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我が家は、田舎のぼろっちい茅葺きの家に家族五人で住んでいました。
冬場に寒くて、目を覚ましたら枕元に外から吹き込んだ雪が積もっていたんですね。(これ、本当の事ですから)
唯一、恐怖だったのが「ポットントイレ」でした。所謂、汲み取り式トイレです。家の外にありました。自分が、家を建てる時は、絶対に綺麗な水洗トイレを付けると、決めていました。今では、便座も温かく温水洗浄の洋式に変更しました。日本のトイレは、世界一素晴らしいと、思います。
小さい頃は、お袋が作った、かき餅、あられをお駄賃にもって山へ「しばかり」に付いて行きました。
というのも、我が家のお風呂は、「五右衛門風呂」だったからなんです。今の若い人は、知らないと思いますが。木製の風呂で、釜がありその上に丸い板を沈めて入るんです。(直接、熱い釜に触れない為です。)
勿論、しばや割り木でお湯を沸かしていました。台所の煮炊きも、勿論割り木とか、しばを焚いていました。その為、年間、沢山の薪が必要だったんです。
私は、保育園も幼稚園も行けませんでした。行く、お金がありませんから。とにかく現金がなく、秋になって米が売れたら、やっと現金がはいる程度ですから。小学校に入って、同級生がそろばんや習字を習いはじめても、勿論行ける訳がありません。
もう一つ、笑い話みたいな事がありました。
私は、小中学生での学校給食という物を経験した事が有りません。すべて、お袋のお弁当です。ある時、おかずにイワシの煮つけが入っていました。通学時に弁当が傾き、煮汁が教科書に掛かってしまいました。帰ってから倍以上に膨れた国語の本を机の上に置いておいたら、我が家で飼っている猫にかじられてしまいました。(これも、本当の出来事です。笑い。)
私は、学校に行き「先生、国語の本を猫にかじられたで、代わりに教科書を下さい」と申し出たんでした。
そこで、小学校の五年生位から、新聞配達と牛乳配達を始めました。お金がなければ、自分で稼ごうと考えたんですね。二年間で、子供にしては、そこそこ貯まったんですが、そのお金で中学生になり、通学する自転車を自分で買いました。自分が欲しい物を買う為に稼いだんですが。仕方ありませんから。
そんな貧しい生活でしたが、両親は兄弟全員に、とても愛情を注いでくれました。小さい頃、畑仕事でお袋に付いて行った、お昼に食べた、しそのおにぎりが一番美味しかったなー。海苔なんて、巻いてなかった。
今の時代は、なんでもあり恵まれています。車なんて、一人一台づつ持ってますから。
貧しいながらも、精一杯私達を育ててくれた、亡くなった両親に感謝です。何ひとつ、親孝行らしい事は、してやれなかった事に、少し後悔が残ります。こんな事を書くと、古臭いと言われますが、物の無い時代の方が充実して、幸せだったのかなと思います。
うちの場合、皆さんが想像している貧乏とは違いますから。究極の貧乏ですから。風呂の灯りは、石油ランプでしたし、家の灯りは傘の付いた、電球一個だけですから。
大工さんに、家の修繕を頼んだんですが、電気かんなを掛けたら、直ぐヒューズが飛びましたから。多分、中電との契約は、10アンペアかせいぜい、15アンペアだったと思います。
そんな、昭和の頃を回想してみました。
komarikuさん今晩は。
懐かしい話ですね。
私は小学生のころエルビー(乳酸菌飲料)配達や近所にあったダルマ作りの家へダルマの木枠に紙を貼るアルバイトに行きました、その帰りにお茶菓子を貰うのがとても嬉しかったことを今でも覚えています。
風呂の焚きつけにするため小枝払い(こさばらい)で母親と一緒にリヤカーを引いて山に松葉拾いに行った思い出があります。
殆どの人が貧しかったんですよね!!
oniken13さん、こんばんは。
焚き付けの事は、「こさばらい」て言うんですか。私の地区では、「ごかき」といいます。杉の枯れた葉の事ですけど。
私がもう一つ思うのは、昔は同級生でたまに喧嘩は有りましたが、今の時代の様な陰湿な「いじめ」は全く有りませんでしたね。もしそんな事をしたら、他の級友が黙っていませんから。いい時代だったんですかね。
では、また。コメントありがとうございました。
”こさばらい”は山の中に落ちている小枝や松葉等を拾い集めることと私は解釈しています。
komarikuさん こんばんわ。(*^ー^)ノ♪
やっぱり似てますね!(///∇///)
私も中1の新聞配達が、バイトデビューでした。(*^ー^)ノ♪
その後は中2から歳を誤魔化して日雇いの現場作業!親方にピンはねされているのは分かっていましたが、手取りで7千円の日給は魅力でした。それと現場を上がってからの一杯!(///∇///)
まぁピンはねしている所からおごってもらっているのデすが親方となら一緒に呑めるので昭和の時代は良かった!
おにぎりもね、海苔とか具なんて要らないんですよ!米と塩!
セブンの銀しゃりおにぎりが大好きです。(*^ー^)ノ♪
yokohamanori3さん、こんばんは。
皆、同じような経験をしているんですね。弁当は、全面に(しぐれ)(塩昆布)(おかか)等を乗せた物が美味しかった。
昼頃に丁度、ご飯に味が染みこんでいて。私もセブンの銀シャリを買いますね。昨日の出来事は、忘れても昔の事は、鮮明に記憶しているんですね。
不思議やなー。
コメントありがとうございました。
komarikuさん、こんにちは。
歳をとると、昔は良かったなぁと思うのは皆同じ?
両親の実家が山の中でしたので、私も幼少の頃同じ経験してます。
板を沈めて入る風呂ですね。
当然、カマドに薪をくべてご飯を炊いていました。
家の中にツバメが巣を作っていたのを記憶しています。
とはいえ、私が生まれてすぐ東京に出て来しまいましたので、
そんな経験は里帰りした時だけ。
当時の都会(東京)と田舎の格差は凄かったですよ。
なので実際は東京育ち、それも23区の山の手線内という大都会でした。
さすがに大都会の小学校は給食、しかし牛乳は当然ですが脱脂粉乳でしたね。
借家は風呂なしですので銭湯へ、自由に入れる田舎の方が良い?
家では買ったばかりの白黒TVで月光仮面や少年ジェット(東京だけの放映だったかも)がやっていた時代です。都会では東京オリンピック(1964年)頃からTV番組も急激に増えて行ったような記憶です。
1970年代前半ぐらいまでは何も無かった「まさしく昭和の時代」ですが、不便とか生活しにくいと思った記憶はないですね。
みんなが同じように、常に前を見ていた時代だからでしょうかね。
yamaheroさん、お早うございます。
私は、生まれてからずっと田舎で暮らしています。今のような便利な世の中になるとは、想像出来ませんでした。
少年ジェットは、知っています。見ていましたから。怪傑ハリマオ、忍者部隊月光とか隠密険士、大瀬康一、松山容子らが、人気でした。
あの頃は、さほど豊かではないが、未来に向かって、希望がありました。白黒TVからカラーに変わり、のちに、車や電化製品も買う事が出来るようになり、オリンピックも開かれ、高度経済成長が始まった頃でしたかね。
本当に懐かしい、善き時代でした。
コメントありがとうございました。
追伸
私は、昔の生活に戻っても、十分やっていく自信があります。貧乏には、慣れていますから。今の時代が、余りにも恵まれ過ぎてますからね。昭和、平成と過ぎ、5月からは新しい年号が始まります。凄い、時代の移り変わりですね。私の様なおじさんは、付いて行くのが、大変です。失礼しました。
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