健康のため。
風景や草花がきれい。
自然の中で癒やされる。
そんな理由が一般的なのかも知れませんが、自分が山を目指す理由は他に有ります。
2010年3月9日
姉貴の命日。
乳癌の再発・転移で46歳で旅立ってしまいました。
唯一無二の姉貴の死は簡単には受け入れがたい出来事であり、自分は心身に耐え難い強烈なダメージを受けました。
その2ヶ月前、お正月に我が家に遊びに来た姉貴は明るく元気な姿を装っていました。
本当は相当きつかったに違い有りません。
でもみんなの前で元気に振る舞う事が、人一倍負けず嫌いだった姉貴流の周りの人たちへの気遣いだったのでしょう。
しかし初詣に近所の神社に行った時、ほんのちょっとの上り坂に苦しみ顔を歪める姉貴が居ました。
でも弱音のひとつも吐かず歩き通しました。
きっとその時の姉貴はその坂道にエベレスト登頂に匹敵するほどの極限の苦しみを感じていたに違い有りません。
精神的にはそれ以上に苦しんでいたはずです。
その坂道を登り切っても達成感も希望も素晴らしい風景も、、、何も無いのですから。
容赦無く、間も無く迫り来る死の恐怖に、ただ一人耐え・戦っていたのです。
今その時の姉貴の気持ちを思うとき、自分が感じる登山の苦しみ・大変さなんて屁でもありません。
姉貴はまだまだやりたい事、行きたい場所、見たい風景が沢山有ったと思います。
だから自分はいつもそんな姉貴に素晴らしい山の景色を見せるため、姉貴の魂を心の中に抱いて山に行きます。
苦しくなって途中立ち止まりたくなった時、姉貴がそっと背中を押してくれるんです。
切れ落ちた険しい尾根を歩く時、落ちないように姉貴が支えてくれるんです。
そんな気持ちで自然の中を歩くとき、日常の全てのストレス・体内毒素が抜けていくのを感じます。
この先も命有る限りきっと山に登り続けます。
結局、自然と山が好きなんですね。
癒しを感じるため、生の実感を得るために山に向かいます。
登れば登るほど、つらければつらいほど、心の傷が癒えていくんです。
高ければ高いほど、姉貴の居る場所に近付けるんです。
だから今日も山に行きます!

vaiownerさんお早うございます、偶然ですかね、
私のお袋の命日も3月9日です、痛くても何も言わず我慢強いお袋ですが、何か様子がおかしく夜半に病院に連れていきました、
先生に様子を聞きましたら違う病院の入院を進められましたが、ハッキリ聞かせてくださいと先生に聞いたら、「持って1週間」
「桜の咲くまで持ちませんか」と再度聞き返しましたが、「持たない」とダメ押しをおされ私も考えましたよ、
点滴して落ち着きましたので、知らない地域の病院でも点滴で様子を診る他無いようなので
病院で最後をむかえるのでは寂しいそれなら家でと思い先生にそれを伝えたら、
「何かあったらすぐ病院に連れてくるように」と許可をもらい家に連れて帰りましたらよ、
2日ほどしたら何事もなかったのように家の中を見渡しながら急に息をしなくなり亡くなりました、
>弱音のひとつも吐かず歩き通していました お姉さんのその時の気持ちはよく理解できますよ、良い姉貴でしたね、
naiden46さん
コメントありがとうございます。
とても突然の出来事だった様ですね。
心中お察し致します。
身近な人の死は誰にとってもつらいですよね。
時間が経つと悲しみは薄れますが消えることは有りません。
自分は心の中に姉貴を生かし続けていく事が一番の供養だと思って日々過ごし、そして山にも行っています。
今度、姉貴のお墓の有る越生の低山を巡ってみようと思ってます。
たまたま、色々な人の過去の日記を読ませていただいてますが、とても心に残る日記でした。
山登りだけではなく、きっと日頃・日常、人生すべてにおいて背中を押してくれて、一緒に休憩してくれてる事でしょう。すばらしい姉さんです!
こちらも勇気を分けてもらった気がします。
すばらしい日記に感謝いたします。
katsuuuさん
コメントありがとうございます。
悲しいけれど、失う事で得られるものも有るんですね。
世の中、何となくつじつまが合うように出来ているようです。
この前、姉貴の長女の大学一年生の姪っ子と山に行って来ました。
何だかとても感動というか感激しました。
これからも姉貴の魂と一緒に自然の中を歩きたいと思います。
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