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こんな暑い日々を過ごしたのは学生時代とOL時代だった。
学生時代、夏休みのアルバイトをやった。山小屋?ではなく、寮の近くの焼き肉屋で
もう18歳を過ぎていたので、時間給の良い夜の?きれいなお姉さんではなく、ウエイトレスをやったのである。
今どきの人?ウエイター、ウエイトレスって生きている単語でしょうか?
いろいろ経験になった。
お客さんのお皿の動きを見て、お皿の回収に行く。とか、腕と手のひらの三点でお盆を持つと安定する、とか、カップルが来たら奥のほうにあるロマンチックなコーナーに、テーブルにろうそくがともされていた、に案内する、とか。
お誕生日の人には、花火の刺さったパフェを提供するとか。
そして、feveにパフェを作る才能はない、とか。
そう、もともとケチのfeveはたっぷりと生クリームを使ってゴージャスに作り上げるパフェ、それができなかった。たっぷりのアイスクリームをカップに三重に詰込み、フルーツとチョコレートで飾り付け、生クリームをてんこ盛りにする。仕上げに銀色の粒粒をばらまく。
これだけは才能がいる。
feveが作ったとても貧弱なパフェを見た少女の悲しそうな顔を今でも思い出す。
そのあと、お店のお仲間が満点の、センスあふれるパフェを作って見せてくれたが「おぉっ!」の一言でfeveは片づけ、二度とパフェは担当せず、もっぱら、何杯でも飲んでよかったコーヒーをついで回るお役目を引き受けていた。
夜の2時ぐらいまで働いて、そのあとは、自転車をこいで寮に帰り、お風呂に入って就寝。お昼ぐらいになると、寮には冷房なんてなかったから暑さで目が覚め、ご飯を食べて、出勤時間までお昼寝、または、学校のノートを眺めるだけ、の生活を夏休み中繰り返した。
お昼寝の最中に金縛りにあい、怖い思いをしたのはその時の体験である。足が、足が、誰かが足を引っ張っているーっ。あの時は本当に怖かった。
この寮は、もともとなにかの上に立っているのだろうか?目が覚めたときそう思ったが、家主さんに聞く勇気はなかった。
そして恐れおののいたfeveは、夏中、働いた焼き肉屋をやめ、勉学にもどることにした。
もらったお給料は20万円ちょっと。使い道はバイクに決めていた。と言っても原チャリである。原チャリが流行っていた時期でもあって、学校の自転車置き場には何台も原チャリが置かれていた。マイケルジャクソンが、かっこよくポーズを決めて、売り出していた。
feveは原チャリの免許を取って、その20万円を握りしめて、バイク屋へ行き、ヘルメットと原チャリを買った。ヤマハの赤い原チャリであった。通学に使うためである。
寮と学校の間は7キロぐらいあって、電車で通っていたが、通学にかかる時間がもったいなかったので、原チャリで通うことにしたのである。けっこう役に立った、燃費も良かったし>原チャリ。
写真はクレマチスの根の保護のために置いたレンガ、と、根元に追加した土。
feveさん、こんばんわ。
異常に暑い日が続きますね。
こんな時はテルモスに半分氷を入れておけば、
帰る頃には手頃に溶けて飲みやすくなってますよ。
プラスペットボトルに9割お茶を入れて
凍らせておくの。( ´ ▽ ` )
高校生の頃は何故か近所のスーパーの
漬物屋でバイトしてました。
全部バイクのガソリン代に消えてましたね。
( ´ ▽ ` )
k-yamaneさん、こんにちは。
テルモス!、その手がありましたね。毎日暑いですが、何とか乗り切りたいです。。
漬物屋!、いいですね。とうほぐ人のfeveには美味しい職場です。(とうほぐ人には漬物は必要不可欠です!)。
ではでは。
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