
(死者にプライバシーは無いんだな)
そろそろ死ぬってわかっていれば、スマホのいかがわしいアプリ&ブックマークを悲しみのアンインストールすることができるが、突然死は無理だ。
■死んだ母の携帯を覗き見た
携帯を手に取り、開いてみる。
充電が切れているので、充電してから起動ボタンを長押しした。
まず画像フォルダを開く。
ベランダに植えていた草木や、当時の愛猫の画像がたくさん並んでいた。
次にメールフォルダを開く。
すぐに1人の人とたくさんやりとりしているのに気付いた。
だいぶ険悪な内容だった。
「そういうところしっかりしてよね」
その相手とのやりとりを遡っていくと最初は穏やかな口調で会話しているのがわかる。
「今居酒屋で飲んでるよ!おいで!」
「いいのよ、お互い頑張ろうね」
「また湯ーとぴあでサウナ入ろう」
「湯ーとぴあ」とは健康ランドのことだ。
どうやら相手は女性らしい。
「もう7月になったよ?」
「連絡くらいしてよね」
少し、風向きが悪い方向に変わった。
「半分でもいいんだよ」
…どうやら母はこの女性にお金を借りていたようだ。
そういや当時の母はしょっちゅう俺に金くれーとせびっていた。
でも私は最低限の家賃しか渡していなかった。
タバコや酒に溺れる母の一面が嫌いで「タバコやめたら10万あげるよ」なんて言っていた。
それが母のためになると思って。
何様のつもりだ。
母は、私が小学校4年生のときに離婚し、そこから男三兄弟を女手1つで育て上げてくれた。
我々バカ三兄弟は喰い盛りだ。
まだ保育園に通う三男が「いちご狩り行きたい」と言ったとき、母は困っていた。よほど貧乏だったのだろう。
一念発起した母は、大量のいちごを買ってきて、大きなボウルにまとめ、疑似いちご狩りを演出した。
またファミコンブームの真っ只中だったので、しょっちゅう「ドラクエ買ってー」などとせびっていた。
買ってもらえることは稀で、他の友達から「おふる」を借りてプレイに興じた。
しかし貧乏を辛いと思ったことは一度もなかった。
なぜなら、母が常に笑顔だったからだ。
母がバカみたいに明るく、一番でかい声で笑っているので、貧乏とすら感じていなかった。
だが、今は想像できる。
女手1つで男3人を育て上げる不安やプレッシャーを。
バカ三兄弟は気づかなかっただけで、本当はキツかったんだと思う。
大人になった時、本来ならば母に親孝行おかえしをしなくてはいけない立場だ。
しかし私は一切の親孝行ができていなかった。
30過ぎて独身で実家にこもり、毎日パチ・スロで日当を得ていた。
家での会話も少なく、たまに口を開けば愚痴で、お金も渡さない。
親孝行どころか迷惑ばかりかけていた。
ただのクソ野郎である。
胸を締め付けられながら、メール一覧を下にスクロールさせていく。
なにやらお金を借りていると言っても、何十万とかではなく、3万とかそんな額だった。
実際にその人に電話をかけてお金を返そうとしたけど
「もうこうなっちゃったし、いいですよ」
と言われた。相手もだいぶバツが悪そうだ。
おいおい、3万で人間関係を悪化させるなよ。
…いや、母を追い詰めてしまったのは俺じゃないか。
母はもう定年だというのに、緑のおばさんをしていた。
朝と晩、交差点に立って小学生を誘導しているあの人だ。
緑のおばさんは公務員っぽく見えるが、分類上は準公務員という扱いで、給料は本当に少なかった。
時給にしたら500円とかそういうレベル。
雨の日も風の日も、朝と晩路上に立って時給500円。
当然それだけでは暮らしていけないので、母は新聞配達と居酒屋などを掛け持ちし、朝から晩まで馬車馬のよう働いていた。
おい、俺、もっとお金渡してやれよ。
タバコくらい気持ちよく吸わせてやれ。
酒くらい浴びるくらい飲ませてやれ。
散々世話になってきたんだろ、恩を返せよ。
今になってそう思うが、死んでからではもう遅い。
その女性とのやりとりを見て、いたたまれない気持ちになったものの、さらにメールを下にスクロールさせていくと、今度は画像つきのメールを親戚に送っていることがわかった。それも大量に。
そのうちの1つを開くと、私と山に登った時の写真が添付されていた。
(画像)
(実際の画像)
そして本文は「祐也(私の本名)と御在所岳登ったよ!」の1行。
あぁ、そういやそんなこともあったな。思い出したわ。
■御在所登山
5月ごろ当時の彼女と御在所岳に登ろうということになった。
もともと1人で登る予定だったのだが、彼女がついていきたい、と。
無理しなくていいよと言ったのだが、どうしてもというので、登山靴を買いに行った。
適当なのを見繕って、買ってあげた。
靴さえしっかりしていればあとはどうにでもなる。
荷物は私が全部持つつもりでいたし。
ところが直前になって怖くなったのか「やっぱ無理」とキャンセルしてきた。
おいおい靴買ってあげたのに…と小さなわだかまりを覚えたが、まぁいいやと気を取り直し、当日の朝、1人で登る準備をしていた。
時刻は午前6時前だった。
あたりはまだ暗い。
そのときだった。
ザックに荷物を詰め込んでいる最中に、母が新聞配達から帰ってきたのだ。
何の気もなしに、一応聞いてみる。
「山登りに行くけどくる?」
母は一瞬迷ったが
「うん、行く」
と行くことに決めた。
御在所は、関東で言うところの高尾山のような観光地的な山で、ロープウェーも併設されている。
ただ高尾山599mに対して御在所1212mなので、御在所のほうがかなりキツい。コースもゴツゴツしてたり急登があったりと変化に富んでおり、時間も倍以上かかる。
(そういやこの人、新聞配達で走り回った後だった。しかも普通のスニーカーだし。大丈夫かな…)
私のそんな心配をよそに、母はひょいひょいと登っていく。
毎日の新聞配達で足腰は鍛えられているのだろう、
しかし8合目付近で
「膝が痛い」
と言い出した。
登り始めて2時間は経っている。
じゃあそこに座って休憩しよう、ということになった。
適当な岩に腰掛けて、ザックを下ろし、サーモスの水筒に入れていたお湯を使って、インスタントコーヒーを作った。
「こうして、木の枝を使って混ぜるのさ」
「汚い」
そんな他愛もない会話から始まったが、そのうちに母は離婚した父のことを語りだした。
「あたしにとってはもう他人だけど、あんたらにとっては唯一の父なんだから四十九日には行ってあげなさい。」
そう、このときに父は既に他界していたのだ。
普段は必要最低限の会話しかしていない母と、久しぶりにまともな会話をした気がする。これも大自然のなせるわざか。
「だいぶ元気出てきた」
「あとちょっとだから頑張ろう」
コーヒーを飲み終えた2人は再出発し、そこから30分くらいで頂上についた。
写真を撮ることになり、せっかくだからと近くの登山客に頼んで2人で並んだ。そうして撮ったのがさきほどの写真である。
さらにメールをスクロールさせると
「祐也と御在所岳登ったよ!」
と同様のメールを親戚一同に送り付けていることがわかった。
時間が1〜2分ずつずれている。
(一斉送信を知らないんだな…)
私と小旅行したのがよほど嬉しかったのだろうか。
それにしても、昔の携帯って画像が荒すぎて見れたものじゃない。
画像が淡く滲んでいく…。
母の携帯を握り締めていた私は、その場に泣き崩れてしまった。
1人になり、ようやく母の死を実感できたのだ。
■後悔は避けられない
これが私のできた、唯一の親孝行らしい親孝行である。
おそらくどれだけ親孝行しても、死んでしまったら必ず何かしらの後悔がつきまとう。
もしくは私のようにほとんど何もできていないクソ野郎な人もいるかもしれない。
自分の時間に追われている人も多いだろう。
でも、親孝行に高価なプレゼントなんていらない。
1年に1回顔を見せるだけでもいい。
なにかしらの後悔はするだろうけど、その後悔をなるべく小さくすることはできる。
12年前の出来事にそんなこと思った。
母さん、8合目で飲んだコーヒーは美味かっただろう?
ありがとうございます!
今年中に白馬鑓ヶ岳にまた登りたいなと思っています!御在所も!
こんばんは。
私も母を亡くして20年が過ぎましたが、いまだに母のいない世界には違和感があります。程度の差こそあれ、私もクソ野郎だった点もあります。何であんな事言ったかなと後悔しても、もはや意味なしです。
私にも家族ができて、夜一人で泣くような事はなくなりました。ゼロにはならないかもしれませんが、時間が癒やしてくれることもあると思います。逆に時間とともに鮮明に甦る記憶もあります。生きている者は生きるしかないのです。
ありがとうございます。
20年経ってなお違和感があるという話からも、makovooさんの優しさが伺いしれます。
山に入ったら歩くしかないように、生きているうちは楽しく生きるしかないですよね。
コメントなんてなんぼあってもいいですからね!
この日記のおかげで、明日から何をしたらいいのかがわかった気がしました。
ありがとうございます!
親御さんがお健在でしたら、電話一本でもいいので親孝行してあげてくださいね!
とても良い日記でした!
自分もお母さんを知ってるので...!
あれ?そうだっけ?
白馬鑓温泉いきましょう。
良い日記を読ませて頂き、ありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
良い日記を読ませていただきました。
胸にしみました。
私の母は、生きてます。でも、今年2月から施設に入所しました。一時期介護はきつかったですが、母が施設に入ってくれているおかげでお山に行けてます。母に感謝してます。
帰りたいと言う母のことを思うと辛い思いになりますが、、、母に今できることをしたいと思います。また、子どもたちにも今後の私のあり方を考えようと思います。子どもたちに辛い思いをさせたくないですものね。
素敵な日記をありがとうございました😊
ありがとうございます。
あまりに突然すぎて驚いたんですが、あちこち悪くなって苦しむよりはマシだったのかな、と勝手に思っています。
お母様も、施設での楽しみが見つかったり良い友達ができると安心できますね。
明日は母の日なので、これを読んだ方が電話一本でも入れてくれると嬉しいな、と思って書きました!
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