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それはfeveが小学4年生だったころから始まった。そろそろ難しい言葉が出始めるころ、生意気なことも言い出すお年頃である。
feveは毎日、家の仕事に追われていた。中小零細企業だった我が家、10歳の誕生日を迎えて、お雛様をしまった母はfeveに向かってこう言ったのである「我が家では働かざるもの食うべからず、よ」と。
ということでfeveは学校から帰ると家の仕事、子供でも出来る仕事を手伝わされていた。過酷な仕事ではないので19世紀の炭鉱で行われた児童労働には当たらないが、それなりに大変だった。
しかし、食べてゆくだけではなかった。
それなりに見返りがあったのである。
お正月のお年玉は一万円単位であったし、高級な電子ピアノや電動ミシンが家に届いたりした。ので、この家はそんじゅそこらとは違うのかもしれない、とfeveは働きながら考えていた。
そんな時にfeveは算数と国語で100点を取ってしまった。労働しながらであったので、これは表彰ものである。ということかどうかは知らないが岩手県で一番大きいデパート、Kデパートででパフェを食べることが許された・・・。
それをクラスの女王様が許すはずもない・・・。なんだかび〇ぼーのにおいがするクラスの女王様、家は日が当たらないし、玄関の前は青い苔が生えていてなんだか異様なにおいがするし、着ている服もどうやらお姉さまのお下がりのよう。
そしてfeveはい〇めの対象になり、担任とクラスの女子から「つまはじき」と呼ばれ、なぜかおはじきとお手付きのゲームに呼ばれるようになった・・・。
お手付きのゲームとは?じゃんけんをしておはじきを取った時に、手が重なった場合は下の手の子がお手付きとなってしまい、そのゲームから外されるちょっとオトナチックなゲームだった。
なぜ、そういうゲームを女王様が知っていたのかはよく知らない。feveがその理由を知ったのはだいぶ成長してからであった。女王様はませていたのだと思う。
そんな恐ろしい女王様とは高校まで同級生で、縁はなかなか切れず、その間にもfeveは学年一位やら同窓会参加女子一位やらなんだかよくわからないナンバーワンを取っていて、そのたびに女王様の嫉妬にさらされた・・・。
女王様オソルベシ・・・。
長くなったので、「器〇貧乏とア〇ウエィの恐怖」の話は別の機会にしようと思う。
写真はうちのキング、ガブ。。。
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