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昨日の日記「夏の思い出♪」の続編を書いて見ました。
夏休みは、いつも上はランニングシャツ1枚と下は短パンでした。足元は、ゴム草履履きでした。現在の様な軽くて水に浮く「ビーサン」とは違い少し重たくて水に沈む履き物でした。
私達の地方では、「万年草履」と呼んでいました。色は、ゴムの色そのものでした。(確かに、踵が擦り減るまで履いて長持ちしました。)
それを履いて、自転車に乗り遊びに行くんです。転倒したりして、膝や肘を良く擦りむいていました。
そんな時、活躍したのが「富山の置き薬」なんです。田舎では、一家に一箱は必ず常備してましたから。(都会でも、有ったのかな?)
富山の薬売りの行商が、薬箱を各家庭に置いて使用した分だけ薬代金を支払い、不足分を補充していくんです。(年に、1回〜2回位訪問していました。)その時に、子供が居る家庭には風船をおまけでくれたんです。それも、楽しみにしていました。
薬箱の中身は、「ケロリン」「トンプク」「オロナイン」「メンソレータム」「湿布のトクホン」等が入っていた記憶が有ります。丸薬も有りましたが殆んど粉薬でした。飲み難いので、「オブラート」も有ったかな?現在の様なカプセルや錠剤は有りませんでした。薬は、紙に包まれていましたから。
その箱の中に、「マーキュロクロム液」通称(赤チン・赤チンキ)が必ず入っていました。擦り傷や切り傷には、良く塗っていました。
(赤チンは、製造工程で水銀が発生する事から生産が中止らしいですけど。)子供にとって、赤チンは万能薬みたいな物でしたね。
両膝、両肘が赤チンで真っ赤になっていました。私の父親は、「多少の怪我は、つばを塗って置いたら直ぐに治るやろ〜!」なんて事も言っていましたが………。
また、「カサブタ」が出来掛けの時に子供ですから、それを剥がしてまた血だらけになっていましたぁ〜!
富山の置き薬を、インターネットの「ヤホー!」で調べてみると今から320年前(元禄3年)に、富山藩主「前田正甫公」が参勤交代で江戸城に登城した福島の岩代三春城主・秋田河内守が腹痛を起こし、苦しむのを見て、印籠から「反魂丹」を取り出し飲ませた所直ぐに直ったそうです。
この光景を目の当たりにした諸国の藩主たちは、その薬効に驚き、各自の領内で「反魂丹」を売り広めてくれるよう正甫公に頼みました。
この事件が、「おきぐすり」の発祥とされています。
※尚、「奈良県」「滋賀県」「佐賀県」でも、「おきぐすり」は有ったそうです。
以上、「赤チン」の話でした!
komarikuさん、夜だけど、こんにちは。(^O^)/
私の地元奈良県は、以前、小さな製薬所がたくさんありました。
それで、配置薬も盛んでした。
滋賀県甲賀市はその昔、忍者が薬を作っていたとか。( ゚д゚)
今は、大手製薬メーカーの工場がいっぱい。
doremifaさん、おはようございます!
やはり、「ヤホー!」に書いて有った通りだったんですね。
忍者は、薬を作る秘伝とか持っていたのかな。現在でも「伊吹山」では、薬草栽培が盛んですね。
コメント、ありがとうございます!
コマリクさん、こんにちは🤗
あたしが小さい時も赤チンだったー!(笑)そして、黒くなったカサブタを取るのが好きだったー!😁今もカサブタを取るのが大好き(笑)
でもね、跡に残るから我慢しないとね😅もう新陳代謝悪いし〜😭
saku1214さん、こんにちは!
やっぱり、カサブタを早く取っちゃいましたかぁ〜!
何故か、取りたくなるんですよね!
もう、暫く待てばいいのにぃ〜!
sakuさんは、まだまだ若いから「新陳代謝」が良いんじゃないですかぁ〜😁
早く、梅雨明けしてテント泊がしたいkomarikuでしたぁ〜!
コメント、ありがとう。では、また。
祖父母が新潟で、富山の置き薬を常備してました。
小学校に上がる前の数年はそこで暮らしており、薬のセールスの人が来ると紙風船や吹き戻しとかのお土産をくれました。
別に嫌な臭いじゃなけれど、それが薬臭くて、今でも紙風船を見ると、そんな臭いがあるような気がしてしまいます。
もう、半世紀以上昔の記憶なのですけどね。
guchi999さん、こんばんは!
やはり、日本全国に「富山の置き薬」は浸透していたんですね。
私が子供の頃、町まで行けば「薬局」は有りましたが現在の様な「ドラッグストア」では、有りませんでしたね。
今では、薬から食料品、日曜雑貨まで何でも有りますから便利ですね。営業時間も、長いから。
そうそう風船は、「紙風船」だったんです!私も、そうでした。
行商のおじさんは、「やなぎこおり」に沢山の薬を入れていました。(小さな、仕切りがして有りました。)
最近は、全く見掛け無くなりましたね。我が家にも、置いて無いですから。
これも、「昭和」の遺産になるんですかね?
コメント、ありがとうございます。
こんにちは。
この前、NHK・歴史秘話ヒストリアで「富山の薬売り〜 知恵とまごころの商売道〜」をやっていました。苦難の時代もあったことや知らないことが多くちょっと感動しましたね。
ちなみに、江戸時代は紙風船ではなく、浮世絵や役者絵が「オマケ」だったそうで、地方の方たちには大変喜ばれたそうですよ。
yama-boy1さん、こんばんは!
貴重な話、ありがとうございます。
富山の置き薬には、「先用後利」の精神が有るんですね。
→用を先にして(薬を置く)利を、後にせよ!(代金は、後日・使用後)
お互いに、信用で成り立っていたんですね。
たぶん、山奥の田舎まで薬箱を配布していたんでしょう。町までの、距離が遠い場所では重宝されたと思いますね。
コメント、ありがとうございます。
では、また。
こんばんは
赤チン、懐かしい〜〜
家に「富山の置き薬」はなかったのですが、救急箱(木製)があり
赤チンは入っていました
あと、「リバガーゼ」が好きで
少しの擦り傷でも、「リバガーゼ」をピンセットで一枚取り出し、
傷口に貼り、油紙を乗せ包帯を巻く!!!
貼ったときに、少しヒヤッとするのがたまらなく好きでした
昔の薬は、"真っ赤”とか、”真っ黄色”とかでしたね(笑)
tekuteku-miさん、こんばんは!
そうですか!富山の置き薬は、全国どこにでも有ったと思いましたが。
木製の救急箱、持つ所が金具のやつかな?
子供にとって、「赤チン」は万能薬なんですね。私は、めっちゃ塗っていましたから。
後、腕に字まで書いてましたぁ〜!
そりゃ、早く減るはずだよね!
ところで、体調は如何ですか?
梅雨の晴れ間に、お散歩でもしてるのかな?
そちらからは、近くの山々が見えるんでしょうか?つい、登りたくなりませんか?
でも、無理をせずに、「ボチボチ」と!
コメント、ありがとうございます。
では、またね!
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