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意外や、若いころはけっこう山登りをされていたようです。
大峰の話は「山伏の里」というタイトルで、昭和23年の京都・円山公園から話が始まります。
戦後初の峰入りのため、500人もの聖護院の山伏が円山公園に参集。
彼らを遠巻きに監視する進駐軍のアメリカ兵は、すっかり気圧されている様子。
それから、話はご自身の大峰登山に移って、
・13歳の時に、叔父さんに連れられて、1日七里(=28キロ)もの行程を歩かされたこと。
・洞川のカフェーの女給たちの首筋のおしろいが気味悪かったこと。
・その後も4回、大峰に登山。目的はカフェーではない、と。
・召集前、今生の思い出に、大峰に登山。そこから前鬼を目指したものの、途中で道に迷って、食糧もつきたこと。
ちなみに、前鬼を目指されたのは、大峰の山頂で突発的に「これだけでは平凡すぎる。ここから前鬼へ行こう」と計画変更したのでした(ここまで氏が「大峰」と書かれているのは、おそらく全て山上ヶ岳)。
言うなれば無計画登山ですね。
下山までの経緯は残念ながら書かれていないのですが、「よくぞご無事で」としか言いようがないです(笑)
続けて、次のような一節があります。
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山伏の仲間では、この「前鬼」へ行くことを「奥駈け」という。
聖護院系の山伏でも、ひと夏にいまでも五十人ほどしか行かないほどの難行なのだ。
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これが書かれたのは昭和36年。
新宮山彦ぐるーぷによる整備は、だいぶ後のこと。
深田久弥の『日本百名山』(昭和39年刊)でも「(奥駈けの)南半は忘れられた山となっているようである」と書かれているので、当時は前鬼まで行けば充分に「奥駈け」だったのでしょう。
今でも、聖護院の一般公募の奥駈けは、前鬼までです。
司馬遼太郎さんのご本を読まれるなんて、なんと知的ですね!記念館に行かれたことはありますか?
司馬遼太郎さんの本を一冊読み切ったことはないのですが、東大阪のご自宅だったか記念館に行ったことがあります。新聞記者さんで、図書館のような本だらけで、圧倒されました。そして、お庭から自宅を覗きみれて、ここで日向ぼっこをされた時間があったのかなぁと見ていたことを思い出しました。その時のレコを振り返ると、生誕100年お誕生日前日に鶴見緑地の39メートルの山を登っておりました…。
時間と心の余裕のある時に私もいつか読んでみたいと思います。
司馬遼太郎記念館、前々から行きたいと思ってて、まだ行けてないんです〜。
行かれたのですね、うらやましいです!
当日のレコも再読させていただき、ますます行きたくなりました
コメントありがとうございます。
私の拙いレコを再読していただいたなんて、恐縮です…。記念館には、大阪にご用事がある際にでも寄られてもよいかもしれませんね…😌。
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