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山を降ろされた後、見せ物になったり博覧会に出されたり。明治天皇が見られたという話も有るようです。その後山梨の医大に移り、地元の2度目の強い要請で岐阜に戻らて、横蔵寺の舎利殿(写真2)に居られます。舎利殿の中には御真筆や、幼少から入定されるまでの絵図も。
ところで説明(写真3)などで、よく即身仏をミイラと書かれることが多いですが、死後に防腐処理を施すミイラと違い、即身仏は木食修行や漆を飲むなど生前自ら防腐処理するという荒行をされているだけに… 並べて書くのはどうかなぁ(´・ω・`)
それにしても。単純に礼讃するわけではないのですが、当時は生きるだけでもハードルが高かったからこそ、その頂点の荒行ができたのでしょうか。
それに比べれば今はユルユルなのでしょうけれど、お山歩きはそのハードルを少しだけ上げることができているかなぁと思うのでした。
○揖斐川町HP:両界山横蔵寺
https://j.mp/3aDHIAi
○ヤマレコ日記:御正体山レコの補完
https://j.mp/2MaGBhW
○ヤマレコ:石割山と御正体山、プリンスルートは如何に?
http://yamare.co/2922712
toshimizu7566さん、こんにちわ。
こちら即身仏を見学することもできる
ようですね。。。なんか、、みたいような
みたくないような。。。。
当時37歳ということですから、
ご立派としかいいようがありません。(*´▽`*)
k-yamaneさん、おはようございます!
医療や病原体の知識がまだなくて祈るしかなかった時代とはいえ、凄まじいものがありますよね。即身仏では秋田が有名ですが、富士山周辺は噴火の影響で開かれるのが遅くて… 競争的なものもあったり? 等々、いろいろ状況を想像しても、やはりスゴイですよね。
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